今週のみことば
6月30日
「イエスは彼に言われた
『きょう救いがこの家に来た
この人もアブラハムの子なのだから
人の子が来たのは
失われたものを尋ね出して救うためである』」
(ルカによる福音書19章9-10節)
イエスがエリコの町を通られた時
ザアカイというお金持ちの取税人のかしらがそこにいて
自分もイエスを見てみたいと思いました
しかしまわりは群衆がいっぱいで
背の低いザアカイには見ることができなかったため
彼は先回りして桑の木にのぼります
そんなザアカイにイエスは目をとめ
『ザアカイよ、急いで下りてきなさい
今日あなたの家に泊まることにしているから』
と言われました
ザアカイは喜んでイエスを迎え入れましたが
群衆はつぶやいて言いました
『彼は罪人の家に入って客となった』
イエスを迎えたザアカイは
自分の財産の半分を貧しい人に施し
不正な取立てをした人には4倍にして返すことを約束します
健康な人は医者を要せず
病気の人にこそ医者が必要であるように
罪人にこそイエスさまよりの救いが必要です
それまで不正な行為で財産を築いてきたザアカイは
イエスを迎え、救われることで自らの行いを悔い改めました
そんなイエスの行動を見て群衆はつぶやきましたが
結果的にザアカイは
神の心を心とする人に変えられたのです
ザアカイも
お金がすべて、ものがすべて、地位がすべてと
それまでの価値観でもって生き続けておれば
生活そのものは豊かであったでしょう
実際に世の中の人の多くはそういう価値観を持ち
豊かな暮らしをしています
ところが
人は神から造られたものなので
さまざまな欲が満たされることによって肉体は満足しても
内側の霊は満足しません
人から”罪人”と呼ばれていたザアカイは
生活は豊かでも
心豊かな状態には遠く
そんな彼がイエスに会おうとした気持ちを
イエスご自身もご存知だったのでしょう
群衆に妨げられてイエスから遠ざかるのではなく
何とか近づこうとして桑の木にのぼったザアカイは
背の低さが幸いしたともいえます
人よりも劣ったところがあることで
それがかえって神に出会う機会ともなるわけですから
わたしたちはただ劣等感で卑屈にならず
いよいよ神に近づきたいとの思いをもち
希望を捨てずに祈っていくべきです
「きょう、み声をきいたなら
神にそむいた時のように
あなたがたの心をかたくなにしてはいけない」
(ヘブル人への手紙3章15節)
出エジプトを望みながらも
その時になると試みに負けて
神に対して不平ばかり言うイスラエル人のように
心のかたくなな状態に陥りませんように
神に立とう、信仰をもって進んでいこうと思っても
もしその信仰が損得勘定の信仰であれば
なかなか思うようにはいかないでしょう
人の心をご存知の神は
人の思いにも願いにも勝る業をなそうとする一方で
その人の嘘偽りも見破ってしまうため
表面的なごまかしは通用しません
「もしわたしたちが、この世の生活で
キリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば
わたしたちは
すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」
(コリント人への第一の手紙15章19節)
しかし
キリストは死人の中からよみがえり
わたしたちはその救いを与えられ
この信仰が決して空虚なものではない望みを与えられています
ならば
その望みをいかに持ち続けていくのか
イエスのご命令(聖書のみことば)を100パーセント守ることは難しくても
なるべく守ろうとする気持ちを持っていくことで
よりイエスに近づき
またイエスもわたしたちに近づいてくださって
望みは支えられていくのです
「何事も党派心や虚栄からするのではなく
へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい
おのおの、自分のことばかりでなく
他人のことも考えなさい
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを
あなたがたの間でも互いに生かしなさい
キリストは神のかたちであられたが
神と等しくあることを固守すべき事と思わず
かえって、おのれをむなしうしてしもべのかたちをとり
人間の姿になられた
その有様は人と異ならず
おのれを低くして
死に至るまで
しかも十字架の死に至るまで従順であられた」
(ピリピ人への手紙3章3-8節)
わたしは!と、自分を誇ることをせず
重罪人の死に方にも等しい十字架の死にまで従順に従い
人に救いを与えてくださった
そのキリストに習う者として
わたしたちはただ目に見えるものに惑わされることなく
「曲がった邪悪な時代のただ中にあって
傷のない神の子となるため」(15節)
日々の戦いに勝利していかなくてはならないのです
「わたしたちは見えるものによらないで
信仰によって歩いているのである」
(コリント人への第二の手紙5章7節)
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないが
彼を愛している
現在、見てはいないけれど、信じて
言葉につくせない輝きに満ちた喜びにあふれている」
(ペテロの第一の手紙1章8節)
いかに見えるものに惑わされないか
そして
いかに目には見えないイエスを信じ
喜びに満ちた生き方をするのか
ザアカイが
それまでの欲を離れ
神に立つ道を選んだように
わたしたちもまた
常にそういう方向で進んでいきましょう
どんな罪人にさえも救いを与え
その心を変えてくださる神に希望を置いて
いよいよ神に近づく歩みをしていきたいものです
<目次