今週のみことば


7月1日

「そして彼らはその探った地のことを
イスラエルの人々に悪く言いふらして言った
『わたしたちが行き巡って探った地は
そこに住むものを滅ぼす地です
またその所でわたしたちが見た民は
みな背の高い人です』
(民数記13章32節)


エジプトを出た後
神が与えると約束したカナンの地を前にして
モーセはその地を探る偵察隊を送り出しました

40日の偵察期間を終えて帰ってきた彼らは
イスラエルの全会衆を前に
カナンの地は確かに豊かではあるが
そこには大きくて強い民がいることを告げました
そんな危険な地に入ることはできない
そう悪く言いふらす彼らに煽動されて
イスラエルの全会衆は動揺し
再びエジプトに戻ろうと言い始めます

そんな中
偵察隊の一員であったヨシュアとカルブだけは
『わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です
もし、主が良しとされるならば
わたしたちをその地に導いて行って
それをわたしたちにくださるでしょう』
と主張しました

しかし
すでに恐れてしまったイスラエルの民は
ヨシュアたちを石で撃ち殺そうとします
その時、神は現れ
イスラエルの民の不信を嘆き
カナンの地を目の前にしながらも
それから40年荒野をさまよう道を与えられました
その時になってイスラエルの民は後悔し
あわてて今からカナンの地へ入ろうと言いますが
すでに道は定められたのでした

カナンの地は
神が与える地だと約束されていたところです
確かにそこには勝てそうもない敵はいるけれど
神が与えるといったのだからと
ヨシュアとカルブは信仰もって踏み出そうと訴えました
彼らの信仰が
大きな人々を見ても恐れを抱かせなかったのです

目の前の人や物でもって人は色々判断しようとしますが
信仰がないと
大したことのない問題が非常に大きく思えて
パニックに陥ってしまうことも少なくありません
良い所を見れば素晴らしい点はたくさんあるのに
それを悪いところだけ言いふらすのは
常に自分の力で進むことを念頭に置いているからで
神に対する信頼(信仰)がないからなのです

戦いはやってみないと勝負はわかりませんし
戦う前から負けると決めたのではどうしようもありません
怖い対象物ばかりを見て闇雲に恐れるのではなく
神を見上げて希望を持って踏み出だしていきたい
それが信仰者の歩みです

「その人は東に進み
手に測りなわをもって一千キュビトを測り、わたしを渡らせた
すると水はくるぶしに達した
彼がまた一千キュビトを測ってわたしを渡らせると
水はひざに達した
彼がまた一千キュビトを測ってわたしを渡らせると
水は腰に達した
彼がまた一千キュビトを測ると
渡り得ないほどの川になり
水は深くなって、泳げるほどの水、越え得ないほどの川になった」
(エゼキエル書47章3−5節)

くるぶしやひざ程度の水ならば
人は自分の力で歩いて渡ることができます
しかし
それが胸ほどにもなればすでに歩くことは困難で
水の流れに身を任せていく他ありません
泳ぐ時には体に力が入っていると溺れますし
流れに逆らって泳ぐことはできません

神が与えたこの人生
自分の力だけで乗り越えようと思っても
なかなか上手くはいかないでしょう
常に神の流れにその身を任せ
祈っていくことが必要なのです

人はとかく視野が狭くなりがちで
目の前の現実や現状に心を奪われ
あるいは過去にとらわれて
未来を見ることが難しいものです
そのため
将来どうなっていくかわからないのだからとの希望は持てず
自分の未来はダメに違いないと
勝手に結論をつけてしまう人もあります

確かに世の中を見れば悲観的なことが多いでしょう
それでも
神さまが導けば大丈夫との信仰をもって
わたしたちは歩んでいきたいです





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