今週のみことば


7月7日

「イエスは彼女に言われた
『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと
あなたに言ったではないか』
人々は石を取りのけた」
(ヨハネによる福音書11章39-40節)


マリヤとマルタの兄弟ラザロが病気だと聞きながらも
イエスはすぐには彼のところへ行こうとはせず
その後ラザロは死んで墓に葬られました
イエスと弟子たちがそこへ到着した時には
ラザロは葬られてすでに4日がたっており
マリヤは
『主よ、あなたがここにいて下さったなら
わたしの兄弟は死ななかったでしょう』
と嘆きました

また周りでは
『あの盲人の目をあけたこの人でも
ラザロを死なせないようにできなかったのか』
という人もありましたが
イエスは墓の洞穴をふさぐ石を取り除くように命じます
そこでマリアは言いました
『主よ、もう臭くなっております
4日もたっていますから』
それでもイエスが
『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと
あなたに言ったではないか』

と言われたので
人々は石を取りのぞきました

そこでイエスが天に向かって祈り
『ラザロよ、出てきなさい』
と命じると
ラザロは全身を布で巻かれたままの状態で出てきたのでした

同章の25-26節で、イエスはこう言われています
『わたしはよみがえりであり、命である
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない
あなたはこれを信じるか』


常識的に考えれば
死んだ人がよみがえるはずはなく
ましてや葬られて4日もたっておれば
なおさら誰もそれを信じることは容易ではないでしょう
だからこそ
イエスから『石を取りのけなさい』と言われても
すぐに従う気にはなれなかったわけですが
ここでは
”死んだ人がよみがえるはずかない”という思いそのものが
人の心の中で不信という”石”になっていたのです
そして
その不信を取り除くことで神の業はあらわれ
ラザロは生き返りました

わたしたちが人生にあって行き詰まりを感じる時や
もうダメだ、おしまいだ等と落ち込む時
心の中に不信という石があると
死んだような心理状態から復活するのは難しいことです

人は色んな人生経験をするものですが
その経験がすべて自分の人生の糧になるわけではない一方
少ない経験でもそれがすべて人生に生きている人もあります
この差は心の状態の違いによるもので
一見都合の悪いことが起きても
それですべてがダメになると決めつけてしまわないことが
明暗を分けるのです

このように
目の前に起こる事実に動揺して右往左往するのではなく
たとえ望みがないようなことであっても
なお望みを持って祈っていけば事態は変わってくるのですが
心の”石”がそれを邪魔してしまいがちです

また
神の教えに反する心の思いを
聖書の中ではパン種にたとえています
「あなたがたが誇っているのはよろしくない
あなたがたは少しのパン種が
粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのか
新しい粉のかたまりになるために
古いパン種を取り除きなさい」
(コリント人への第一の手紙5章6-7節)


小さなパン種はやがて全体におよび
その思いはますます心の中で広がって
大きく膨らんでいくのです
間違った価値観が心の中を占めるようになると
正しい判断も行動もできなくなりますから
そういうパン種はすべて取り除いて
新しい純粋な粉のかたまりとなっていかなくてはなりません
そして
どんなことがあっても
神を信じ、神に立って生きていくのだとの心意気を持ち
心から神に従い感謝して進んでいきましょう

布で全身を巻かれた状態で墓から出てきたラザロに
イエスは言われました
『彼をほどいてやって、帰らせなさい』
彼はすでに生き返ったのですから
もう死んだ人のための布は必要ありません
死の装束から解き放たれ
ラザロは神にあって自由の身となったのでした

神によって、死んだような状態から開放されるために
わたしたちには
多くの希望あるみことばが用意されています

「イエスは言われた
『人にはできない事も、神にはできる』」
(ルカによる福音書18章27節)

「さて、信仰は、望んでいる事がらを確信し
まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙11章1節)


「神は、神を愛する者たち
すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて
万事を益となるようにして下さることを
わたしたちは知っている」
(ローマ人への手紙8章28節)


神がなされることには意味があります
一体どうなるのかと不安に思いつつも
結果的に毎日を生きていければそれで良し
死の悲しみの後には喜びが与えられ
すべてを神は益としてくださるのです

そのために
わたしたちは人やお金に頼ることをやめて
人が誉められるのではなく
ただ神が崇められるように
正しい信仰生活をまっとうしていきましょう

クリスチャンはただ夢を食べて生きていくのではありません
神にあって確信を持って進み
神に会うために教会へきて
そして重荷を下ろす
ちょうど良い時にちょうど良い事をなしてくださる神に感謝し
新しい週も希望をもって踏み出していきたいものです




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