今週のみことば


7月14日

「神の人エリシャは
イスラエルの王がその衣を裂いたことを聞き
王に人をつかわして言った
『どうしてあなたは衣を裂いたのですか
彼をわたしのもとに来させなさい
そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう』」
(列王紀下5章8節)


イスラエルに敵対するスリヤの軍勢の長ナアマンは
らい病をわずらっていました
ある時イスラエルから連れて帰った少女が
イスラエルには預言者がいてらい病を癒すのだと言ったため
ナアマンはスリヤ王からイスラエル王に手紙を書いてもらい
たくさんの贈り物を持ってイスラエルに出向きます

敵国の軍勢の長が来た事で警戒したイスラエル王は
彼らが争いを仕掛けてきていると思い腹を立てましたが
エリシャはナアマンを自分のところへ来させるようにと言いました
それはナアマンの上に神の業が現れるためでした

こうしてエリシャの元へやってきたナアマンでしたが
彼の想像とは裏腹にエリシャ本人は現れず
出てきた使者からは
ヨルダン川で7回身を洗うようにとだけ告げられます

この扱いはナアマンを怒らせました
彼はエリシャ本人が出てきて自分を癒すと思っていたからです
そのまま怒って帰ろうとするナアマンを思いとどまらせたのは
しもべ達の言葉でした
どんなに大変なことをせよと命じられてもする覚悟で来たはずなのに
身を洗うだけなら簡単なことではありませんか・・と

そしてナアマンは思い直してエリシャの言葉どおり
ヨルダン川で身を7回洗いました
すると彼の病はたちまち癒されたのでした

ナアマンは自分の地位ゆえに自らに誇りを持っていました
しかもイスラエルに対してたくさんの贈り物も持ってきたのだから
きっと丁重な扱いを受けるであろうと想像していたのでしょう
ところが
神の前には地位は関係なく
ナアマンの扱いも特別ではありませんでした

怒って帰ろうとする彼に対して
しもべ達は冷静に提言します
自分のことを偉いと思っているナアマンは
最も大切なことに自分では気付かず
むしろしもべ達の方が神に用いられたのです

この事の起こりもイスラエルの少女の発した言葉からであり
神は一見取るに足らないような人を用い
その言葉に耳を傾けるか否か
心の中を見ておられるのでした

その時、自分の心が勝つか
あるいは心を抑えて神の言葉を受け入れるか
大きな分かれ道にあってナアマンは正しい選択をして
病を癒されたのです

ナアマンは自分の努力で癒されたのではなく
神の言葉に従うことで病から開放されました
神の前に人間的な権威をすべて脱ぎ捨てて裸になるのは
悔い改めの姿でもあるでしょう
大きな権威をもった人ほどそういうものから逃れ難く
自分の誇りを捨てて神の前に低くなるのは難しいものです

目の前に用意されたヨルダン川も決してきれいな川ではなく
信じて踏みだしやすい状況ではありませんでしたが
すべてはナアマンが自分の持っている頑固な価値観を捨て去り
心から神を信じ、従うためのハードルなのでした

クリスチャンは
世の中で言われるところの「勝組み」思想から離れ
いかに神に心を寄せて中味の充実を図るかが課題です
ナアマンのように地位も名誉も持つ人が
自分の努力では克服できない病に直面したとき
どうすることでその病から根本的に開放されていくのか
そこから
人生の幸いを受ける秘訣を教えられる一方で
20節以降に登場するエリシャのしもべゲハジが
金品に心を奪われて
その結果ナアマンのらい病が彼に着くこととなったところから
人の欲がいかに災いをもたらすかも教えられるものです

何の不自由もないエデンの園にあっても
なお食べてはいけないとされた木の実を食べたアダムとエバは
知恵がつくことで何があったのかといえば
裸であることに気付き
神の前から姿を隠そうとしました

不必要な知恵や間違った価値観をもつと
神に近づくことよりも神から離れる道を選ぶようになります
世の中にある知恵をもって神を見ようとすると
結果的には迷ってしまうので
常に神の知恵(聖書の教え)でもって神を見る習慣をつけ
サタンの惑わしにのらないように気をつけたいものです

神をまっすぐに見る者となることにより
本当の意味で”生きる者”となることができます
そのためにも
まずそれぞれが心の中にもつところの病(間違った価値観)が
神によって根本から癒されますように
日々の信仰生活を歩んでいきましょう

「イエスはまた人々に語ってこう言われた
『わたしは世の光である
わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく
命の光を持つであろう』
(ヨハネによる福音書8章12節)

「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって
わたしたちはこれらすべての事において勝ち得て余りがある」
(ローマ人への手紙8章35,37節)


世の中はどんどん悪い方向へ向かい
わたしたちのまわりにも希望が失われるようなことが多々ありますが
どんな状況下にあっても
神に従うものには必ず闇を照らす光が与えられます
それによってわたしたちは常に困難に勝利し
また感謝を神に帰して
いよいよ強められていくのです

聖書のみことばから
日々の戦いに必要な心の糧を与えられながら
実際に体験するさまざまな証を通して
ただ空想や妄想ではなく
しっかりと神の姿を見る者として成長していきましょう




<目次