今週のみことば


7月15日

「信仰によって
滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように
彼は過越を行い血を塗った」
(ヘブル人への手紙11章28節)


エジプトへ移住したイスラエルの民は
その数は増え、勢力も強くなることで
エジプト人にとって脅威の存在となりました
そのためエジプトの王は
イスラエル人を重い労役で苦しめ
ついには
イスラエル人に生まれる男子はみな殺すように命じます

やがて
イスラエルをその苦しみから救い出し
神の約束の地カナンへと出発するため
モーセを指導者としてエジプトを出る
その計画が神より告げられます
しかし
エジプトの王は
何が起きても
イスラエルを決して去らせようとはしませんでした
様々な災いが起きたのち
一度はイスラエルを去らせる事を約束するエジプト王は
災いが通り過ぎるとすぐに心をひるがえしたのです

そして
ついに最後の災いとして
エジプトの国に居るすべての人と獣の長子が打たれることになります
ただし
神の命令に従って
子羊の血を鴨居と柱に塗り
子羊と種入れぬパンと苦菜を食べるという
『過越』を行った家は
滅ぼす者が通り過ぎるとのことでした

モーセはイスラエル人に対して
急いでこのことを行うように命じます
それをそのままイスラエル人は受け入れ
各々命じられたまま行動したので
災いは彼らの前を過ぎ越して行きました
(出エジプト記12章参照)

ヘブル人への手紙のみことばによると
彼らはこの『過越』を
信仰によって行ったとあります
時は差し迫っており
疑問を抱いている暇はなく
ただ神の言葉に従うだけでした
その信仰の行為が彼らを救ったのです

言われたことに素直に従うのは
本来難しいことではありません
それを難しくするのは
人の心がかたくなだからです

このように
聖書の語る信仰とは
誰でもできる簡単なことなのですが
現代の信仰感はまず知識や勉強が先に立ち
理屈が追い求められるため
人が自ら信仰を難しくしていると言えるでしょう

信仰すれば一体何があるのか?
その答えは
”神によって守られる”
しかし
すべきこともしないでおいて
わたしは信仰しているので守ってくださいと言うのは間違いです

以前、学校の先生で
「お祈りすればいいというのなら
子どもたちも勉強する必要はない」
と言われた人がありましたが
聖書の教える信仰は
そのような考え方とは違うのです

それぞれの立場をわきまえ
するべきことを忠実に行うこと
そしてどんな状況であっても
希望を持って神に祈る時
道は開け
手の技が祝される

傲慢にならず
神の前に頭を低くして忠実に歩んでいけば
どんな人にも
それぞれにふさわしい幸いな道が与えられるのです

ところが
人はしばしば
この先、今の状況よりもっと悪くなることを想像しては
自ら不安に陥り
自分が今すべきことを見失いがちです

どんな時にも神共に在れば恐れなし
その信仰をもっていれば
冷静に進んでいくことができる
だからこそ
信仰はすべての人に必要なのです

人の心は損得に流れ
自分の都合の良い方へと思考は向いていきますが
世の中の価値観に目をとめるか
神の価値観に目をとめるかで
人生は大きく変わってきます

常に聖書を基準として
そこから教えられ
正しい価値観を身につけて
幸いな人生を歩んでいきましょう



<目次