今週のみことば


8月4日

「イエスは『おいでなさい』と言われたので
ペテロは舟からおり
水の上を歩いてイエスのところへ行った
しかし、風を見て恐ろしくなり
そしておぼれかけたので、彼は叫んで
『主よ、お助けください』と言った
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』」
(マタイによる福音書14章29-31節)


イエスの元に集まってきていた群衆を解散させた後
弟子たちは舟に乗るよう命じられました
イエスはひとり山に登って祈った後
その頃、逆風で波に悩まされている舟のところまで
水の上を歩いて近づいて行ったので
弟子たちはそれを幽霊だと思って恐れました

それがイエスであることがわかったため
ペテロは自分も水の上を歩いて
イエスの元へ行かせてくださいと願いでて
そして現実に水の上を歩いて近づいていましたが
ふと風を見て恐ろしくなったことから
おぼれかけたのです

水の上を歩いているイエスを見て幽霊だと思って恐れ
また
せっかく水の上を歩いていたのに
風に目を移して恐れ、おぼれそうになる
その様子を見て
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』
と言われる弟子たちの姿は
日々さまざまな試みに心揺らぐわたしたちと重なります

救われていても
信仰生活を続けていても
なお持ち続けている自分の固定観念によって
人の心には常に”恐れ”がつきものです

水の上を人が歩けるはずがないとの固定観念から
弟子たちはそれがイエスであることがわかりませんでした
すぐそばにイエスがおられるのに心騒ぎ
『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』
そういわれるまで誰も気付かなかったのです

今自分が置かれている境遇がどのようなところであっても
イエスを信じ、共に歩んでいけば大丈夫と
その信仰の重要性がみことばを通して教えられるわけですが
現実には
人間パニックになるとそれまでの経験が信仰に生かされず
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』
と言われる行動を繰り返すものでもあります

ここマタイによる福音書14章は
5つのパンと2匹の魚で5千人が養われた奇跡が記されていて
その奇跡を見た直後でありながらも
弟子たちはやはり不信仰によるパニックに陥っているのです

わたしたちも困ったことが起こるとしばしばパニックに陥りますが
その側ですでにイエスさまは
『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』
と語ってくださっているわけです
でもそれが人にはなかなかわかりません

ペテロはその言葉を信じて水の上に一歩を踏み出しました
イエスの元に近づこうとすることだけに専念しているうちは良かったのですが
結局風を恐れておぼれそうになっています

「神のことばは生きていて
力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて
精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして
心の思いと志とを見分けることができる」
(ヘブル人への手紙4章12節)


本当にイエスとともに歩む平安な人生を求めるなら
聖書のみことばを生きた神の言葉として受け入れ
心の中をすべて見られていることを知り
いよいよその心が神に向いていくように
自分を制していく必要があります

人間ですから当然迷いや間違いはありますし
何度でも間違いを繰り返すこともあるでしょう
それでも少しでもその心が神に向くように踏み出していくなら
必ず助けは与えられます

「だれもふたりの主人に兼ね仕えることはできない
一方を憎んで他方を愛し
あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである
あなたがたは神と富とに兼ね仕えることはできない」
(マタイによる福音書6章24節)


わたしたちの心が神に向くために妨げになるもの
それをこのみことばは教えています
お金は生きていくためには必要不可欠であり
少しでも経済的にゆとりがあって安心したいと思うので自然のことです
ところが問題なのは
お金の方に心が奪われてしまうと
自動的に神さまの方からは目が離れ
豊かになればなるほど安心して
神さまも必要ないと思うようになっていくのが人の常であり
弱さでもあるのです

だからといってわざと自ら貧しくなる必要はなく
要は与えられたもので満足し
感謝することを目標としていけばいいのですが
極端な清貧に走るとそれが偽善や傲慢につながる場合もあり
どう生きていけばいいのかについて
みことばを通して正しく教えられていかなくてはなりません

信仰生活をするに当たって大切なことは
”富や名誉を得ること=神の証”という信仰に走らないことです
富や名誉を得ることを目標とする信仰は
結果的には神の栄光ではなく自分の誇りにつながり
足元をすくわれるもととなります

現実には
よし、自分がいっちょう祈ってすごい人間になってやるぞ!と
そんな野心をもって信仰しようとする人もあり
そういう人は表向き信仰しつつも神に目が向いていないので
わかりきった詐欺に引っかかったり
しなくていいはずの失敗を繰り返しがちです

誰でも経済的に豊かであることが理想ですが
豊かであるがゆえに安心感で油断するよりも
ある程度の緊張感の中にある方が
心は神さまに対して向きやすいものです
考えてみれば
わたしたちはぎりぎりのところで助けられることも多く
常にその心を見られているようです

いつまでも同じところをぐるぐる回る”堂々巡り”の信仰生活にならないように
自分の根本的な思いや考え方を省みて
それを聖書のみことばに照らしあわせながら
悔い改めるべきところは悔い改めて
いよいよ神に近づくことができますようにと
祈って進んでいきましょう

イエスさまは走れない人に走ることを要求するような
理不尽な神さまではありません
闇雲に信仰信仰と無茶なことをする必要はありませんが
一方、ここという時には踏み出す勇気も必要です

「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」
(マタイによる福音書8章26節)


”信仰の薄い者”に対するみことばはたくさん登場します
それほど人はなかなか信仰がしっかりつかめず
心揺らぐことが多いからです
だからこそ聖書に親しみ、教えられ
どんなところにあっても恐れで神を見失うことがありませんように
確かな信仰を積み重ねていきたいものです




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