今週のみことば


8月12日

「あなたがたは知らないのか
競技場で走る者は、みな走りはするが
賞を得る者はひとりだけである
あなたがたも賞を得るように走りなさい
しかし、すべて競技をする者は何事にも節制をする
彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが
わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである」
(コリント人への第一の手紙9章24-25節)


わたしたちの人生にはそれぞれの道があります
そこをただ闇雲に突っ走るのではなく
神さまから与えられた使命に従い
目標に向かってまっすぐ走っていくわけですが
その際には
自分の心を制していくことが重要で
それはちょうど
競技者が勝利のために何事をも節制していくのと同じです

神にある者の人生の目標は
”神に似る者”となること
そのためには
今自分の心の中にある不健全な思いを取り除くべく
「すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである」(27節)
とのみことばに従って進んでいくのです

「わたしは前の手紙で
不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが
それは、この世の不品行な者、貪欲な者
略奪する者、偶像礼拝をする者などと
全然交際してはいけないと言ったのではない
もしそうだとしたら
あなたがたはこの世から出て行かねばならない

しかし、わたしが実際に書いたのは
兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者
人をそしる者、酒に酔うもの、略奪をする者があれば
そんな人と交際をしてはいけない
食事を共にしてもいけない、ということであった

外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか
あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか
外の人たちは、神がさばくのである
その悪人をあなた方の中から除いてしまいなさい」
(コリント人への第一の手紙5章9-13節)

洗礼と聖霊を受けて救われていても
人はそれで完全になるわけではありません
それだのに
すでに神によって聖別されたものは
そうでない世の中の人々との交際をするべきではないと
勘違いしている人があります

確かに、神さまを知らない人々の中には
不品行な者、貪欲な者
略奪する者、偶像礼拝をする者などといった存在があり
軽いものを含めれば多くの人がこれに属すわけですが
(偶像礼拝などはかなりの人が当てはまるでしょう)
もしそういう人たちと一切交際してはならないのであるなら
わたしたちはもはやこの世で暮らすことはできません

それどころか
このような神に喜ばれない存在は
救われた者の中にもなお存在していて
パウロはその方が問題だと指摘しているのです

現実には
人の心の中には
神から喜ばれないところの思い(欲)が根強く残っており
クリスチャンとして歩むうちに
いかにそういったものを取り除くかが課題となるわけです

「外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか
あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか
外の人たちは、神がさばくのである
その悪人をあなた方の中から除いてしまいなさい」

また
人はしばしば自分以外の存在を裁こうとしますが
人が裁くべきなのは自分自身の内側であり
自分の心の中にある悪人を取り除くべく
謙虚になって祈っていかなくてはならないのです

しかし
自分の心の中にある思いを取り除くのは簡単ではありません
人よりも優位でありたい気持ちや
妬む心
お金や物への執着
更に
神さまへの不信感などから
人の心は常に揺らいでいます

それらに打ち勝つためには
「すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである」
というわけですが
これは決して自分の頑張りに頼ると言う意味ではなく
そのように努力するところに神さまが働いて
力を与えてくださるのです
人の頑張りでその心を変えることは難しいが
人にはできないことも神にはできる
そう信じて歩む信仰が大切です

マタイによる福音書19章には
ある青年が
「先生、永遠の生命を得るためにはどんなことをしたらいいでしょうか」
と、イエスさまにたずねています
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』
『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』
と言われて
これらはすべて守っていると自負する青年でしたが
『もしあなたが完全になりたいと思うなら
帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい
そうすれば天に宝を持つようになろう
そしてわたしに従ってきなさい』
といわれた時には悲しみながら立ち去っていきました
彼はたくさんの資産を持っていたからでした

「それからイエスは弟子たちに言われた
『よく聞きなさい
富んでいる者が天国にはいるのはむずかしいものである
また、あなたがたに言うが
富んでいる者が神の国に入るよりは
らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい』
弟子たちはこれを聞いて非常に驚いていった
『では、誰が救われることができるのだろう』
イエスは彼らを見つめて言われた
『人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない』」
(マタイによる福音書19章23-26節)

この”なんでもできる神”によって
わたしたちは少しずつ整えられていかなくてはなりません
これからもまず自分の内側を省みて
神に喜ばれるものとなっていきましょう




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