今週のみことば


8月18日

「ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが
共謀してその代金をごまかし
一部だけを持ってきて使徒たちの足もとに置いた
そこでペテロが言った
『アナニヤよ、どうしてあなたは自分の心をサタンに奪われて
聖霊をあざむき、地所の代金をごまかしたのか
売らずに残しておけばあなたのものであり
売ってしまってもあなたの自由になったはずではないか
どうしてこんなことをする気になったのか
あなたは人をあざむいたのではなくて、神をあざむいたのだ』
アナニヤはこの言葉を聞いているうちに倒れて息が絶えた」
(使徒行伝5章1-5節)


聖霊降臨後
弟子たちは力を与えられて伝道活動を開始しましたが
彼らの言葉を信じた人々は
心と思いをひとつにして
自分の持っている資産を売り
使徒たちのところへ持ってくるようになりました

資産を持っている人々がこうして捧げ物をする様子を見て
アナニヤと妻のサッピラも自分の資産を売りましたが
代金を全部持ってくるのが惜しくなったのでしょう
アナニヤは売れた金額をごまかして少なく持ってきたところ
その心はたちどころに見破られてしまいました
続く7節からは
このことを知らない妻のサッピラが
やはり売れた代金をごまかしている会話が出てきます

捧げ物の話は
聞き方によっては誤解を生じやすいので注意が必要です
ここでは、アナニヤ夫妻が持ってきた金額が
小額だったことが問題なのではありません
捧げ物をするもしないも自由なのですから
惜しいと思えば最初から資産を売らなければよかったわけですし
もし全額持っていくことが惜しければ
正直に言って一部を持っていけばよかったのです
それを彼らはごまかそうとした
一体どうしてでしょうか?

人間には潜在的に
「人によく思われたい」「格好よく見られたい」という気持ちがあります
いい格好をしようとすると
つい人目を気にしてウソをつくこともあるでしょう
しかし
ウソをつくことでかえって信用は失われていきます

クリスチャンは本来「神の装い」に頼っていけばいいのですが
やはり自らがいい格好をしようとする場合があり
その結果、間違いに陥ることもあるのです
神の前に人間的な工作は厳禁です

『あなたは人をあざむいたのではなくて、神をあざむいたのだ』
アナニヤの行為に対する結果は厳しいものでした
そもそも彼らにとって神さまとは
人間がごまかしてもわからない程度の存在であり
彼らが心の中で神を侮り、偽っていることが
その行為によって明らかになったのです

アナニヤのみならず
人間は誰でも「惜しい」という気持ちがあり
同時に「見栄」もあることから
結果的にごまかしたくなることもあるでしょう
これは何も金銭の問題だけを言っているのではなく
神がどれほど大きな存在であるかわかっていれば
神を侮るようなウソをつくことはできません
アナニヤ夫妻は神を侮ることで自らの身を滅ばしたのです

わたしたちは常に神からその心を見られています
それを理解せず、正直に生きようとしないなら
その心に信仰が育たないばかりか
信仰そのものも死んだような状態に陥ってしまう危険性を
ここでは教えられます

ここのみことばを単なる物語として読むならば
非常に厳しく感じられるかもしれません
しかし
聖書はクリスチャンの歩む指針が記されているものですから
そこから核心部分をきちんとつかんでいくことが大切です
それは
神がわたしたちに求めているものは心だということ
神の前に正直に生きるべきこと
何よりも神の存在を絶対的なものとして認識することです

人は自分の思うように事が運ばなかったり
行き詰まったりすると
割と簡単に「死にたい」とか「生きている価値がない」
などと言う場合がありますが
こうして造られ、生かされているのに
自ら死にたいと思うのは
ある意味傲慢なことでもあります

神の手に支えられて
こうして今日まで生かされていることを知っていれば
「自分はダメだ」と思うことはあっても
「死にたい」とは思わないはずなのです
そのためにも
神の恵みを理解し、感謝する日々でありますように
その心に信仰を養っていかなくてはなりません

このように
人の心には色々な思いがわいてくるものですが
その思いが神から出ていない場合には事は良い方向へは進まず
神から出ている場合には証が伴いますから
自分で焦って結論を出してしまわず
神の導きをよく見ていくことが大切です

「その企てや、しわざが
人間から出たものなら自滅するだろう
しかし
もし神から出たものなら
あの人たちを滅ぼすことはできまい
まかり間違えば
諸君は神を敵にまわすことになるかもしれない」
(使徒行伝5章38-39章)


使徒たちは十字架にかけられたイエスが
救い主キリストであることを堂々と述べ伝え
公の場で人々の病を癒したので
自分たちの立場が悪くなることを恐れた大祭司たちは
彼らを捕らえて殺そうと図ります
そこで
国民全体に尊敬されていた律法学者が
議会において
使徒たちをしばらくのあいだ外に出すよう要求します
そこで語られたのが上記のみことばでした

それまでにも
いわゆる教祖のような人が出てきて
多くの人心を惑わす出来事がありましたが
それらは神から出たものではなかったため
自然に消滅していきました
ならば
この使徒たちのことについても
神から出たものかどうか見守りましょうというのです

「主に向かっては知恵も悟りも
計りごとも、なんの役にも立たない
戦いの日のために馬を備える
しかし勝利は主による」
(箴言21章30-31節)


神から出ていないもので
世の中には華々しいものがたくさんあります
ところが
神から出るもの=華々しいものに違いないと
信じている人は少なくないため
人はどうしても華やかな方向へと惹かれて行くのですが
聖書によれば
神の御旨は人の考えとは別のところにある場合も多いです

人が良かれと思ってすることが
すべて正しくて上手くいくとは限らず
かえって無駄になることもあるでしょう
また
戦いは立派な大軍がいなくても
神の力によって勝利をおさめることができています
すべては神の一人舞台なのです

神の前に己を低くして正直に歩むことを大切にし
その限りない許しのうちに
日々成長する者でありますように




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