今週のみことば


9月2日

「兄弟たちよ、あなたがたが召されたのは
実に、自由を得るためである
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで
愛を持って互いに仕えなさい」
(ガラテヤ人への手紙5章13節)


わたしたちがこうして神の元に召し集められたのは
洗礼と聖霊による救いを受け
本当の自由を得るためでした

ただ単に”自由”といえば
誰しも持っているもののように思われますが
昔も今も
世の中で定められた無意味な慣習にがんじがらめになったり
自分を大きく見せたいがために見栄を張るなど
世の中の価値観に支配されて
多くの人がその奴隷となっています

実際に
救われているはずのクリスチャンであっても
なお世の中の価値観の中で心揺らぎ
自ら自由を失っている人もあるのではないでしょうか

お金やもの、家柄、学歴、容姿など
目に見えるものばかりに心を奪われるほど
不自由なことはありません
もしそのようなものを十分に備えている人があったとしても
自分の命までは自由にはなりませんし
時の流れを支配することもできないのです
いつかそれらが失われていくかもしれない
そんな測り知れない不安の中に暮らすことは
決して幸せとはいえないでしょう

わたしたちは今
なぜイエスさまは十字架にかかり血を流したのか
その意味をもうひとたび深く考えてみるべきです
それによって
尊い血にあずかる洗礼を与えられ
イエスさまご自身である聖霊を内側にいただいている
それならば
自分がそれにふさわしく成長するために
聖書のみことばに背を向けることなく
耳に痛い言葉も真摯に受け止め
自分の内側で聖霊が働きやすくなるよう
しっかりと容量を確保しなくてはなりません

誰がなんと言っても
クリスチャンはキリストにつく者であり
聖書に従うものです
人の言葉に惑わされることなく
あくまでも神の言葉に従うのです

このようにして
神による真の自由を与えられた者は
ただ自由だといって好き勝手にふるまうのではなく
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』
とのみことばに従っていかなくてはなりません

「気をつけるがよい
もし互いにかみあい、食い合っているなら
あなたがたは互いに滅ぼされてしまうだろう」(15節)

せっかく救われていながら
みことばに従うこともなく
自らの成長もないままであるなら
このようなことにもなりかねないでしょう

わたしたちは
”見せかけのものに捕われる不自由”から解き放たれたのです
そのことに深く感謝して
自ら再び不自由な道へ戻っていくことがないように
心豊かな人として
日々成長させていただきたいものです

「作り話や果てしのない系図などに
気をとられることもないように、命じなさい
そのようなことは信仰による神の務めを果たすものではなく
むしろ論議を引き起させるだけのものである
わたしのこの命令は
清い心と正しい良心と
偽りのない信仰から出てくる愛を目標としている
ある人々は
これらのものからそれて空論に走り
律法の教師たることを志していながら
自分の言っていることも主張していることも
わからないでいる」
(テモテへの第一の手紙1章4-7節)

昔から
聖書をめぐってさまざまな議論が展開され
色々な”説”も存在します
しかし
問題はそれがしばしば議論に終始し
ここでパウロが述べる”目標”からはかけ離れてしまうことです

わたしたちが聖書を読む時の目標は
「 清い心と正しい良心と
偽りのない信仰から出てくる愛」

議論は争いとなって最後はこうなります
「気をつけるがよい
もし互いにかみあい、食い合っているなら
あなたがたは互いに滅ぼされてしまうだろう」

信仰の目的は神の愛を持つことです
そして
崇められるべきは唯一の神であるイエス・キリストのみ
決して人ではありません

この殺伐とした世の中にあっても
わたしたちの心の中にみことばが刻まれているかどうかで
その人生は大きく変わります
良い事もあれば辛い事もあるでしょう
それらを通して人は強くなっていく
信仰を持っている人は
ここを乗り越える力を与えられるのです

さまざまな可能性をもった一人一人です
神から与えられたものが生かされますように
祈って前進していきましょう




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