今週のみことば


9月16日

「しかしパロは料理役の長を木に掛けた
ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである
ところが
給仕役の長はヨセフを思い出さず忘れてしまった」
(創世記40章23節)


兄弟の妬みによって奴隷として売られたヨセフは
どんな境遇にあっても神を見上げ
神もまた彼を祝して
その手のすることをすべて栄えさせられました

冤罪で監獄に入れられている時も
彼は恵みを受け
囚人を管理する立場とされていましたが
ある日そこへ
王の怒りに触れた給仕役の長と料理役の長が入ってきます
そこで彼らはそれぞれ夢を見ますが
夢の意味を知ることができなかったので
ヨセフは彼らのために夢の解き明かしをしました

最初に夢の話をしたのは給仕役の長でした
ヨセフによると
給仕役の見た夢は
今から3日後に彼は王の前へ出されて
再び元の仕事に戻ることを許されるというものでした

その内容が良かったのをみて
今度は料理役の長が自分の見た夢の話をしました
ヨセフによると
料理役の見た夢は
今から3日後に彼は王の前に出されて
そこで木に掛けられるというものでした

それから3日後
二人は王の前に出され
それぞれヨセフの言葉の通りになりました

命拾いした給仕役の長は
そのまま2年間ヨセフのことを忘れてしまいます
彼が再びヨセフを思い出したのは
王が夢の解き明かしを求めた時でした

エジプト中の知者や魔術師を集めても誰も解き明かせなかった夢を
ヨセフは王の前で解いて見せます
”これから7年間の大豊作の後
7年間の飢饉がやってくる
今のうちに賢い人を立てて
その飢饉に備えなさい”

王はその役目をヨセフに命じます
彼はこうして奴隷〜囚人の立場より
エジプト全国の宰に抜擢されたのでした

わたしたちの人生は
すべて神さまの手の内にあります
そこには思いがけないことが起き
自分で想像したこととは別の事態が待っている

給仕役の夢の解き明かしの内容が良かったことから
料理役は自分の夢もヨセフに話したのですが
その内容は予想に反したものでした

他の人にあることが
自分にもあるとは限りません
自分の心に思ったことすべてが
正しいわけではないのです

信仰の世界は
人は人、自分は自分
常に周りと自分を見比べて
優越感に浸ったり
あるいは卑屈になったりするのではなく
神さまがわたしの人生に与えられた計画は何なのかを
ひとりひとり頭を低くして受け入れることが大切なのです

自分は何も悪いことをしていないのに
人生が悪い方にばかり転んでいくヨセフは
自分が置かれた立場でいつも変わらず神を見上げていました
神はそういう彼を祝されたので
ヨセフのすることはいつも上手くいき
そのために周りの信用を得ていきます

神にあって恵まれている人というのは
普通の人とどこが違うのかといえば
損得を考えずに
自分の人生を神にゆだねているというところでしょう
”神にある者は神に従えば必ず恵まれる”
それを信じて疑わないのです

「すべての聖徒よ、主を愛せよ
主は真実な者を守られるが
おごりふるまう者にはしたたかに報いられる
すべて主を待ち望む者よ
強くあれ、心を雄々しくせよ」
(詩篇31篇23-24節)

知らないうちに人は自分を正しいと高ぶった思いを持ち
教えられることが少なくなっているものです
そのため
自分の人生はこうなるべきだと自分で決めて
それがならないと不平をいう

しかし
神にあるものの人生は
神が崇められればそれで良しです
恥はわがもの、栄光は神のもの
人は所詮ちりから造られ
大した者ではないのだと
それがわかっていれば
人生は楽に歩めるのです

人は生きている間に色々なものを失いながら
別のものを得ていきます
失うことすべてが悪いことではなく
神から与えられるものに目をとめれば
得るものの方が多くなるでしょう

監獄にあってその後2年も忘れ去られていたヨセフ
それでも彼は
神にある者はどんな時にも何とかなることを知っていました

神の存在、計画、力を認め
それを受け入れる人は
神から与えられた恵みを見つけやすくなるので
それを感謝し
ますます恵まれる人となっていきます

各々与えられた自分のスタイルを活かして
その人生を感謝して歩んでいきましょう
もし病気や悩みがあっても
それを持ちながら平安に生きることは可能です

神さまは世の中に必要のないものはひとつも造っていません
受け入れ難い試練もありますが
そこを神と共に生きることで
幸いなところへと引き上げられる希望が与えられるのです

「主なる神は土のちりで人を造り
命の息をその鼻に吹きいれられた
そこで人は生きた者となった」
(創世記2章7節)

どんなひとも元は土のちりであり
神によって生かされている
そのことをよくよく認識し
生かされていることに感謝して進んでいきましょう



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