混乱の渦中にある時には
  
神様による助けの道が開けていることには
   なかなか気が付かないが
   人生を定期的に振り返る事で
   自分が如何に助けられてきたかと言うことを
   今回の『紅海の奇跡』によっても
   再認識することができる
 

出エジプト記 第1317節より

大量の分捕り物を持って
エジプトを発ったイスラエル一行ですが
このイスラエルが
次に目指す場所はカナンの地です

ここで神様は
イスラエルを導いていましたが
あえて最短経路では移動させませんでした
最短経路と言うのは
地中海沿いを北上するルートです
しかし、実際に神様が導いたのは
紅海沿いにシナイ半島を遠回りするルートでした

その隊列の先頭には
常に夜は火の柱、昼は雲の柱があり
彼らを導いていました
当時は地図と言う物自体が
誰にでも手に入れられるものではありませんし
当然ながら大半のイスラエルの民は
エジプトから出た事もありませんから
どこへどの様なルートで向かえば良いのか分かりません
恐らく自分達が
どこを通ってどこに向かっているのか
それを理解していたのは
ミデアンの地で羊飼いを経験しているモーセだけだったと思われます
ですから常に
この2種類の柱がイスラエルを導いていました

歴代志略下513節では
ソロモンの神殿が完成し
そこで主を賛美している際に
雲が神殿に満ちたとあります
そしてその雲とは
”主の栄光”であると書いてあります
ですからこの時に
イスラエルを率いた雲の柱、そして火の柱は
神様の臨在そのものであり
エジプトから脱出するイスラエルと
それを守るとの神様との約束が
具現化された存在であるのです

コリント前書第101節を見ると
「雲の下」と書かれています
特にエジプトと言うのは
砂漠気候に覆われるエリアであり
日中は強い日差しで暑く
逆に夜間は冷え込む寒暖差の大きい地帯でもあります
ですから昼の雲の柱は
強い日差しをさえぎり
夜の火の柱はイスラエルの民を温め
着の身着のままで飛び出してきたイスラエルの民を率い
そして守っていたとも言えるわけです

またこの時にモーセは
ヨセフの骨を携えていました
これは以前に触れた所ではありますが
創世記第5025節でヨセフが死の間際に
息子達へ向けて遺した言葉でした
このヨセフの遺言は
イスラエルにとって1つの目標であり
長い奴隷生活の中で
「いつの日かヨセフの遺骨を約束の地へ」と
語り継がれていたのです

さてこの様にして
導かれて行くイスラエルの民ですが
ここで神様はモーセに対して1つの命令をします
順調に進んでいたイスラエルの民を引き戻させ
荒野の手前や海辺で宿営させなさいと
それはまるでイスラエルの民が
大自然を前に行く手を阻まれ
右往左往して迷っている様に見える動きでした
このタイミングで神様は
再びエジプト王の心を頑(かたく)なにし
そして迷走している様に見えるイスラエルの民を
再び捕らえる為に
精鋭の軍を出動させたのでした

こうしてエジプト軍は
イスラエルの民に追いつきますが
これによってイスラエルの民は
山と海とエジプト軍によって
取り囲まれる様な状況に陥りました
そしてその様子を見たイスラエルの民は非常に驚き
また神様やモーセに対して叫んで言います

「我々をエジプトから連れ出したのは
エジプトに墓が無いから
荒野で死なせる為だったのか」

「何の為にエジプトから出て来たのか」

「我々はエジプトから出たいなんて言っていない」
等と口々に思いを口にしました

ここでモーセはあわてふためくイスラエルの民に
落ち着く様に伝え
そして今から行われる神様の救いを見る様に伝えます
もう二度とエジプトを見なくとも済む様に
その為に神様がエジプト軍に対して戦い勝利を得る
その姿を目に焼き付けなさいと伝えました

ここからの展開は恐らく聖書の中でも
トップクラスに有名な場面ですね
神様からの指示通りに
モーセが海に向かって手を揚げると
強い風により海が2つに割れて
乾いた地面が現れます
そこをイスラエルの民が渡って行きますが
その後ろからエジプト軍も追いかけてきました
ところが神様が
エジプト軍の行動を乱した事で彼らは進めなくなり
エジプト軍はイスラエルの神が
自分達と戦っている事に気が付きます
ですが既に時遅し
モーセが再び手を揚げると
割れた海が元に戻り
追いかけて来たエジプト軍は
海の底に沈んでいきました

この紅海を渡ると言う
余りにも有名な聖書のエピソードについて考えてみると
1つはイスラエルの民に対して
「全能の神」である事を示す為
そしてもう1つは
コリント前書第102節を見ると
「雲と海とにてバプテスマを受け」とあるように
つまりバプテスマを受けて救われ
これによりエジプトでの奴隷人生という
しばられた過去から解放され
そして主の導きにより約束の地へ向かう・・・
この物語を通じて
イエス様による”新たな救いの到来”が
暗示されている訳ですが
同時に私達も救いに預かる身として
自分の思いから解放され
イエス様により約束の地へ導かれて行く
その様に思いながら今日の部分を読み返した時に
四面楚歌・背水の陣と言った
逃げ場の無い状況に追い込まれている様に見えて
神様の前には
ちゃんと試練に対する逃げ道が用意されていること
そして神様の御業と言うのは目の前だけでなく
振り返った時にも
その意味を理解する事が出来る・・・
と言う事がわかります

イスラエルの民は
エジプト軍から逃げる為に必死ですから
目の前で海が割れて道が開けると
必死に逃げた事でしょう
渡り終わって振り返った時に
海に沈んでいくエジプト軍の姿が見えて来る
その時に初めて
全能の神に対する畏れを抱いたのではないかと思います

私達も渦中にある時には
中々神様による道が開けていることには
気が付き辛いものですが
定期的に振り返る事で
自分が如何に助けられてきたかと言うことを
今回の紅海の場面を通して
再確認するきっかけになればと思うところです