これから40年続く荒野の旅路において
  まず、メラの水の奇跡があり
  次にマナやウズラの奇跡があるわけですが
  これら一連の奇跡について
  全て神様の意図は
  イスラエルの民に対して掟を守る事を教え
  また彼らがそれに対して従うかどうか
  その信仰を試みるものでした

 

出エジプト記 第151節より

エジプト軍に追われたモーセとイスラエルの民でしたが
紅海を割ると言う神の大いなる業を体験し
感謝に包まれていました
ここから始まる歌と言うのは
イスラエルが神様によって救われた歴史を
伝える内容となっています

特に11節では
「神の中に誰か汝に如くものあらん」とある様に
世の中に存在する様々な神の中で
奇跡の業を目の前で起こし民を救ったのは
エホバ神だけであると歌っています
つまり自分達の信じる神様はエホバであり
他の何物でもないと言う事ですね

また続けてこの神様の大いなる御業は
周辺の民に畏れを抱かせ
ペリシテ、エドム、モアブ、カナンと言った
イスラエルと敵対する民族にも
大きな影響を与えるとしています

ペリシテ人は
この後にも嫌と言うほど聖書に登場してきますが
そのルーツは
ノアの息子であるセム・ハム・ヤペテの中から
ハムの子孫となります
ハムは父親ノアが
酒に酔って裸で寝ているのを見つけて
それを兄弟に告げ口した事で父ノアから
「呪われよ」と言われた息子です
そしてセムの奴隷として
ハムは落とされて行く訳ですが
このセムの子孫であるイスラエルに対して
ハムの子孫であるペリシテ人は
事あるごとに干渉していく事となります

エドムはヤコブの兄弟エサウの子孫であり
家督の権を軽視した事で
メシアの系譜から外されて行った民族です

モアブはソドムとゴモラから脱出したロトと
長女との間に産まれた息子がルーツとなります

カナン人は約束の地であるカナンに
元から定住している民族の事ですね
これらの民族に対してイスラエルは聖別され
神様の特別な守りの内に
導かれて行くと歌っています

また続いて
アロンの姉である女預言者のミリアムが登場し
このミリアムが先導する形で
イスラエルの女性が踊りを捧げて行きました
ここで初めてミリアムは登場しますが
アロンの姉と言う事はモーセにとっても姉であり
かつてモーセが生まれ川に捨てられた際に
その行方を心配して眺めていた「姉」であり
またエジプト王女に乳母として実母を連れて来たのが
このミリアムでした

さて、この様にして
出エジプト最大の難関を突破した
イスラエル一行でした
何せ場所が場所なだけに
荒野が広がっています
中東と言うと砂漠のイメージが強いですが
実際にはこの様に岩場が広がり
植物がまばらにしか生えていない荒野も
多く存在します

紅海を超えて来たイスラエルの一行は
この荒野を三日間移動しましたが
水にあり付けませんでした
ようやく到達したメラと言う場所の水は苦く
飲むことが出来なかったので
水不足に悩まされます

ここでイスラエルの民は
「飲める水が欲しい」と言ってモーセに迫り
モーセは困って神様に尋ねました
すると神様はモーセに対して1本の木を示します
そして「この木を水に投げ入れれば
甘い水となり飲むことが出来る」と伝えます
モーセがその通りにすると
水が飲めるようになりました

ここで神様はモーセとイスラエルに対して
”掟(おきて)と法”を与えました
これは後に出て来る”モーセの十戒”ではなく
これから続く荒野の旅の中で
神様が様々な場面で「こうしなさい」と言う掟を
イスラエルに与えたのです

その掟は神様の御心であり
神の前に正しい行いである訳ですが
それを全て
イスラエルが守れるのかと言う試み
そして守るなら
エジプトにもたらされた様な病気を
イスラエルには与えないと約束します

こうして三日間荒野を旅した彼らは
エリムと呼ばれる場所に到着し
そこには水場が多くあったので宿営しました

エリムを出発したイスラエル一行ですが
シンと呼ばれる荒野を通ります
ですが先ほどの荒野で
水が不足したのと同じ様に
今度は食べ物が不足しました
そこでイスラエルの民は
モーセとアロンに対して文句を言います
これに対して神様は
「天からパンを降らせるから
毎日必要な分だけを集めるように」と命じます

その内容は、夕方になると
うずらの集団が飛んできて食料となり
夜が明けると朝露が蒸発してマナが与えられ
これらの神様から与えられる食料を
その日に必要な分だけ集める様にと言う掟でした

モーセはこの食料について
「誰も翌朝まで残してはならない」
と言いましたが
イスラエルの民の中には
翌日まで持ち越す人間が現れます
ところが翌朝になると
肉は虫が付いて臭くなり食べられず
マナは溶けてしまったとあります

また六日目だけは
翌日が安息日だったので
二日分集める事になっていました
調理も含めて翌日分を確保しなさい
と言う掟でしたが
実際に七日目になると
イスラエルの民の中には
食料を探しに出て行く人間が現れます
あれほど七日目には食料は降らない
と言われていましたが
人間の浅はかな考えで
六日日間降って来たのだから
七日目もあるのではないか
と考えてしまうのです

最後にこのマナについて
モーセはイスラエルの民に対して
壺を用意して
1オメル分を蓄える様にと伝えます
オメルと言うのは量の単位であり
私達の分かり易い量に換算すると
約2リットル程度だとの事です
この1オメルのマナは
出エジプトからイスラエルに与えられた
神様からの祝福の証であり
このマナの壺は
契約の箱に納められ
イスラエルの間で代々継がれて行きました

さて、今回は「前置きの話」として
”人間の意識”についてお話ししましたが
(「前置きの話」はこちらを参照)
人間は意識によって記憶をコントロールし
その記憶が経験として蓄積します
そして、この蓄積した経験の延長線上でしか
物事を考えられない生き物なので
神様の御業と言うものが
その枠組みに捕らわれない形で現れて来る事が
想像つかないものです
つまり
経験したことがないことはわからないし
想像もできない
そのため
紅海における神の助けを経験しても
次は水がない、食べ物がない等
試練の内容が変われば
そのたびに不安になり
モーセに詰め寄っています
それだけ人間の意識というのは
簡単には変わらない
そして各々勝手な想像で行動する・・
そんな弱さが
今後も浮き彫りになっていくのです

これから40年続く荒野の旅路において
まず、メラの水の奇跡があり
次にマナや
ウズラの奇跡があるわけですが
これら一連の奇跡について
全て神様の意図は
イスラエルの民に対して
掟を守る事を教え
また彼らがそれに対して従うかどうか
その信仰を試みるものでした

特に彼らはエジプトに置いて
何百年も奴隷生活をやっていますから
当然ながら自由と言う物を
体験したことが無い集団です
突然解放されて自由が与えられると
暴走しかねません
ですから
このタイミングで掟が与えられるのは
イスラエルが神様によって
統治されて行く下地を作るために
必要なことだったのです