ヨセフと再会したヤコブが
  人生の最後にイスラエルとして預言した
  神さまから示された12部族の未来は
  とてつもなく長いスケールの時間軸で語られており
  現在もその内容は完結に至っていない
 

創世記45章より

ヨセフの兄弟が来たという話は
王様の知るところとなり
王様はそのことを大変喜んだとあります
そして親兄弟をエジプトへ連れてきたら良いとも
ヨセフにつげています
エジプトで最良の土地と最良の物を与え
生活を保証すると王様が言ってくれたわけです

ヨセフと再会した息子達が
父ヤコブの元に帰り
ヨセフが生きている旨を伝えました
最初は受け入れられなかったヤコブですが
ヨセフがつかわせた車
(恐らく時代的に馬車か牛車ですが)
それを見るとサすがに認めざるを得ませんでした
そこで死ぬ前にもう一度ヨセフに会いたいと
力を取り戻し
ヤコブ(イスラエル)は
エジプトへ下る事となりました

ヨセフがエジプトを統治していた時代と言うのは
エジプト王の歴史の中でも特殊な時期でした
この時代のエジプトは中王国時代と呼ばれ
古代から続く王朝が倒れ
アジア系の遊牧民であるヒクソスが統治していました
ですから牢につながれていたヨセフが
パロに見出されたのも
パロ自身がエジプトの外からやってきた存在であり
同じ様に外国人であるヨセフを用いたのも
イスラエルの寄留を認めたのも
この様な時代背景があったからです

この後の出エジプト記に入ると
すぐに「ヨセフのことを知らない新しい王様」が登場します
つまりヒクソスが統治した時代が終わり
元のエジプト人による統治へ回帰したわけです
これによりイスラエルは
寄留者から奴隷へと落とされて行きます

イスラエルがエジプトへ下る事について
ヤコブの中では不安がありました
それは今住んでいる地は
祖父アブラハムの時代から
イスラエルに対して神様が与えた土地
この土地は
イスラエルが継承して行く必要があるはずなのに
イスラエルは今カナンを離れて
エジプトへ行こうとしている・・・
ヤコブの中ではヨセフの一件が
神様からもたらされたものであると理解しつつも
相反する様に思える神様のご計画に対して
迷いが生じています
そこで幻の中で神様が現れ
ヤコブに対してエジプトへ下る様に明確に指示をしています
またヤコブがエジプトで最期を迎えること
いずれ出エジプトを果たして
カナンへ帰って来る事も予言されています
こうしてイスラエルはエジプトへ下って行きました

エジプトへ到着したイスラエル一行は
ゴシェンの地へ入りました
ここはヨセフから用意された
イスラエルが寄留する土地です
一族の到着を報告するために
ユダがヨセフの元に派遣され
これを受けてヨセフは
ゴシェンの地へ向かいました

そこでヨセフとヤコブは再会し
ファラオとの謁見を経て
イスラエルの寄留が決定しました
ここからヤコブはエジプトで17年間を過ごしましたが
いよいよ自分の人生の終わりを悟ります
そこでヨセフの2人の子
マナセとエフライムを祝福する事にしました

ちなみにヨセフの子と書きましたが
年齢的には20歳くらいになっています
ヤコブから祝福を受ける為に
ヨセフはヤコブに向かって左側にマナセを
右側にエフライムを着かせました
これによりヤコブが両手を延ばせば
重要な意味を持つ右手は長男マナセへ
そしてエフライムには左手が置かれる形になります
ところがヤコブは両手を交差させ
エフライムの上に右手を
マナセの上に左手を置きました
これを見てヨセフは父が間違ったのだと思い
エフライムの上から右手をマナセへと移させようとします
しかしそれはヤコブも分かってやっていることでした
ヤコブはエフライムの方がマナセよりも
多くの子孫に恵まれると理由をつげています

確かにこの後
エフライム族からヨシュアが登場します
また更に先の後の時代
サウル王からダビデ、ソロモンと
栄華を極めたイスラエル王国は
ソロモンの死後に北イスラエル王国と
南イスラエル王国に分かれて行きます
そしてこの北イスラエル王国の初代国王が
エフライム族出身であった事から
北イスラエルがエフライムと呼ばれて行く様になりました
ちなみに南イスラエルに属していたのが
ユダとベニヤミン族であり
それ以外の10部族が北イスラエルに属しています
そしてアッシリアによって北イスラエルが滅ぼされ
この10部族がどこに散って行ったのか
歴史的に分からなくなりました
これがいわゆる「失われた10支族」です

49章から、ヤコブは12人の息子に対して
予言を残しています

この予言は後の日とある様に
明日明後日ではなく
イスラエルの12部族がどの様に広がって行くのか
その遠い未来までを見通した予言となります
出エジプトを果たした後にカナンの地へ帰還し
40年の間荒野でさまよった結果
カナンの地への入植を開始します
その際の土地の分け方についても触れつつ
ポイントを絞って見て行きましょう

ルベンは長子です
現代社会においても長子
特に家業を持っている家に産まれた長男と言うのは
責任重大です
現代だと長男ではなくとも
長女や次男が継いでも不思議ではありません
それでも長男と言うのは
幼い頃から擦り込みと言われたらそれまでですが
やはり一種の覚悟を持って成長するものです
ましてや家父長制の時代
聖書に登場する時代背景の中で
長男には相応の責任と
一方でそれに対する祝福が与えられます
ところがルベンはその自覚が弱く
かつて父ヤコブの妾であるビルハと寝た罪により
長子の権を失いました
また、時代が進み
出エジプトからカナンの地へ入る際には
戦いに参加しようとしないルベン族を
モーセが叱っています(民数記326)
この時にモーセは
イスラエルとしての一体感を強調し
それをないがしろにするルベン族に対して
「イスラエルの心をくじくな」と伝えています
この様な奔放なふるまいをするルベン族の弱さを
ヤコブはここで予言しているのです

シメオンとレビは
シケムの町で暴虐を働いた罪により呪われました
またイスラエルの内に散らすとまで言われています
実際にシメオン族は明確な土地を与えられず
半分ユダ族の中に属している様な浮いた存在になりました
またレビ族は祭司の一族として残り
モーセもレビ族の出身者となります
ですが祭司であるが故に
集まって特定の場所に住む事が出来ず
結局レビ族もまた
兄弟達の土地の中に点在して生活しています

ユダは王族の家系となります
南イスラエル王国からバビロン捕囚を経て
現在のユダヤ人の祖となりました
ヤコブの予言にも「杖がユダを離れない」とあり
それはシロが来るまで続くとあります
シロと言うのはメシヤ
つまりイエス様のお生まれになるまでと言う事です
これよりアブラハム、イサク、ヤコブと来たメシヤの家系は
ユダ族に継がれて行きます
ちなみにユダ部族の末裔がダビデとソロモンです

ゼブルンは海辺に住むと予言されています
聖書には1行にも満たない記述ですが
調べると個人的に一番面白いのがゼブルンです
地図を見ると
カナンの地においてゼブルンは言わば海無し県
アシェル、ナフタリ、イッサカル、マナセの土地に囲まれた
海の無い土地を与えられています
ならばなぜヤコブは海辺と予言したのか?
それはエゼキエル書4826節に
千年王国時代のカナンの地について
12部族の境界線が変わる説明が書かれています
ここにゼブルンの土地が東の端から西の端
つまり死海から地中海までに渡って広がる事が分かります
つまりヤコブの予言と言うのは
私たちの生きている現代すらも超越した
まだ更に先の未来の予言として今も生きているわけです
ちなみにイエス様がお生まれになったナザレは
このゼブルンの土地にあります
イエス様はゼブルンの地で生まれ
ナフタリの地にあるカペナウムで福音を宣べ伝え始めました

この様にヤコブがイスラエルとして予言した
つまり神様から示された12部族の未来は
とてつもなく長いスケールの時間軸で
語られていることが分かります
エジプト中王国時代は紀元前2000年頃ですから
このヤコブの予言もその時代
現代から見れば4000年前の時代に
それだけの未来を語った
当然人間ヤコブには出来ませんが
イスラエルにはそれが出来た
それを思う時に
私達が1年、2年の単位で
願いが叶う/叶わないなどと言っていることが
如何に目先の短い話であるのかと言う事が理解できます
そして相対的に
それだけの予言を与えた神様の
スケールの大きさというものを
嫌でも理解させられるわけであります


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今日は
聖歌580番『主はガリラヤ湖の』を歌いました
「ガリラヤ湖」は
今日の聖書の話につながってきます
ガリラヤ湖は今ホットな場所であるイスラエルの
北に位置する湖であり
琵琶湖の1/4と言う大きいのか小さいのか
何とも言えないサイズ感の湖です
聖書の時代は
船で地中海を渡る事が容易ではなかったので
南の王国であるエジプトと、
ヨーロッパの国々を結ぶ交通ルートが
ガリラヤ湖を通っていました
ですから昔から
ガリラヤ湖の周りには水源もあるので
都市国家が多くあり
人の往来が多い場所だった訳です
イエス様がお生まれになったナザレは
ガリラヤ湖の西側
イエス様が拠点とされたカペナウムは
ガリラヤ湖の北側となり
福音の舞台はこのガリラヤ湖を中心として
展開されたことが分かります