神様がご計画を動かされるには時があること
  その時が来た時には
  極めて自然に事が運ぶこと
  そしてその道には困難を伴う場合があり
  しかし同時に
  その困難を乗り越えるための助けが
  必ず用意されていると言うこと

  『創世記』全体を通して知ることができる
 

創世記49章より(続き)

イッサカル、ダン、ガド、アシェルについては
時間の関係で省略します
今日はナフタリへの遺言から続きを見て行きます

ナフタリは
「美言(よきことば)をいだすなり」とありますが
これはナフタリの得た嗣業の地を見ると理解できます
ナフタリ族が得たのは
ガリラヤ湖の北側にある土地であり
ここはカペナウムがある場所です
カペナウムは後の新約の時代に入ると
イエス様の公生涯において
救いを宣べ伝え始めた場所です
ですから十二弟子の多くは
このナフタリ族の出身者である事が分かります

ヨハネ伝を見ると冒頭に
「太初に言あり、言は神と偕あり、言は神なりき」
とありますから
美言と言うのは福音の事ですね
従ってナフタリ族は
後に福音を宣べ伝えるイエス様の弟子を
多く輩出する事になる部族である事が
予言されている訳です

ヨセフについては
「泉の傍にある實を結ぶ樹の芽のごとし」とありますから
この先にヨセフ族が栄えて行く事が予言されています
そしてかつてヨセフを悩ませた「射者」
つまり彼の兄弟やポテパルの妻
また当然居たであろうヨセフの出世を妬む者
そういった外敵がヨセフを何度も襲うわけですが
それでもヨセフを
「イスラエルの岩なる牧者」が支え続けたとあります

ヨハネ伝1011節にある通り
この牧者とはイエス様の事です
ですからヨセフが
その人生において数々の困難に直面し
それでも前を向き続けられたのは
神様がそうさせたからです
1人の人間に過ぎないヨセフに
神様がバックアップをしたからこそ
その偉業が成されて行った
ではなぜヨセフにそうさせる必要があったのか
それは繰り返しになりますが
アブラハムに示された約束
つまりイスラエルが寄留の地で400年間奴隷となり
そこからいずれ引き出されてカナンの地へ帰る
と言う予言を成就させるために
その花道を用意する役割を
ヨセフは神様から与えられていたのです

ヨセフには更に
祝福の言葉が述べられています
天の福
これは申命記3313節を見ると雨による水の事です
淵の福とは
ノアの洪水の所でも良く出てきましたが
大きな水の溜まり
つまり泉に恵まれるとあります
ですからヨセフ族
もっと言えばマナセ族とエフライム族になりますが
これらは乾燥地帯にあって
潤う土地を得ていく事が出来ると分かります
さらに乳の福、胎の福とありますが
これらはヨセフ族が増え増していく事が予言されています

ここで26節から書かれている
「父の汝を祝することは
わが父の祝したる所に勝りて…」と言うのは
アブラハム、イサク共に
1人の息子にだけ祝福を授けていますが
ヤコブは12人の息子に祝福を授けていますから
ヤコブに与えられた祝福の大きさが分かります
ですがそれらの祝福は全て
ヨセフの首に帰すとあるように
ヨセフに家督の権が継がれていったのでした

ベニヤミンは
「物を噛む狼」とありますが
これはベニヤミン族の特徴が
勇敢で過激と言うところにあります
ベニヤミン族出身で有名な人物としては
サウル王や息子ヨナタンがあり
また新約の時代にあっては
パウロがベニヤミン族出身です
その恐れを知らない勇敢さ故に
士師記の後半でベニヤミン族は絶滅しかけます
それをイスラエルが人間的な方法で救済しようとし
更に状況がぐちゃぐちゃになる訳ですが
それはまた別の話。

ここまでで
ヤコブの息子達に対する遺言が終わります
ですがこれらの遺言はヤコブではなくイスラエル
つまりヤコブを通じて神様が語らしめた内容であり
全て新約の時代
更にその先にまで及ぶ長大な予言となっていました

さてこれらの遺言を残した後に
ヤコブは自分の死後
祖父アブラハム、父イサクと同じ様に
マクベラの洞穴へ遺体を葬る様に申し伝えました
そしてこれらの言葉を言い終えると
そのまま死んでいったと書かれています

ここで感慨深いのは
ヤコブと共に同じ洞窟へ葬られた妻は
レアだったと言う事です
ヤコブが愛した妻は妹のラケルでしたが
ラケルはベツレヘムへ移動する道中で
ベニヤミンを出産する際に死に
そこで葬られています
夫から愛されず
苦難の人生を歩んだレアでしたが
最期に1人だけ夫と同じ墓に葬られ
そして息子ユダを通じて
メシアの家系に組み込まれて行くと言う栄光を手にしました
ここを読むと
神さまはこうやって
バランスを取られるのだなと考えてしまいます
もちろん同じ墓云々と言うのは人間的な感情の話であり
霊的に意味のあるモノではありません
ただ日本人もそうですし
この時代のイスラエルの人達も
葬られる墓によって
家族の範囲を決めると言う感覚があった訳ですから
この当時に遺された者
そしてこの物語を読んでいる我々にも
慰めが与えられていると感じるのです

いよいよ創世記も最後の50章に入り
ヤコブの死を受けてヨセフは悲しみ
ヤコブの遺体をミイラ化させました
それはエジプトの地からカナンの地へ
移送するのに日数がかかってしまう為
腐敗を避ける目的です
エジプトにミイラの技術がある事は良く知られています
40日間かけてミイラ化し
70日間を喪に服していました
その期間が終わると
ヨセフは王様にカナンの地へ
父を埋葬するために赴くことを願い出て
イスラエルだけでなく王様に仕える家臣
エジプト全土から長老も集まり
大人数での移動となりました

ヤコブの埋葬が終わった後
ヨセフの兄弟達は恐れを抱いていました
それはかつてヨセフにやってきた過去の行いに対して
ヨセフが復讐をして来るのではないか?
これまでは父ヤコブが健在であったので
父の手前ヨセフが荒ぶることは無かった
しかし父無き今こそ
ヨセフが動くのではないかと警戒したのです
そこで人を介してヨセフに
「父ヤコブが生前に
兄弟達を許す様に言っていた」と吹き込みました
更に兄弟達が平身低頭して接してきた為
ヨセフは「あなた達の悪を神が善に変えて下さった」と伝え
自分が恨んでいない事
そして今後の生活を
ヨセフが保証する事を再確認しています

それから時代が過ぎ
ヨセフは110歳となり死を迎えます
その際にヨセフは遺言を2つ遺しました
1つは
「この国エジプトからいずれ約束の地へ導かれる希望を
抱き続ける様に」と言う事
そしてもう1つは
「約束の地へ帰還する際に
自分の遺体を一緒に携えて行く事」と言うものです
400年と言う長い奴隷の期間で世代交代が進む中でも
神様からの「いずれここから連れ出す」と言う
目に見えない約束は継承されていきました
それと同時に
「ヨセフの遺体」と言う目に見える約束が置かれ
イスラエルの人々はヨセフの遺体に接する度に
「あれをいつか約束の地へ」と
確認し合ったのではないかと思います
この約束は実際に
出エジプト記1319節で実現し
モーセはヨセフの遺骸を持って旅立ったとあります

これで創世記は終わりとなります
「始めに神天地を創りたまへり」
つまり「生」から始まった創世記は
ヨセフと言う人物の「死」をもって締められて行きます

全てはアダムとエバが
善悪を知る樹の実を食べた罪から
物語は広がりました
あの時に実を食べなければ
創世記は3章で終わっていたはずです
ですが現実に食べてしまい
人間には罪と死が与えられました

自分の人生には
必ず有限の終わりが来る事を知った人間は
その短い人生の中で
創造主ではなく自分に栄光を集めようとします
こうして罪を重ねる人類を滅ぼし
リセットする為にノアと大洪水が与えられました
しかし正しい人物だけを残したはずが
結局また増えて行く人類の中から罪を犯す者が現れます

そこで人類を救済する
大いなる神様のご計画が動き始めます
その起点がアブラハムの招致であり
そこから聖書は創世記を通じて
繰り返し同じテーマを伝えてきます
それは神様がご計画を動かされるには時があること
その時が来た時には
極めて自然に事が運ぶこと
そしてその道には困難を伴う場合があり
しかし同時に
その困難を乗り越えるための助けが
必ず用意されていると言うこと

そのことを覚えて
始まりであり
囚われの書である創世記を終わりにし
そして次回から解放に向けた書である
出エジプト記へ入って参ります