自分の人間的な限界を知り
  人知を超えた神様に対して
  すがって行かなければ生きていけない事を知る
こと
 

出エジプト記第216節より

モーセが逃れたミデアンの地ですが
そこに住む祭司には7人の娘がいました
この娘がいつも通り羊に飲ませる水を汲みに来ると
そこで他の羊飼いと水場の争いとなり
追い払われてしまいます
その様子を見ていたモーセは
居ても立っても居られず助けに入り
この娘達に代わって羊に水を飲ませて行きます
これにより娘達は
いつもよりも早く帰宅出来た訳ですが
当然ながら祭司である父は
「いつもより帰って来るのが早いのではないか?」
と疑問に思います
そこで事情を尋ねると
1人のエジプト人が助けてくれたことが明らかになります
そこで、この男性をもてなそうと考え
娘に対して男性を連れて来る様に命じました

この時モーセ自身も行き場は無く
エジプト王の後ろ盾を失った今となっては
この祭司の家に頼るしかありませんでした
結局モーセはここで
祭司の娘からチッポラを妻として迎え
そこで男の子が誕生します
この男の子の名前をゲルショムと名付けましたが
この名前の意味は
「私は異国にいる寄留者」というものでした

そこから更に40年の時が流れ
モーセを追っていた王様も死にました
イスラエルの民の処遇は相変わらず劣悪であり
その余りの辛さにより
イスラエルの民が嘆く声は神様に届きます
この場面で口語訳の聖書では
「神はその嘆きを聞き
アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた」とあります
直接受け止めれば
「神様は思い出した」と言う様に見える訳ですが
当然神様が忘れていると言う事はありません
これは「ついにその時が来た」と言う意味で読むと良いです
イザヤ書639節に
このイスラエルが寄留者として苦役を課せられている時
神様もイスラエルと同じ様に悩んだとあります
ですからイスラエルが奴隷として大変な生活を送っている時
神様は例えそれがご計画と言えども
同じ苦しみを共有して下さっていたのでした

この頃のモーセは
ミデアンの地で羊飼いをしていました
それは妻の父
つまり舅である祭司エトロが所有する羊であり
ある日この羊の群れを追ってホレブの山に到着します
ここは神の山と呼ばれる場所でした
そこでモーセは
芝が燃えている事に気が付きます
そしてこの燃える芝の中に御使いが現れており
芝は燃えているのに焼けていないと言う
不思議な状況が起きています
モーセは不思議に思い
そこに近づいてみました
するとモーセを呼び止める声が聞こえ
その場所が聖なる場所であるから
近付いてはならない事
そしてその靴を脱がなければならないと伝えます
またその声の主は
自らをアブラハム、イサク、ヤコブと
約束を交わした神であると伝え
これにより神を畏れるモーセは
平伏して顔を覆いました
かつてヤコブが
神様と取っ組み合いをした場面でもお話ししましたが
この時代の常識として
神様を直接見てはいけない
見た場合には死んでしまうと
考えられていたからです

更に続けて神様はモーセに伝えます
私はエジプトにおいて
労役に苦しむイスラエルの民を見た
そして彼らの苦しみの声が聞こえた
これから私が直接介入することで
イスラエルの民をエジプトから救い出し
乳と蜜の流れる地へ導く
そこで今からモーセをパロに派遣し
モーセの手により
イスラエルの民をエジプトから脱出させると

ここで慌てたのがモーセです
もちろんモーセは
イスラエルの民としての使命を継承していますし
いずれ約束された通り
エジプトを脱出する時が来る事も知っています
ただそれがまさか
自分の手によって
行われる事になるとは思っていませんし
突然神様から与えられた大きな使命に対して
不安を募らせていました
ここから神様とモーセのやり取りが続き
モーセが色々な懸念点をあげては
神様に相談するのを繰り返していきます

さてモーセは40年間を
ミデアンの地で過ごしており
そもそも何でミデアンに行く必要があったのか?
と言う話ですが
これには2つ理由があります

まず40年間の間
モーセが何をやっていたかと言うと
「羊飼い」です
これまで創世記で語られて来た
アブラハム、イサク、ヤコブ
そしてその子供達は全員羊飼いでしたが
出エジプト記に入って
一族を率いて行くモーセは
そもそも王族出身でした
当時のエジプトと言うのは
当然の事ながら文明の先進国です
特にエジプトはナイル川が度々氾濫し
その度に
土地の区分けをやり直す必要がありました
それにより土地の測量技術や
計算に必要な数学が先んじて発達しており
モーセが受けた教育と言うのも
こう言った理論的な物が
中心であったと思います
ところがこれからモーセには
イスラエルの民を率いて
荒野を40年間旅する事が求められます
聖書の舞台は中東ですから
砂漠がメインになってきますが
そこを旅する為には
モーセに実戦経験が少な過ぎました
そこでミデアンの地において羊飼いを経験し
その土地で水を得て、食料を得て
旅をする備えを経験させられました
これによりモーセは
当時最先端の学問による理論を手にし
そして荒野を旅する為の経験と感覚を手にし
この理論と感覚の両方がそろった事で
1人前のリーダーに必要な要件を
満たしていきました

もう1つは
40歳ではなく
80歳のモーセである必要がありました
つまり勇み足でエジプト人を殺してしまった
40歳のモーセの様に
若さと勢いにより
自分の手で同胞を救うのだと言う
我の強い年齢ではない
80歳と言う
モーセの人生で言えば2/3が終わり
良くも悪くも牙を抜かれ
かつて王族だった事も昔話になり
身体も衰え
そうやって自分が助けるのではなく
助けてもらう側なのだと言う事を
自覚する年齢である事が
重要だったのです

モーセに求められていたのは
正にこの神様に対する腰の低さでした
もちろんイスラエルを率いるリーダーとして
様々な判断や決断を求められる訳ですが
ただその心の中心には常に
「神様はどう考えているのか」と言う事を置いて
考える事が出来る人間になるまで
その年齢が来るまで待たれたのです

自分の人間的な限界を知り
人知を超えた神様に対して
すがって行かなければ生きていけない事を知る
それは私達も同じで
「自分が」と言っている間は
神様からの働きに気が付くことが出来ません
ですから上手く行かない状況を通して教育され
その人にとって最も必要なものが
教育を通じて与えられるわけです
そのことを信じて歩んで参りたいと思います