出エジプトのリーダーとなることに 大きな不安を抱えるモーセ そんな彼に対して愛の神は 彼の心に寄り添い、励まし モーセが納得する形を模索された |
出エジプト記第3章11節より
出エジプトのリーダーという
思ってもいない大役を任されたモーセはあわてます
そして神様に
「私は一体何者なのでしょうか?」と問います
その意味は
「神様はこの年老いたモーセに何をさせようと言うのか」
と言う事です
40年前にエジプトを脱出した時ならまだしも
そこから40年を経てモーセは老人となり
またかつては王族の1人だった社会的な権威や地位も失って
ただの羊飼いとなりました
そんな人間的な強さを全て失ったモーセに対して
今更イスラエルを率いて
エジプトを脱出すると言う大役が任されることに
モーセは畏れ慄いていました
ですが神様は続けてモーセに継げます
「私は必ずあなたとともにある
これこそが私があなたをつかわせるしるしである
あなたがエジプトからイスラエルの民を率いだした後
この山であなたたちは神に仕える」と
ですがここからモーセの不安があふれ
4つの懇願として現れてきます
最初の不安は神の名前についてでした
エジプトを発つ事について
イスラエルの民に伝えなければなりませんが
その時に「その神の名は何か?」と問われた時に
何と言って良いか分からないというものです
これに対する神様の回答は
「在(あ)りて在(あ)る者」でした
ヘブル書13章8節にある通り
神様とは「世の初めから終わりまで変わらないもの」であり
一貫してその存在が絶対的なものです
有名な哲学者のデカルトは言いました
「我思う、故に我在り」と
デカルトは真理を知る為に
全ての事を徹底的に疑う作戦を採った人です
全てを疑って
疑いきれなくなった所に真理があると言う考え方でした
そして「全ての事を疑い始めたらキリが無いけど
疑っている自分の存在自体は疑えない」
と言う事に気が付きます
この考えは後に
カントによって論破されて行く訳ですが
神様の存在と言うのは
この様に有るか無いかを論じる様なものではなく
「在る」と言う前提だと言う事です
なので神様はモーセに対して
「私は在るものである」と伝えた
つまり「お前たちが信じて前提としている神である」と言う事ですね
ですから続けてモーセに
「イスラエルの祖先と契約した神様が現れ
今困難の中にあるイスラエルの民を率いて約束の地カナンへと導くと
イスラエルの長老らへ伝えなさい」と告げました
更にその話を長老らは信じるから
彼らを連れてエジプト王の元へ向かい
そこで王様へ
「我らの主に燔(はん)祭を捧げる為、一時的に国から出たい」
と告げる様に伝えます
ですが神様はその程度の事で
エジプト王がOKを出さない事を知っていたので
これから驚くべき業を為すことで
王様が出国を認めるようになると予言しました
更に出国に際して
エジプト国民がイスラエルの民へ好意的になるので
周囲のエジプト人から金目の物を受け取って
子供の身につけさせなさいとも告げました
これは創世記第15章14節で予言されていた事であり
「彼らは大いなる財貨を携へて出ん」との
神様の言葉が成就した形となります
二つ目の不安は
「この話をイスラエルの民に説明した時に信じてもらえず
お前に神が現れるはずがない」と
言われるのではないかと言うものです
このモーセの不安に対して
神様は3つの業(わざ)を示しました
まず神様はモーセに対して
「手に持っている杖を地面に投げなさい」と告げます
モーセがその通りにすると杖は蛇に変わりました
そして再度モーセに対して「蛇の尾を掴みなさい」と告げ
モーセがその通りにすると
今度は蛇が杖に戻りました
これらの業はモーセに対して
イスラエルの先祖の神が現れた事を示し
イスラエルの民に信じさせるための物でした
また神様はモーセに対して
「懐に手を入れなさい」と告げ
モーセがその通りにすると手がハンセン病の様に真っ白となりました
「もう一度懐に手を入れなさい」と神様が命じ
モーセがその通りにすると
今度はいつもの手に戻りました
最初の杖の変化と言う業を通じて
イスラエルの民が信じない場合
この懐に手を入れる業を実行しなさいと言う事でした
もしこれらの業を通じてもイスラエルの民が信じないようであれば
河の水を汲んで地面に注ぎなさいと教えます
その場合は流した水が血に変わるとされました
三つ目の不安は
「雄弁に語る自信が無い」と言う物です
これからイスラエルの長老に語り
イスラエルの民に語り
そしてエジプト王と交渉を重ねて行く上で
モーセにはその都度雄弁に語るだけの自信がありませんでした
そこで神様はモーセに問います
「誰が人間に口を与えたのか
逆に誰がモーセの口を重くし、耳を聞こえない様にし
目が見えない様にし、そして目が見えるようにするのか
全て主である私が為すことだ」と神様は言いました
ですがそれでもモーセは
4つ目の不安として
「やっぱり他の人を選んで下さい」と、かたくなでした
ここでついにゴネ続けるモーセに対して
神様は怒りをあらわにし
「雄弁な兄であるアロンを同行させ
彼にモーセの口の代わりとさせる
私はあなたと彼の口と共にあり、為すべき事を語る」とし
杖を取る様に指示をしました
ここにおいて遂に
モーセがイスラエルを率いる事が決まり
まずはミデアンの地を離れ
て同胞の待つエジプトへ戻る事となりました
今回神様に対してゴネ続けるモーセの話でしたが
モーセにとってイスラエルを率いる事には
とにかく不安が強いのです
なぜならモーセは一度失敗しているからです
モーセがまだエジプトの王族だった時代
イスラエル人同士のもめ事を仲裁しようとしましたが
結局イスラエルの民から
「お前は何の権限があるのか」と突き放されたのは
記憶に新しいはずですね
なのでどうしてもモーセは
あの記憶に囚われて前に進むことが出来ません
ですがこの足踏みするモーセに対して
神様は忍耐強く交渉に当たっています
神の畏れを起こさせて
強制的に動かすことも出来たはずですが
そうせずにモーセが納得いく形を模索した
それが私達の信じる神様の持つ愛の表れであり
ただ罪を定め罰でコントロールする様な
そう言った恐怖で支配するモノではない
逆に御利益で釣って信仰を誘う様なモノでも無い
神様の存在を確信させ
そしてその助けの中で困難を乗り越え
与えられた使命に答えて行く
その信仰の在り方をモーセに伝えると共に
それが私達に対するメッセージでもある訳です。