エジプトに対する一連の災いは
   イスラエルとエジプトの両方の民に対して
  「主の存在と力を示す」ために行われた
  そこで行われた奇跡は
  出エジプト後の長い旅路にあっても
  神が共におられるとの希望を与えることになる


出エジプト記 第61節より

神様により用いられたモーセでしたが
イスラエルの民をエジプトから救うために
神様から言われた通りエジプト王と交渉をしたところ
その結果は散々なモノであり
しかも救うはずのイスラエルの民は
更に厳しい奴隷生活を送る事になってしまいます
そんな現状を見たモーセは絶望しました

神様はモーセに対して語り
再びイスラエルに対して目標を思い起こさせます

「これから主がエジプト王に対して為される技を見なさい
全能の主が介入する事で
エジプト王がイスラエルを自ら去らせる様になる」

「私の名はエホバである
アブラハム、イサク、ヤコブの神であり
イスラエルとの間に契約を結びカナンの地を与えた
今エジプトで奴隷となっているイスラエルの苦難を想い
エジプトの手から解放する
その時にイスラエルは我が民となり
私はあなた達の神となる
そしてエジプト人の手から解放したのは
神エホバである事を彼らは知る」

モーセは神様から再度示された通りに
イスラエルの民に向かって語りましたが
結局イスラエルの民は
度重なる重労働により疲れ
モーセの言葉に聞く耳を向けませんでした
ですがモーセに対して神様は
再度エジプト王の元へ行き
そこでイスラエルの民を開放する様に交渉させるのです

14節からは家系の記述があります
ですがここで重要な点として
モーセがレビ族の生まれであると言う事が
分かっていれば良いので飛ばします

さて7章に入り
神様はモーセに対して
「あなたをエジプト王の前で神の様にふるまわせ
アロンを予言者の様にさせる
そしてパロの前で私が命じる通りの言動を行う事で
イスラエルの解放に至る」と伝えます

ここから神様の指示で
モーセとアロンが奇跡の業を見せる
→エジプト側の法術師も同じ技をやってみせる
→イスラエルとエジプトは明確に聖別される
→神様の手により王様の心は固く閉ざされ続ける
と言うのを繰り返します

まず最初の奇跡は
以前に神様からモーセに与えられた杖が蛇になる技です
パロの前でアロンが杖を投げると蛇に変化しました
パロもエジプト国内から呼んだ法術師に同じ技を行わせましたが
モーセらの蛇は法術師の蛇を飲み込んだとあります
ですがパロの心はかたくなに閉ざされたままでした

次の奇跡は川の水を血に変え
エジプト国民が飲み水に困る災い
そして8章に入り
蛙が川にあふれ
そこからエジプト国民だけでなく
王宮にまで蛙が侵入してくるという災い

その次は地面の塵がノミに代わる災い
次は虻が大量発生する災い
腫物の災い、そして動物の疫病の災い
雹(ひょう)の災い、いなごの災い
最後は暗闇の災いです
これらの災いをエジプトが受ける中で
全ての災いはエジプト人のみに降りかかりますが
パロは神様により心が固く閉じられ
モーセらの出国を許しませんでした


11章に入り、神様はモーセに対して
「これから最後の災いを起こす」と言う事
そしてそれによりパロが
イスラエルの出国を認める旨を伝えます
またその際に
「イスラエルの男女関係なく
隣のエジプト人に対して金銀の装飾品を求めさせよ」
と告げました
この裏には
神様の働きにより
エジプト人がイスラエルに対して
好意を持つようになっていた経緯があり
この為モーセであっても
エジプト王の家臣や人民から慕われていたとあります
こうして最後の災いが始まると同時に
エジプトには死が降り注ぎ
その一方でイスラエルには生が与えられ
神様の絶対的な権威の前に
イスラエルとエジプトが完全に聖別されたのでした

ここまで読んできて
人間的には
「最初からエジプトの国民を
イスラエルに対して好意的にさせ
何の災いも無く
お互いにバイバイと別れられるのが一番では?」
と思う訳です
ですがこの一連の災いは
イスラエルとエジプト、両方の民に対して
「主の存在と力を示す」為に行われました
エジプトの民は主を畏れ
その主と共にあるイスラエルを恐れました
エジプト側から「出て行ってくれ」と言う程に
主の力を思い知った訳ですから
この後の時代になっても
エジプトからイスラエルに手を出すことは無いでしょう
一方でイスラエル側も
これまで忘れかけていた主の存在と
全能者であると言う事を
思い起こさせる刺激となりました
これからエジプトを脱した後も
荒野を旅しカナンの地へもどるまで
また、もどった先でも
その地を平定する闘いがあり
今から始まるその長い旅路に
主が伴うのだと言う事を
あらかじめ実感させるために
この一連の災いはあった訳です