過越祭はただのイベントではなく
   自分たちがかつて受けた
   神様からの助けに対する感謝を
   親から子へ受け継ぐ機会でもあった

   新約の時代にはこの義務がないため
   神の助けがあったことを忘れがちになるが
   自ら礼拝に集うなど
   信仰を保つための努力をすることで
   感謝を再認識する事が重要となる
   

出エジプト記 第121節より

神様はモーセとアロンに告げて言いました
「今月をイスラエルにとっての正月とし
年の初めの月としなさい」
実祭にユダヤ歴として
太陽暦の3月〜4月の時期を年の初めとして
春から1年が始まると言う暦が存在しますが
ここでは更に続けて
複数の守るべき手順を伝えています

・この正月から起算して10日目に
イスラエルの民は家族ごとに
小羊を1匹用意しなければならない

・もし家族が少人数で
小羊一匹を全て食べきれない場合は
隣の家族と一緒に食べきれる
小羊を選ばなければならない

・その小羊は傷の無い1歳の雄羊であり
小羊だけでなく子山羊でも良い

・そこから4日後まで小羊を確保しておき
14日目にそれを屠(ほふ)って
血を家の入口の2本の柱と鴨居(かもい)に塗りなさい

・その夜に肉を火で焼いて食べ
そこに酵(たね)いれぬパンと苦菜を添えなさい

・肉は生で食べたり煮て食べたりしてはならない

・頭も四肢も内臓も全て食べつくさなければならない

・それを翌朝まで残してはならない

・翌朝まで残った場合は焼却すること

・食べる祭には腰帯を絞め
靴をはき、杖を手にして急いで食べなさい
これが主の過ぎ越しである

これらの手順を守る理由は
その夜に神様がエジプトを討つ為でした
エジプトに産まれた初子は
人間や動物に関係なく
全て神様によって殺されて行きます
ですが家の柱と鴨居(かもい)に
小羊の血が塗られている場合
死の災いはその家の前を通り
過ぎ越していきました
ここからこの出来事の事を
「過ぎ越し」と呼ぶ事となり
今でもユダヤ人は過越祭として継承しています

それは14節において
「代々に渡って守るべき
普遍の定めとして祝わねばならない」と
伝えられているからです
またこの過ぎ越しの祭りから1週間は
酵母を摂取してはならないとされ
この期間を除酵祭として
イスラエルの民は守っていきました

さて、過越しの準備が整った真夜中
神様は約束通りにエジプトの国中で
初子を撃って行きました
その対象はファラオの初子から
牢屋につながれている捕虜の初子にまで及び
死人が出なかったエジプトの家は一軒も無かった為
エジプト中で嘆き悲しむ叫びが響いたとあります

事ここに至ってついにファラオは
モーセとアロンを呼び出して告げました
エジプトからイスラエルの民が去っても良いこと
出発に祭して羊や牛の群れを引き連れても良いこと
モーセらの要望通りヤハウェに仕えても良いこと
そして最後に
悲惨な状況になっているファラオ自体も
祝福して欲しいと告げるのです

一方でエジプトの民も
イスラエルの民を送り出すことに必死でした
ここまで度重なる災いが起こり
そして遂には自分の子供まで死ぬことになってしまった
このままイスラエルの民を留めておくと
次は自分達の命も危ないかもしれないと考えた為です

この時に
イスラエルの民はモーセの言う通り
近隣のエジプト人に
金銀の装飾品や衣類を要求しました
そして預言通り神様が
エジプト人を好意的にさせていたので
イスラエルは430年間の奴隷生活に対する報酬として
多くの分捕り物を手にしエジプトを離れて行ったのです
聖書によれば
この時に旅立ったイスラエルの民は
壮年の男子だけで60万人でした
ここに幼年・老年の男女を加えると
恐らく200300万人の規模だと考えられます

今回お話ししてきた過越しについては
祭りとしてイスラエルの中で継承されて行きますが
聖書ではこの過越祭に参加し
生贄(いけにえ)を食べる事が出来る人の範囲を定めています
色々書いていますが、要するに
「割礼を施されている」と言うのが基準であり
人種や民族は問わない事が分かります

また13章に入り
エジプトで全ての初子が過越しの犠牲となった事から
イスラエルの民に対しても
初子を聖別し捧げる様にと神様から命じられています
この範囲は人間だけでなく家畜も含まれており
動物の場合は最初に産まれた雄が生贄として捧げられます
雌の場合は何匹産まれても
初子としてはカウントされません
ですが感情的にも
人間の子供をそのまま捧げると言うのは抵抗があります
そこで人の場合は
別の捧げ方が定められました
それは民数記1815節にありますが
生後1ヶ月を過ぎたタイミングで
銀5シェケルを支払うと言うものでした

旧約の時代
神様からの助けを得るには対価が必要でした
助けられた人は
ただホッとして起きた事を忘れるのでは無く
事が終わった後にも
代償の支払いを求められた訳です
イスラエルの民もエジプトからの脱出と言う夢が叶い
そして自由を手にしたわけですが
この自由の代償として
エジプト・イスラエルの両方に対して
初子を捧げる事が求められた
これは「神様によって助けられた」と言う事を
人々が忘れない様にする為であり
行いによって信仰を保つものでした

さらに、ロマ書829節を読むと
「イエスキリストが多くの兄弟の嫡子として定められた」とあります
つまりイエス様は私達の初子として置かれ
その初子が十字架上で血を流し捧げられた事で
私達には新たな約束、新約の道が開かれて行きました
そして旧約において対価を支払う事が求められた通り
新約の時代においても
対価を支払う事が求められています
ただしそれはお金や物といった物質的な対価ではなく
初子となり初穂となったイエス様を愛すると言う対価です
ちなみにイエス様が十字架に掛けられたのは
過越祭のタイミングです
ですから有名な最後の晩餐の絵は過越祭の食事であり
なぜ聖餐式で「酵(たね)いれぬパン」を用いるのかというと
過越祭の規定から始まっている訳です

このように、過越祭はただのイベントではなく
自分たちがかつて受けた神様からの助けに対する感謝を
親から子へ受け継ぐ機会でもありました
過越祭は旧約における義務ですから
強制的に毎年行われ
信仰の継承が図られて行った訳です

一方、新約の時代における私達は
この行いに対する義務がありません
だからこそ神様からの助けがあった事を忘れてしまう
そうならないように
自ら信仰の道を歩もうと考え
自ら礼拝に参加することで
洗礼と聖霊を受け聖別された者としての自覚を
再認識するわけですが
全ては義務ではなく
愛を持って行われることであって
教会に来るから全てが
自分の思い通りに上手く行くわけでは無いし
教会に行かなかったから
罰が与えられるわけでも無い
大切なのは
常に神とともにある現状に感謝し
自分の思い悩む気持ちを
神に任せて行くことなのです

聖餐式の際に読まれるコリント前書の中で
「これは汝等のための我が體(からだ)なり
我が記念としてこれを行へ」
「この酒杯を飲むごとに
主の死を示して其の来りたまふ時にまで及ぶなり」
とある様に
十字架に掛けられ
新たな救いの道を開かれた
初穂であるイエス様の犠牲を再認識する機会として
聖餐式は行われるのです

このように
信仰は保っていくものであり
一度通過儀礼を受けたから終わりではない
自分の助けられた過去を思い出し
今も尚共に人生を歩む支えとして
イエス様にどれだけ頻繁にアクセスするか
その頻度を高く保つ事が
新約の時代において重要な事であると言えます