パリサイ派の人は常に律法に照らして
 どちらが正しいのかを判断していた
 自分が正しい、自分が正義であると思い込むと
 正義と言うのは他人を裁く道具にもなり得る
 一方で元パリサイ派のパウロは
 律法の本質である愛に目覚め
 どうすれば相手が救われるのかと
 思いやりをもった判断が出来た


今日の話では「パリサイ派」が出てきます
なのでまず最初にパリサイ派とは何か
同様に「サドカイ派」とは?と言う
聖書に出てくるユダヤ教の話をします

旧約聖書に基き
”律法重視の信仰”を行っているのがユダヤ教ですが
イエス様が在世当時のユダヤ教には
大きく4つの宗派がありました
サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派、そしてナザレ派です

サウル王から始まる古代イスラエル王国は
ソロモンの時代の後に南北へ分裂しました
北王国は
当時の大帝国であるアッシリアにより攻め込まれ
指導者層が連れ去られた事で
王国を構成する10支族が離散してしまいます
一方で南王国に属するユダ族
ベニヤミン族、そして一部のレビ族は
後にアッシリアを滅ぼしたバビロニア王国によって
攻め込まれました
いわゆる「バビロン捕囚」ですね

ところがアッシリアに比べてバビロニアは
比較的寛容な姿勢を持っており
連れ去られたイスラエルの民は
バビロニア王国の中で自由に過ごすことを許されました

バビロン捕囚を受けたイスラエルの民は
後に帰国を果たしますが
この時に色々と問題が起きました
つまり当時
最先端の文化を持つバビロニアを経験した人と
南(ユダ)王国に残っていた人では
同じユダヤ教でも考え方が変わっていったのです
特にバビロンでは
エゼキエルやダニエルと言った預言者が登場しており
彼らの預言がバビロン捕囚を受けた人に
大きな影響を与えていました

バビロン捕囚を受けるまでは1つだったユダヤ教も
この帰国から
複数の教派に分かれて行く事になります
大きく分けるとサドカイ派、パリサイ派
そしてエッセネ派やゼロテ派等です

サドカイ派と言うのは
分かりやすく言うとカトリックと似た存在です
エルサレムに築かれた神殿の権威性を重視し
特に祭司達が中心となり
王族と結びついて
その権威と権力を守る為に動いていました
律法を重視する姿勢は変わりませんが
一部の律法は寛容な対応をする事で
社会に適合させたイメージです

一方で
この律法を完全に守ろうとした人達がいました
それがエッセネ派です
エッセネ派は律法を完全に守る為には
社会の中にあっては無理だと考え
社会から離れた砂漠地帯で
律法を完全に遵守する新しいコミュニティを形成しました
こうして過酷な環境で禁欲的な生活を行い
神を求め続ける清廉潔白な信仰を求めたのです

そして
この社会に迎合するサドカイ派と
社会から分離独立するエッセネ派の中間的存在
つまり社会の中に在って
律法の完全な遵守(じゅんしゅ)を目指したのがパリサイ派です
誘惑の多い社会で律法を守る為には
厳格な掟(おきて)の下に生活をする必要があり
社会に在って社会から浮いた存在となっていました
この「浮いた存在」と言うのが
パリサイと言う言葉の意味になります
それはパリサイ派の側から見れば
「自分達は特別」と言うとらえ方であり
自分達の信仰を誇る要因ともなっていったのです

そのため、後にイエス様は
神殿の権威を利用する人間を否定した事で
サドカイ派と対立し
また形式的な律法の遵守を批判したことで
パリサイ派とも対立して行く事になります
サドカイ派は比較的律法に寛容でしたし
司祭や王族と言った上流階級が中心となるので
余り多くは登場しません
一方で形式的な律法の遵守にこだわるパリサイ派とは
何度も衝突して行く事になります

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民数記略 第15

カナンの地へ入ることが出来なくなった
イスラエルの民(第一世代)ですが
荒野を旅する中で
次世代が約束の地へ入る準備として
神様との契約を再認識する準備が整えられていきます

民数記略15章は
大きく4つのテーマから成り立っており
1つ目が捧げ物の規定
2つ目が誤って罪を犯した場合の規定
3つ目が安息日の順守について
4つ目が衣の房に関する規定となっています

まず1つ目の
『捧げ物に関する規定』ですが
カナンの地へ入った後
定められた量の捧げ物を行う様に
神様はモーセを通じて示しました
またこの律法はイスラエルの民だけでなく
イスラエルの民と共に旅を進める異邦人に対しても
適応されると書かれています

ここで考えてみると
この規定を示されたのはイスラエルの第1世代です
つまりカナンの地へは入れない事が定められた世代に対して
「カナンの地へ入った後」の話をされている訳です
なぜ40年後の次世代に対してではなく今なのか?
それはイスラエルの民に対する契約が未だ有効であり
いずれ次世代が
カナンの地へ入ると言う希望を示す為でした

ともすれば第1世代からすると
自分達の旅路には希望がありません
希望であったカナンの地は永遠に失われ
ただ荒野を旅して自分達は滅びて行く事が
神様から明示された訳です
もちろんその原因を作ったのも自分達なので
自業自得ではあるのですが
少なくとも残りの旅に意味がある事
次世代に対する教育と信仰の復興が
第1世代に対する役目として与えられたのです

2つ目が
『誤って罪を犯した場合の規定』です

もし故意によって罪を犯した場合は
神様に対する反逆者として罪を負い
イスラエルの内から絶たれて行くとされています
ですがもし
過失によって結果的に罪を犯してしまった場合
定められた燔祭(はんさい)を捧げる事で
神様のゆるしを受ける事が出来ました

人は不完全だからこそ
罪を罪として認識していなくても罪を犯してしまいます
罪を犯そうと考えていなくても罪を犯してしまいます
なぜ人は不完全なのか?
それは創世記に書かれている通り
神様は人間を
「自分達に似せて」造ったからです
神様と同じ物として造ってはいません
ですから不完全な部分がある訳です
現代社会でも
異動で新しい部署へ行ったり
転職で新しい会社に入ったり
何か新しいコミュニティへ参加したり
そう言った時に
知らず知らずの内に
その場の暗黙のルールを破ってしまうことが起きます
それと同じですね

3つ目が
『安息日の順守』についてです

ある安息日に
イスラエルの民の中で
薪(たきぎ)を集めている人がいました
モーセの十戒の時点で
安息日は働いてはいけないと定められていますから
神様はモーセに対してその人を石で撃ち殺す様に命じます

これは旧約聖書の時代の話ですから
神の聖(きよさ)を
イスラエルに対して厳格に示した形になります
人間的に見れば厳しく感じるものですが
神様の絶対的な権威性
そして人にはない絶対的な聖
それを明確に区別するために
契約の遵守を求めているのです

社会にあってもルールを守らない人と言うのは
ルールその物ではなく
”ルールを作り管理する権威”を軽く見ているから
守らない訳です

警察官が見ていないから交通ルールを守らない
担任の先生がいないからクラスのルールを守らない
「自分は裁かれない」と傲慢になる時に
人はルールを守らなくなります
それと同じく
神様が定めた律法を守らないと言うのは
神様そのものを侮(あなど)っている
と言う事につながるのです

最後に4つ目が
『衣の房に関する規定』です。

神様はモーセを通じてイスラエルの民に
衣の四隅に青い糸で房を縫い付ける様に命じました
それはこの房を目にする度に
神様の存在を改めて感じ
自分の振る舞いが正しいのかどうかを
思い返すきっかけとする為です

房と言うのは衣服の裾(すそ)
つまりイスラエルの民と外界との境目に設けられる印です
これを青い糸で縫い付ける必要がありました
出エジプト記24-10にある通り
青色と言うのは神様の神聖さを示す色です
つまり房を青い糸で縫い付けると言うのは
神の民と異邦人との区別をつける
つまり”イスラエルの聖別”と言う意味がある訳ですね
その上で裾にぶら下がる房は目に入りやすい為
神との契約、そして戒めを
見る事を通じて思い出させるのです

ところがこの房と言うのが
時代を経るごとに華美になっていきました
イエス様が在世当時
厳格なユダヤ教の指導者達は
長い房を付けて外面を誇っていました
ただでさえ目に入りやすい房を誇示する事で
己の信仰を外に示そうとした訳です

最初にお伝えした通り
パリサイ派は厳格な律法の遵守(じゅんしゅ)を求めます
これは
「自分達は正しくやっている」と言う自負心につながり
己を誇示する姿勢へと変わっていきました
ですからイエス様が1段階上の教え
つまり律法をただ守るのではなく
その本質を理解して成就させると言う考えを示した時
それを素直に受け入れる事が出来ませんでした

ただパリサイ派の人達は
形式的であっても必死に律法を守っていた訳ですね
律法と言うのは神様の意思を表したもの
イエス様が現れる以前からその本質は愛にあり
律法を遵守し神に近づこうとするパリサイ派と言うのは
その本質に非常に近いところにはいた訳です
ですからパリサイ派の律法学者であったパウロ
ユダヤ教の指導者であったニコデモやアリマタヤのヨセフ等
その根底にある愛に気が付かされた人達は
イエス様の言葉を受け入れる土壌が整い
律法の本質を悟ることになっていった訳です

パリサイ派の人は常に律法に照らして
どちらが正しいのかを判断していた
一方で律法の本質に目覚めたパウロは
どうすれば相手が救われるのかと
思いやりをもって判断が出来た
人が思いやりを失う状況について
「自分が正義だと感じた時」と言う話があります
自分が正しい、自分が正義であると思い込むと
正義と言うのは他人を裁く道具にもなり得る訳です

ですからイエス様は「愛と寛容」を訴えた
何が正しいと言う杓子(しゃくし)定規な話ではなく
どうあるべきなのかと言う個々の立場・状況に
視点を置く見方を説いて回ったのです