今回の「コラの反乱」は ”人が滅びに至る典型”として扱われる カインは妬(ねた)みの心がわき バラムは金銭の欲で目がくらみ コラは自らの立場をわきまえず罪を犯した |
民数記略 第16章
カナンの地へ入ることができなくなった
イスラエルの第一世代の民の中で
コラ・ダタン・アビラムの三人による
反逆が起こりました
彼らはイスラエルの指導者250名と徒党を組み
モーセに反抗しました
その理由は
「イスラエルは聖別された民であり
その中心に主がおられるのに
なぜアロンだけが特別に祭司として扱われ
我々の上に立とうとするのか」というものでした
つまり、自分たちも特別な存在であり
同じように祭司として
主に近づけるはずだと主張したのです
これに対してモーセは告げました。
「明日、主がその選びを示される
そのために各自香炉を準備し
香を焚(た)いて主の御前に出なさい」
出エジプト記30章7節を見ると
”香を焚(た)く”ことは大祭司の務めであり
その資格のあるアロンだけに許された行為でした
従ってコラ達も
主の御前で香を焚くことによって
彼らの主張するアロンと同じ資格があるかどうかを
試されたのです
しかしそれは同時に
裁きを受ける危険を伴うものでした
そこでモーセは首謀者コラに言いました。
「レビの子よ、聞きなさい
主はあなた方をイスラエルの中から選び出し
幕屋に仕える者
民の霊的指導者として置かれている
それなのに不満なのか
すでに主はレビ族を主に近い者としているのに
さらに祭司職まで要求するのか
そんなことのために仲間を募(つの)って主に逆らうのか
アロンを何だと心得て不満を言うのか」
コラはレビ族の中でも
中心的な役割を担うコハテ族の出身で
イツハルの子でした
コハテ族は
幕屋奉仕の中でも
契約の箱を担う重要な務めを持っていました
すでに特別に扱われている立場でありながら
さらに祭司職を求めたのです
次にモーセは
共謀者ダタンとアビラムを幕屋に呼び寄せました
彼らはルベン族でしたが
応じずに言いました。
「あなたは我々を
乳と蜜の流れる地から導き上げ
この荒野で死なせるだけでは不満なのか
我々の上に君臨し続けたいのか
結局約束の地に導き入れることもできず
ぶどう畑も嗣業(しぎょう)として与えないではないか」
約束の地に入れなかったのは
自分たちの不信仰によるものでしたが
その責任をモーセに押し付けたのです
翌日、コラと250人の指導者
そしてアロンとモーセが香を焚いて
幕屋の前に集まりました
ただしダタンとアビラムは
自分の天幕から出てきません
ここで神様は栄光を示し
「モーセとアロンはこの会衆から離れなさい
私は直ちにこの会衆を滅ぼす」と告げます
神様が選んだのはモーセとアロンであり
結局それ以外の反乱者には
祭司の資格がありませんでした
モーセとアロンは執(と)り成しましたが
まずダタンとアビラムとその家族は地割れにのみ込まれ
陰府(よみ)に落ちました
さらに反乱に参加した250人は火に焼き尽くされ
コラ自身もこの裁きに巻き込まれました
反乱者の香炉は集められて打ち直され
祭壇の覆(おお)いとして作り変えられます
これは祭壇に向かうたびにこの事件を思い起こさせ
「香を焚いて良いのは祭司であるアロンの一族だけである」
という永遠の警告となったのです
このコラの反乱は
人が滅びに至る典型として扱われます
ユダ書11節にある通り
人は三つの段階を経て滅びに至るとされます
「カインの道」「バラムの迷い」「コラの反逆」です
すなわち
カインのように妬(ねた)みの心が湧き
バラムのように神様の御心を知りながら
報酬や名誉に心を奪われ
そしてコラのように
自分の立場を弁(わきま)えずに罪を犯す
という流れです
カインは創世記にある通り
弟アベルの捧げものが
神様に受け入れられたことを妬(ねた)み
弟を殺しました
バラムは民数記略の後半で登場しますが
モアブの王様からイスラエルを呪うよう依頼され
神様から止められていたにもかかわらず
提示された莫大な報酬に心を奪われて迷いました
そして今回のコラは
ここまで見てきた通りです
ヤコブ書1章15節には
「欲孕(はら)みて罪を生み
罪成りて死を生む」とあります
人の心が罪を生み
肉の思いが神様から離れようとする訳です
まさにカインの嫉妬
バラムの迷いがこの段階であり
肉の思いを実行に移して
罪が死を生んだ典型がコラでした
しかし人は不完全な存在であり
肉の思いを完全に消すことはできません
どれほど禁欲的な生活をしても
心の中に湧いてくる肉の思いは
避けられないのです
ただそのままだと人は必ず罪を生み
罪が死をもたらします
だからこそ救われた者には聖霊が与えられます
聖霊は肉の思いを自覚させ
罪に至る前に止める働きをします
ロマ書8章13節にある通り
この「滅びのプロセス」を断ち切り
救いへと立ち返らせるのが聖霊の働きなのです
「肉に従って生きるなら
あなたがたは死にます
しかし、霊によって体の仕業を絶つならば
あなたがたは生きます」
(ローマ人への手紙8章13節)
民数記略16章で
陰府(よみ)に落とされたコラでしたが
その家族は裁きを免れました
そしてコラの一族は後に
神殿で音楽奉仕を担うようになりました
実際に詩編42〜49篇、84〜88篇には
「コラの子らによる詩」が残されています
コラ自身は許されざる行為をしましたが
その子孫は悔い改め
再び神様に用いられる一族として
立ち返ったことが分かります