かつてエデンの園では
 人間と神様が同じ空間にあったが
 旧約の時代には聖所の建設が命じられ
 新約の時代には
 人間一人一人を聖所とされることで
 ”神が人と共にある”状態が実現している


出エジプト記第2018節より

十戒を定めた神様は
イスラエルの民に対して
雷と、稲妻と、ラッパの音と
山に立ち込める雲を示します
その様子を見たイスラエルの民は恐れ
モーセに対して
「神様がモーセを通じて私達に語られる様に
神様が私達に直接語りかけない様にして欲しい」
と懇願しました

神様の余りに超自然的な存在感に対して
死を感じた訳です
ですがモーセは
「神様は我々を試しているのだ」と告げました

恐怖を目の前にした時
人はパニックを起こし、うろたえます
その時に人間の本質が現れる事を
神様はご存じでした
ですからイスラエルの民の本心を
見ようとしたのです
ただそれでもイスラエルの民は
その圧倒的な雰囲気を畏れ
後ずさりをする様に山から離れて行きましたが
一方でモーセは
山に立ち込める濃い雲を目指して近付いて行きました

そんなモーセに神様は
ここから多くの律法を示します
前回お伝えした通り、
この律法の内容について精査はしません
あくまでも非常に多くの律法が示されたと
理解しておけば良いです

今日はその中から
ピックアップしたお話をしたいと思います
まずは出エジプト記第258節において
神様はモーセに対して
”聖所の建設”を指示しました
その理由は
”神様がイスラエルの民と共にある為”とされています
かつてエデンの園において
人間と神様は共に住んでいましたが
人間に罪が入った事で分けへだてられていました
そこで神様と契約したイスラエルの民と共に
神様が臨在する為に
聖所が作られる事となったのです

続いて10節からは
”契約の箱の製作”が指示されています
アカシヤの木で作った箱を金でおおい
飾りを付けて
日本で言うお神輿(みこし)の様な形にすることが
ここで示されました
この契約の箱には
十戒がかかれた石板が納められる事になります

なぜ契約の箱を作るのかと言うと
続く22節において
「契約の箱の上から
イスラエルの民に対して語りかける」

と書かれています
つまり契約の箱と言うのは
神様の臨在を表す存在であり
象徴であると言う事です

そして第2633節において
この聖所には
内部に垂れ幕を設ける様にとされています
この垂れ幕の役割は
聖所と至聖所を分ける為だと書かれています
更にこの至聖所には契約の箱が置かれ
そこは神様の臨在がある場所ですから
大祭司(この時はアロン)だけが
年に1度だけ入る事を許されました

この聖所と言うのは先に述べた通り
神様がイスラエルの民と共に在るための物です
レビ記を見ると
そこでは毎日の様に供え物がなされ
イスラエルの民が日々生活をする中で起きる
細々とした律法に対する罪が贖(あがな)われていました
また年に1度大祭司は至聖所に入り
燔祭(はんさい)を捧げ
この血が流される事で
イスラエルの民全体の罪が許されていったのです

この様に律法を与えられつつも
それを完全に守る事が出来ないイスラエルの民が
罪の許しを請う場所
それが聖所だったのです

当時は約束の地に帰還する途中ですから
この聖所は移動式のテントの様な構造でした
また契約の箱にも竿(さお)が付けられ
人々が担いで移動出来る様になっています
この後、聖所は神殿と言う形で
固定の建造物として造り替えられていく事となります

では聖所とは旧約時代の遺物なのかと言うと
実はそうでもありません
へブル書99節には
この聖所と言うのが
その時の為の比喩であると書かれています
その時と言うのは
イエス様が十字架にかかり血を流す時の事です

つまり旧約の時代
毎年大祭司が燔祭の血を聖所に注ぎ
罪の許しを請いましたが
それではいつまで経っても人の罪は無くなりません
常に人々は罪を犯し
そして聖所で許しを請う、その繰り返しです

そこでイエス様が十字架にかかり血を流すことで
聖所と至聖所を隔てる幕が裂かれました
これはイエス様と言う幕を犠牲に捧げる事で
人間と神様とを隔てる壁を取り払ったのです
こうして人間は直接
神様にアクセスをする事が可能となり
地上に建てられた聖所は役割を終えました

地上に建てられたと言う表現をしたのは
実はまだ聖所はあるからです
1つはへブル書82節に書かれている通り
天にある真の聖所です
モーセが作った地上の聖所と言うのは
この天にある真の聖所のコピーであると
聖書には書かれていますね
その真の聖所にはイエス様が仕えておられる訳です

そしてもう1つは
コリント前書316節に出てきますが
私達11人もまた聖所であり
そこには聖霊と言う形で
イエス様がおられる訳です

『あなたがたは自分が神の神殿であり
 神の霊が自分たちの内に住んでいることを
 知らないのですか』

最初に述べた通り
イスラエルの民だけでなく
人間と共に歩むことを先に望まれたのは
神様でありイエス様でした
だからこそ人間に罪が入る前
エデンの園では人間と神様が同じ空間にいました

そして
旧約の時代には聖所の建設を命じ
新約の時代には
人間一人一人を聖所とされたのです

このように
人間が求める前より
神様の方から近づいて下さっているのですから
わたしたちも神様を求めていけば
自然とその距離は縮まる様になっているのです