神に”項(うなじ)の強(こわ)い民”と
  言われたイスラエルの民
  彼らはその言葉のごとく
  頑固で不従順であり
  ついに目に見える神を欲して
  『金の仔牛』を造るという罪を犯した


出エジプト記 第32章より

『我々は主に従います」』

そう契約を結んだイスラエルの民でしたが
モーセがシナイ山へ再び上って40日が経つと
不安にさいまれていました
神様との仲介を担当するモーセは
いつ帰って来るか分からず当てにならない・・・
そこで
自分達を導く”目に見える神様”を
求め始めるのでした

祭司であるアロンは
イスラエルの民から
この様な要求を突きつけられ
その圧力に屈する形で
金の子牛像を造る事にします
またその材料の提出を求め
イスラエルの民が身に着けている
金のアクセサリを集める様に指示しました
このアクセサリは出エジプトの際に
エジプト国民から受け取った物です

こうして金の子牛像が鋳造され
イスラエルの民は
『これが我々を導く神である』と宣言しました
また祭壇が築かれ
燔(はん)祭が捧げられて
イスラエルの民が像を拝していきます

ここでアロンは祭司でありながら
なぜ偶像の制作を認めたのか?
そしてなぜ子牛像を造ったのか?
聖書に明確な記述はありませんが、
偶像を作った事に対して
モーセから問い詰められる場面において
アロンの回答内容から
その背景をうかがう事が出来ます。

まず偶像を作った事について
アロンはモーセに対して
3つの言い訳をしています

1つ目は
イスラエルの民の圧力が非常に強く
アロンは抑えきれなかった

2つ目は
なかなか帰ってこないモーセに対して
アロンも不安を感じていた

3つ目は
自ら像を造ったのではなく
アクセサリを火に投げ入れたら
勝手に像が出来た・・・(?!)

この言い訳を見ると
アロンは曲がりなりにも祭司であり
本心では偶像を造る事に対して
否定的であった事が分かります
ですが圧倒的多数のイスラエルの民を前にして
要求を退けるほどの力がありませんでした

モーセはイスラエルの民の不満に対して
神を信じ従う事を常に説いていました
大多数の大衆が要求していても
常に”何が神の義であるか”を判断し
時には神様に直接相談し
そうして民を正しい方に誘導しました
ですがアロンは
この大衆の圧力に流され
正しい道からそれている事に気が付いていながら
修正しませんでした

さて、次に
神として造られた偶像が
なぜ”子牛の像”だったのか?
という疑問がわいてきます
これについては
民数記23章22節24章8節
ヤハウェを「野牛の角」として表現していることから
つまりこの子牛は
エジプトで神として崇められていた
アピスと呼ばれる牛の神ではなく
イスラエルの神様であるヤハウェを
偶像化したと考えられます
もちろん昔を懐かしむイスラエルの民にとって
見慣れた牛の像と言う安心感があった事も
事実かも知れません

モーセが神様と相対し
律法を受け取っている間に
山の麓ではこの様な騒動となっていることを
もちろんモーセは知りませんが
神様は当然知っておられるので
モーセに対して
『すぐに山を降りなさい』と告げています

『律法を受け守ると約束したばかりなのに
イスラエルの民は堕落してしまった
彼らは項(うなじ)が強(こわ)い民であり
彼らを滅ぼし尽くして
モーセから再びイスラエルを興そう』
と伝えました

”項が強い”と言う表現は
頑固であったり
従順でない事を示す表現です

項とは首の後ろの部分であり
そこが強いと言う事は
頭を下げる事が出来ないと言う事だからです

神様があれだけ救いの手を差し伸べ
存在を示し、直接契約を交わしても尚
イスラエルの民は
目に見えない神様の姿を
信じ切れていませんでした

ここでモーセは
神様に対する執(と)り成しを始めます
要点としては2つであり

1つ目は
イスラエルに手を下すことで
神様の名が穢(けが)されてしまうと言うもの
神はイスラエルの民を
ここまで守り導いて来たわけですが
逆に”イスラエルの民を殺す為にここまで連れて来た”
と言われてしまう心配を伝えました

2つ目は
アブラハムに対する契約を
思い出して欲しいと言うものでした
創世記において神様は
アブラハムに対して一方的な契約を結んでいます
その1つに
”アブラハムの子孫を星の数ほど増やす”
と言うものがありました
ここでイスラエルの民を討(う)った場合に
その約束が成就されなくなると伝えています

このモーセの執り成しにより
神様はイスラエルを討つ事を思い直し
モーセもまたイスラエルの民を正す為に
下山を開始しました

下山を開始したモーセでしたが
その手には2枚の石板がありました
この石板の両面には
神様の筆跡で文字が刻まれており
そこには「十戒」が書かれていました
ちなみにここでは
モーセが律法の書かれた石板を持っていることしか
語られていませんが
申命記413節を見ると
この石板に十戒が書かれていたことが分かります

またこの下山中のモーセに
ヨシュアが合流します
出エジプト記2413節を見ると
ヨシュアはモーセと共に
シナイ山へ登りましたが
頂上まで登っていない事が分かります
つまりヨシュアは山の途中で
モーセの帰りを待っていました

そしてヨシュアは
モーセと共に下山する中で
麓に近付くと騒がしい声を聞きます
ヨシュアがモーセに対して
『争っているのでしょうか?』と問うと
モーセは答えました
『いや、これは戦いの声ではなく歌声だ』

実際にイスラエルの宿営地では
金の子牛を神として崇め
これを賛美する祭りが開かれていました
これを見たモーセは怒りのあまりに
手にした石板を叩きつけて破壊し
金の子牛像も砕いて水に混ぜ
イスラエルの民に飲ませました

この”水に混ぜて飲ませる”と言う行為は
民数記略において
似た様な記述があります
民数記略第511節からを読むと
”不倫を疑われた妻の判定方法”について
以下のように書かれています
それは
水に呪いの言葉を書いた紙を削って混ぜ込み
妻に飲ませる事で
神様が真偽を判断すると言うものでした

ですから金の子牛を造ってしまった罪を
”水に混ぜて飲ませる”ことで
イスラエルの民に自覚させると共に
その処遇については
神様に委(ゆだ)ねるという
意味合いがあったのではないかと察します

モーセの怒りはアロンにも向けられます
民を指導する立場であるアロンが
なぜこの様な大罪を犯すことを許したのか
それに対するアロンの言い訳は
先に述べた通りです

さて大罪を犯したイスラエルの民ですが
罪には報いを与えなければなりません
そこでモーセは野営地の入口に立ち
『エホバに帰する者は我に来たれ』と言うと
レビ族がモーセの元に集まりました
そしてモーセはレビ族に対して
『刀を持ち
金の子牛像に加担した者を殺せ』と命じます
その結果
1日で3000人が殺されました

思い返せば
レビ族の始祖であるレビは
兄弟であるシメオンと共に
シケムの町で大虐殺を行いました
妹であるディナが
暴行を受けた事に対する復讐であり
それにより父ヤコブの遺言では
「イスラエルの内に散らす」とまで言われています
かつて個人の怒りに任せて
刀をふるったレビでしたが
その子孫は神様の名を守る為に
ここで刀をふるいました
この功績により
レビ族は特別な祝福を得て
後に広く神に仕える祭司職を
つとめていく事となります

民数記略第1820節からを見て行くと
レビ族に対しては
「幕屋に関する作業の一切」を
担わせることが分かります
しかしレビ族には
「嗣業の地を与えない」とされました
この裏には
彼らの根ざす場所が
土地ではなく臨在の幕屋であり
また幕屋は、この後に
神殿へと変わっていく事があります

更にイスラエル全体における
信仰的な指導者としての立場となる為に
特定の土地に根差してはならない為でもありました
そして特定の土地に根差せないと言う事は
この時代の収入源である
羊を飼う事が出来ません
そこで幕屋や神殿に捧げられる捧げ物の内から
十分の一を自らの生活の糧として得る事が許されました

こうして見ると
イスラエルの父ヤコブの遺言がハッキリとしてきます
つまりシメオンとレビに対する
「イスラエルの内に散らす」と言う申し付けは
それぞれで意味合いが異なるわけです
ここまで聖書を見て来る中では
シケムの町における大虐殺に対する報いにより
単に”散らされた”のだと受け止めていました

確かにシメオン族は
ユダ族に吸収される形で消えて行きましたが
レビ族については
神様に立ち返る姿を見せた事で許され
同時に”特別な使命”を与えられた事で
イスラエルの内に散っていく事となります
それはシメオン族の様な同化によるものではなく
各部族の中で信仰における指導者として
役割を与えられ赴任していく訳ですから
同じ「散っていく」と言う表現でも
意味合いが大きく異なるわけです

かつて罪を犯したレビ族が
神に立ち帰ることで許されたように
現代に生きるわたしたちもまた
神に立ち帰ることで必ず受け入れられ
許しが与えられていきます

とはいえ、忙しい現代社会ですから
四六時中神様のことを考えて・・・
というわけにはいきません
何か大きな出来事があれば
人間的な感情により振り回されて
瞬間的に「神の働きがある!」という発想には
なかなか及ばないかもしれませんが
その問題が過ぎ
振り返って感謝した時には
遅ればせながらでも
わたしたちを常に受け入れてくださる神
イエス様という存在がある事を覚えて
また新たな一週間を歩んでいきたいと思います