イスラエルの民を導くリーダーとして
  神に選ばれたモーセは
  どんな困難の中でも
  自分の身をささげる覚悟で
  リーダーとしての役割を果たした


前置きの話はこちら→「ノブレス・オブリージュ」

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出エジプト記 第33章より

金の子牛像を作った罪に報いる為
レビ人によるイスラエルへの大粛清が行われました
これにより今回の一件についてはとり成され
イスラエルの民は再出発を目指す事となります

そこで神様はモーセに対して
「約束の地へ向かえ」と命じました
ただしこれまでの様に
神様が直接イスラエルの前に姿を現して交流するのではなく
あくまでも臨在の幕屋を通じて接触する形となります

また神様は御使いを派遣して
イスラエルに同行させると告げました
これは金の子牛像を作った罪の償いであり
モーセがとり成したことで取りあえずは
イスラエルの民が滅ぼされる事はありませんでしたが
”項(うなじ)の強(こわ)い民”(神に対して心をかたくなにする民)
と呼ばれたイスラエルの民と共に神様が在ると
この先も聖別する為に
イスラエルの民が滅ぼされかねないと思われたのです
またイスラエルの民に対して反省を示させる為
身を飾っている装飾品を外す様に指示しています

またモーセは神様から指示を受ける為に
1つの天幕を野営地から離れた場所に張りました
まだ25章でふれた正式な幕屋は建設されていませんので
モーセは一時的な臨在の幕屋として
簡易的なものを立てました
モーセがそこに入ると雲の柱が降りて来て
幕屋の入口をふさいだとあります
この幕屋の中でモーセは神様と会話し
モーセが幕屋から出て来るまで
イスラエルの民は各々の幕屋の入口に立ち礼拝しました

ここで神様に相対したモーセには不安がありました
それはここまでイスラエルの民と共に在った神様が
イスラエルの中から外れると表明したからです
つまりモーセにしてみれば
「これまでの様な神様の密接な支援はどうなるのか?」
と言う不安がありました
またモーセ自体は神様から義とされていても
罪を犯したイスラエルの民はそうではありません
そこで12節からモーセは神様に対して交渉を始めています

まず最初にモーセは
私はあなたに好意を示すとおっしゃるが
私と共に遣わされる者は誰ですか」と問いました
つまりモーセは
「神様が私を義として下さるのは良いとして
私が1人でイスラエルの民を導くのですか?」
と問うている訳です
これに対して神様は
「私自身が同行し、あなたに安息を与えよう」
と回答しました

次にモーセは
「もしあなたご自身が伴って下さらないなら
私たちをここから登らせないで下さい」と問います
ここで主語が「私」から「私達」に代わりました
つまりモーセもイスラエルの一員であり
これまでの仲介者としての立場から
イスラエルの民として自分を一段階下げる事により
「自分を義とするならイスラエルの民も義ですよね?」
と論理を展開します
そしてその義である証拠として
「好意」を我々に示して欲しいと迫りました
この問いに対して神様は
「あなたのこの願いを叶えよう」と認めました
モーセのギリギリの交渉は神様の目にかなう所になった訳です

最後にモーセは
「あなたの栄光を示して欲しいと」告げます
その偉大な姿をイスラエルの民に対して示す事を求めました
ですがこの願いについて直接は叶えられません
それは人間が罪を抱えた存在であり
完全な光である神様の顔を直視すると耐えられないからです
ですが神様は愛を持って
モーセにその後ろ姿だけを見せました
それは岩の裂け目にモーセを立たせ
そのすき間から
通り過ぎる神様の姿を見ることができるというものでした
ただし神様が通り過ぎるまでは
神様がモーセを手でおおったため見ることは出来ませんが
神様が通り過ぎた後でおおいが無くなると
後ろ姿を見ることが出来ました

こうしてモーセの再出発が決まりますが
その準備として石板の再製作が行われます
十戒が書かれた最初の石板は
イスラエルの民が金の子牛像を製作した事に対する怒りで
モーセが叩きつけて割っていました
ですからモーセは再度シナイ山へ登り
そこで石板を用意して
神様からの2度目の十戒を記録していく事になります

あれだけ従わないイスラエルの民に対しても
モーセはイスラエルの側に立って神様と交渉しました
それも「神様が私達と共に行かないのであれば
我々も約束の地へ登らなくて良い」とタンカを切り
一歩間違えれば自分も討たれかねない状況で
神様に迫ったのです
このモーセの自己犠牲的な振る舞いは神様の心を動かし
結果的に石板が再製作され契約も結ばれ
イスラエルの民は神様に導かれて
カナンの地へ向かう事となりました

前回の執り成し、今回の交渉
どちらもイスラエルを束ねるリーダーとして
神様によって置かれたモーセですから
その立場に応じた振る舞いをし
イスラエルに対する道徳的な責任を果たした
つまりノブレス・オブリージュを実行した訳ですね

さて、出エジプト記をずっと進めてきました
振り返ると昨年の6月から始めて丁度9ヵ月となりますが
次回で出エジプト記の最終回となります
最後に幕屋の建設
そしてイスラエルの民の旅立ち
これをもって出エジプト記は終わる事となります