これから始まる荒野の旅の中で イスラエルの秩序と神聖さを保つ為に 神による様々な規定が作られていくが その規定には神目線の深い意味がある |
民数記略 第4章より
前回レビ人の人口調査が行われ
生後1ヶ月を超える男子の人数が
約2万2千人となりました
この中から
幕屋の作業に従事する人が割り当てられましたが
この4章からは作業に従事出来る人口の調査と
具体的に誰がどんな作業に従事するのかを定めています
ここで言う幕屋の作業とは
「幕屋の移動」に関する作業の事です
ヤコブの子レビには
ゲルシヨン、コハテ、メラリと言う3人の子供がいました
それぞれがレビの支族として分かれて行き
この時のレビ族には
大きく3つの支族があったのです
各支族には
幕屋を移動する際の作業割り当てがありました
幕屋の移動に際しては事前に
大祭司アロンと2人の息子が至聖所の垂れ幕を外し
それで契約の箱をおおいます
契約の箱を含めた様々な物品を
ジュゴンの革と青い布でおおい
これから幕屋で作業を行うレビ族が触れても
罪とならない様に配慮されました
まず最初に聖書で記述されているのはコハテ族です
コハテ族の担当は
これらおおわれた祭具の移動です
そこには「契約の箱」と「至聖所の幕」も含まれ
最も重要な物品の運搬を担いました
また作業に当たるコハテ族は
アロンの息子であるエルアザルが指揮監督に当たります
神様はコハテ族を絶やさない様にモーセとアロンに告げ
その為の配慮として
作業に当たっては事前にアロンと2人の息子が
コハテ族の1人1人に作業割り当てを明確に伝える事とします
これにより触れなくても良い物に触れない様にさせ
また作業の混乱を防いで
偶発的な事故が起きない様にしたのです
次はゲルシヨン族とメラリ族です
ゲルシヨン族の担当は幕屋その物の運搬であり
特に幕屋を構成する垂れ幕と
それに付随する綱や金具等を運びました
メラリ族は幕屋の柱や壁板
台座等の幕屋の骨格となる部品を運びました
ゲルシヨン族とメラリ族は
アロンの息子であるイタマルが指揮監督に当たります
これら幕屋の作業には
レビの各支族から30歳以上50歳以下の者が従事し
この人数を数え
他の部族と同様に家系を含めて登記が行われました
こうして数えた実務を担える人口は
レビ族全体で8580人でした
なぜ30〜50歳なのかと言うと
この後8章で
レビ族の任期が25歳から50歳と定められているからです
50歳を超えると定年となり
2度とその作業に就いてはならないとされました
ですが幕屋の警護作業であったり
後輩への指導を通じて経験を伝える等
補助的な役割は残っていた様です
現代の企業における再雇用と同じ事が行われていたのですね
ちなみに25〜30歳は何をしていたのかと言うと
「見習い期間」であり
30歳から正式に幕屋の作業に従事する為の準備期間でした
こうして見るとレビの支族の中で
コハテ族が”最も重要な作業”を
割り当てられていることがわかります
なにしろ契約の箱、至聖所を隔てる垂れ幕等
神様の臨在の中心となる部分に触れる事を許されたのですから・・
歴代志略(上)第6章で
レビ族の家系図が示されていますが
この中でコハテからは
アムラム、イヅハル、ヘブロン、ウジエルの
4人が挙げられています
そしてコハテの長男アムラムの子供こそが
アロン、モーセ、ミリアムであり
この時点でイスラエルの信仰の中心は
コハテ族が支えていました
従って神様は
最も重要な仕事をコハテ族に担わせたのです
5章に入ると神様は
出発の前にやるべき事を
立て続けにモーセへ告げます
まず神様はモーセに対して
「汚れた者をイスラエルの中から取り除きなさい」
と命じます
汚れた者と言うのは
らい病等の重い皮膚病を患っている者
身体から膿や血液が流れ出る状態
死体に触れた者を指し
これらの人々は
神様が臨在するイスラエルには相応しくないとして
野営地から外に出されました
ではこれらの人々はイスラエルから取り除かれ
生きる事もままならず死んでしまったのかと言うと
そうではありません
レビ記第14章と15章を見ると
これらの汚れた者が
”水による洗いと生贄を捧げる事で清められる”
と書かれています
ですから、汚れたから終わりと言う事ではなく
新たに清められてイスラエルに相応しい状態となれば
復帰できたのでした
次に神様はモーセに対して
妻が姦淫の疑惑を持たれた場合の
取り扱いについて示しました
夫は妻を祭司の元へ連れて行き
そこで判定を行う儀式が行われます
まず聖水に幕屋の床の塵を混ぜ
更に祭司が紙に書いた呪いの言葉を水に溶かしました
疑われた妻は用意された水を飲みます
もし潔白であれば何も起こりませんが
罪を犯していた場合には腹が膨れ
腰が衰え子供が出来なくなる呪いがかけられます
このタイミングでこの取り扱いが示されたのは
これから始まる荒野の旅の中で
イスラエルの秩序と神聖さを保つ為でした
特に夫婦間の疑念や不和と言うのは
家の秩序を保つ上で重要ですから
この規定が示されたわけです
6章に入ると
ここで「ナザレ人」と言う者が登場し
男女に関係なく自ら志願して神様に誓いを立てます
ただしナザレ人になると
「ブドウを含む食品を口にしてはならない」
「髪を切ってはならない」
「死者に近付いてはならない」
と言う誓約を守る必要が有り
この誓約を守る限りにおいては
生きながら神様に捧げられた存在として聖別されました
ただし、このナザレ人について
具体的な人物は民数記の中で出てきません
あくまでもその存在が示されるに留まり
聖書で最初に出て来るナザレ人は
士師記に登場するサムソンです
士師記第13章を見ると
ダン族にマノアと言う人物が登場し
この夫婦には子供がいませんでした
そこで御使いが現れ、マノアに対して
「これから男の子が生まれる」と告げます
ただしその男の子は
生れる前からナザレ人である為
生まれてからその子の頭に
剃刀(かみそり)を当ててはならないと命じました
ナザレ人として献身し聖別されたサムソンは
神様によって無類の強さを誇り
ペリシテ人を次々に倒していきます
ですが自身の力の源である髪の毛の事を
デリラに明かしたことで髪を切られてしまい
ナザレ人としての誓願が無効となった事で
力を失い捕らえられました
しかし髪の毛が再び伸び始めた事と
サムソンが悔い改めた事で
最期に1度だけ力を取り戻し、
リシテ人諸共滅びて行ったのは有名な話です
他にもサムエル前書では
第1章にハンナと言う子供のいない女性が登場し
神殿において誓いを立てて祈っています
その祈りとは
「男の子が与えられるなら
その子の一生を主に捧げ
その子の頭には
決して剃刀を当てません」と言う物です
その結果生まれたのが
後の預言者サムエルであり
この事からサムエルも
ナザレ人であったと考えらえています
そして新約聖書においても
ナザレ人では無いかと言われているのが
バプテスマのヨハネです
ルカ伝第1章で
天使ガブリエルがヨハネの父ザカリアに対して
「これから生まれる子供は
ぶどう酒や強い酒を飲まず
母の胎内にいる時から聖霊に満たされている」
と告げました
ここでは髪の毛の件や死者に近付かないと言う部分について
ヨハネの記述が無いので
明確にナザレ人とは断定できません
ですがヨハネもまた
その一生を神様に捧げる人生を歩む事になります
ナザレ人と言うのは
民数記略において「志願制」となっていますが
聖書に出て来るこれらのナザレ人は
志願どころか生まれる前から
ナザレ人である事が定められています
それは神様のご計画を進める上で必要な
パズルのピースとして召された者たちであり
彼らが特別優れていたからとか
特別な力があったからナザレ人になった訳ではありません
ナザレ人として神様から特別な使命を与えられた者は
その使命を果たす為に
「ブドウを含む食品を口にしてはならない」
「髪を切ってはならない」
「死者に近付いてはならない」
と言う誓約を守る必要がありました
「ブドウを含む食品を口にしてはならない」と言うのは
ぶどう酒を飲んで酔ってしまわない様に
お酒を飲むのがダメと言う事ではなく
酔って自分に課せられた使命が果たせない様な
事態とならない様にと言う事です
祭司が幕屋で働く際に
お酒に酔う事を禁じられた様に
役割を果たし間違いを犯さない為には
徹底してお酒を排除する必要がありました
「髪を切ってはならない」と言うのは
コリント前書第11章を読んでいくと見えてきます
パウロは女性が髪を伸ばすのは
神の栄光を映す為と説いています
つまり髪を伸ばすと言う行為は
従順さと謙遜の印であり
ナザレ人が髪を切らない理由も
これと同等と考える事が出来ます
最後の「死者に近付いてはならない」と言うのは
聖別されている事から特別な清さを保つ為ですね
特に当時のイスラエルで死は不浄な物であり
完全に清い物である神様とは相反するものですから
避ける必要がありました
この様にナザレ人と言うのは
確かに素晴らしい物ではありますが
それは神様がその様に用いるから素晴らしいのであり
これらの誓約は守る事が目的なのではなく
神様からの使命を果たし栄光を帰する為には
結果的にこの誓願を守る事になったのです