今回は民数記略から離れたお話しです

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先週、妻と映画を観てきました
色々な意味でタイムリーな映画となった
「教皇選挙(CONCLAVE)コンクラーベ」です
宗教映画と言うよりも
ゴリゴリのミステリーサスペンス映画でした

前ローマ教皇の死をきっかけに
次の教皇を選び出す選挙が行われますが
世界中から100人程度の枢機卿が集まって
システィーナ礼拝堂で選挙を行います
それぞれが次期教皇として推す枢機卿の名前を紙に書いて投票し
2/3の票を集めた枢機卿が
次の教皇として選出される仕組みです

この映画では
選挙の総指揮を執る事になった
ローレンスと言う首席枢機卿が主人公となり
この人の目を通じて物語が描かれて行きます

100人以上の枢機卿の票を
誰か1人に2/3を集めると言う事は
「神が選ばれる」と言いつつも
現実にその水面下では
様々な陰謀や策略が渦巻かなければ決まりません

ローレンスは真面目で
正しい教会の在り方を求めている正義の人でしたが
理想と現実、信仰と争いの中で悩み
葛藤し、擦り切れて行く中間管理職となっていました

最初は「私は教皇として相応しくない」と言い
あくまでも選挙の総指揮を執る事に
集中していたローレンスでしたが
何度も投票を繰り返す中で
自分も教皇となる可能性が出てきました
するとそれまで
友人の枢機卿の名前を書いて投票していましたが
しれっと自分の名前を紙に書いて投票したり
自分が教皇になったら
教皇名として「ヨハネ」を名乗りたいと言う様になります
「自分には野心も無いし相応しくない」と
言い切っていたローレンスでしたが
その道が現実に見えてくると心移りして
ちょっとまんざらでもない表情をしていたのが印象的でした

そもそもカトリックが
厳格な倫理観や行いを含めた教義を守ろうとするのは
カトリックが成立するまでの歴史を見ると良く分かります

マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの「四福音書」の時代
当時は共和制ローマが崩壊して
帝政ローマへと移行した時期と重なります
元々は元老院と言う貴族が
集団で議論して政治を為していましたが
長い歴史の中で権力を手にした元老院が腐敗し
安定した国家運営を目指しユリウス・カエサルの手によって
共和制から帝政への移行が進められました
その結果としてカエサルは強大な権力を手にしましたが
最後は反発した元老院により暗殺されて終わります。
ここからローマはローマ帝国として再出発を果たし
初代ローマ皇帝としてアウグストゥスが登場します
この時が紀元前27年であり
イエス様の誕生から30年ほど前に起きた歴史的なイベントでした

イエス様の誕生から
公生涯を通じてローマ帝国を治めていたのは
アウグストゥスの養子であるティベリウスの時代になります
有名な「カエサルのものはカエサルに」と
イエス様がおっしゃったカエサルとは
このティベリウスの事を指しています
当時はローマ皇帝の総称として「カエサル」が用いられていました
ティベリウスはイエス様の昇天後も5年ほどローマ皇帝を務め
最期は良く分かっていません
病死したと言う説と、暗殺されたと言う説が混合しています
ちなみにパウロが迫害を受けたのは
ここから約20年を経て3代後の皇帝ネロの時代でした

何にせよ、この時代のキリスト教は
数多ある宗教の1つに過ぎません
しかも当時のローマ皇帝は神に等しい存在であり
崇拝の対象でもありますから他の宗教は邪魔な存在でした
従って当時の布教活動は水面下で行われ
カタコンベと呼ばれる地下にある共同墓地で
夜な夜な集まって秘密裏に集会が行われています

しかしローマ帝国の領地拡大も西暦100年頃をピークに停止し
次第に外を向いていた目が内側に向き始めます
すると帝国内で政治や権力を争って内紛が広がり
特にローマ皇帝が次々暗殺される時代となりました

西暦250年頃には軍人皇帝時代と言われ
ローマ軍の選んだ皇帝が立てられますが
50年間で皇帝が26人も入れ替わる事態となります
その多くは反乱や暗殺による退位でした
この混乱の中で次第にローマ皇帝の権威が失墜し
ローマ皇帝は孤立する状況になっていました

ここで西暦306年に
当時のローマ皇帝であるコンスタンティヌス1世が
「ミラノ勅令」を発してキリスト教を公認します
これは当時帝国内で広がっていたキリスト教を公認する事で
皇帝の懐の深さを見せて権威を取り戻し
かつキリスト教により帝国内を統一する計画でした

こうしてローマ皇帝から公認されたキリスト教でしたが
今でもそうである通り
結局は聖書解釈によって様々な考え方が存在していました
そこで「ニケア公会議」が設けられ
何が正統の教義であり
何が異端であるのかを議論する事になります
こうしてローマ帝国内ではキリスト教の正統が定められ
更に70年後には国教として採択されました

ところが結局は
ローマ帝国にとって都合の良い形にキリスト教が整えられ
当時の教会側も
皇帝の権威によって守られる事を選んだに過ぎません
増々宗教と政治が結び付き
神と人との繋がりを説くはずの宗教は
人が人をコントロールする為の存在へと変わっていきました

この流れはこの直後に訪れるローマ帝国の分裂を経て
西側ローマ帝国のキリスト教と
東側ローマ帝国のキリスト教へと別れて行きます
当初は東西の教義は統一されていましたが
西側ローマ帝国の中心地であるイタリアのローマと
東側ローマ帝国の中心地であるトルコのコンスタンティノープル(現イスタンブール)の間には
陸路で2000kmもの距離があり
次第に教義の統一が失われ
最後には西側のキリスト教はローマカトリックとして
東側のキリスト教は正教会として分裂していきます

こうして成立したカトリックではありましたが
結局はローマ帝国にとって都合の良いツールであり
次第に教会も腐敗して
権威主義や拝金主義へと堕ちて行きます
その状況を嘆いて宗教改革を訴えたのがルターであり
プロテスタントを含めた新宗派の誕生へと繋がっていきます

もちろん宗教改革後
カトリックも改革に向けた動きを興しました
教会の腐敗を取り除き
プロテスタントに対抗し得る存在として改める動きに出ます
しかし何でもそうですが、新しく変えたいリベラル派と
伝統を守りたい保守派は衝突します
歴史の長いカトリックは保守の声も強く
少しずつ時間を掛けながら変わりつつあると言う状況の様です

この映画の中では
有力な枢機卿が次々に隠されたスキャンダルで足を引っ張り合い
次第に投票先が絞られて行く様子が描かれます
そして誰かがスキャンダルを明かされて
教皇レースから脱落していく中で
他の枢機卿が敵が減った事を大喜びしてく訳です

ここで「Schadenfreude(シャーデンフロイデ)」と言うドイツ語があります
英語にもそのまま持ち込まれ
同じ発音で同じ意味が通じる単語でもあります
これは人の感情の1種であり
研究によると2歳の子供にも
既にこの感情が芽生えている事が確認されています
人が人生の中で不公平感を感じた時
また理不尽な思いをした時にSchadenfreudeを生じ
これによって人は置かれた環境に対する不満を自分の中で解決するのです
男女でこのSchadenfreudeの現れる原因が異なっており
女性は嫉妬の感情
男性は自分に対する不正や不利益をもたらした者に対して
Schadenfreudeを生じ易いとされています

さて、ここまで
Schadenfreudeとは何か?」と言う部分には触れてきませんでした
実は一言で言い表すことが難しい単語なのですが
日本にはこの単語を最も分かり易く表現している諺(ことわざ)があります
それが「他人の不幸は蜜の味」です
大人の汚い部分と言うイメージがありますけど
実は小さい子供にも備わっている人間の原始的な感情だそうです

人には社会性があり
常に自分の置かれたポジションを確認しています
社会と言う大きな枠だけでなく
会社や学校の様な小さなコミュニティの中でも
自分の立ち位置を無意識に確認しています
自分が誰かよりも相対的に高い位置にある事は安心感の源であり
Schadenfreudeは誰かを下げる事で
相対的に自分の位置を上げようとする感情の動きとなります

なぜ人にSchadenfreudeが伴うのかと言えば
それは「他人の失敗から学ぶ為」でもあります
人の失敗を見て自分が同じ過ちをしない為に
学習能力として与えられた機能である訳ですが
その機能を自分の感情を慰める為に利用してしまうと
Schadenfreudeとして現れてしまうのです

ロマ書1215節でパウロは
「他人の失敗を喜ぶのではなく共感しなさい」と教えています
他人の失敗を自分の物として受け止め
そこから学びなさいと教えている訳です
しかしその聖書を良く読んでいるはずの枢機卿たちが
相手の失脚を喜んでいる様子を見た時に
表面的な行いを重視して形から入ると
結局は中身が変わらないままになってしまうのだろうなと感じる訳です