神のご計画に無駄はひとつも無いが
  人には先の展開が分からないので
  なぜこんなことが起こるのだろうかと
  いちいち不安になってしまうもの
  それでもいつか
  報われたと感じられる日が必ず来る

民数記略第915節より

幕屋を立てた日
つまり出エジプトから
ちょうど1年が経過したその日
幕屋に雲が降りてきました
もちろんこの雲は「神の臨在の象徴」です

この雲は日が暮れると炎の様に現れます
そしてこの雲が幕屋を離れると
出発の合図であり
逆に雲が幕屋に留まっている間は
それが例え何ヶ月に及ぼうとも
イスラエルの民はそこに野営し続けました
この”雲として姿を見せる神の指示”に従い
イスラエルはこの先もずっと
行動し続ける事になります

10章に入り
神様はモーセに対して
銀のラッパを2本作る様に申し付けます
それらは継ぎ目のない
「叩き出し」によって作らなければなりませんでした
叩き出しと言うのは
鉄板などをハンマーで叩いて曲げたり
形状を整えながら形にしていくものであり
切ったり削ったり繋いだりと言う加工は
禁止されました

この叩き出しによる造作は
既に出エジプト記で登場しており
それは幕屋に設ける燭台を
金の叩き出しによって作る様に
神様が命じていました

叩き出しと言うのは
1つの素材から形を変えて作る方法であり
そこに加える事も減らすこともありません
すなわち純粋で完全なモノとして
神様の使命に用いるには最適な加工方法でした

この作られたラッパは
これから集団で行動するイスラエルに対する
指示を伝える役割を果たします
このラッパの吹き鳴らす長さと本数によって
意味が変わり
それを聞いたイスラエルは
どんな指示が出されているのかを
判断して行動する事になります

2本のラッパが長く吹かれると
幕屋の入口への集合を意味しました
1本のラッパが長く吹かれると
族長の集合を意味しました
短く吹くと出発の合図ですが
1度目は幕屋の東側に野営している
ユダ部族を中心とした3部族が出発し
2度目は南に野営している
ルベン族を中心とした3部族が出発し
幕屋を中心として時計回りに
東西南北3部族ずつに分かれているイスラエルが
列を為して出発しました

他にも戦いの合図や
祝いの場において神を賛美する為に鳴らされました
これらは全て神様からの指示を
イスラエルに伝える為に鳴らされるものであり
このラッパを吹くのは
祭祀であるアロンの息子と指定されています

エジプトを発って2年目の2月20
幕屋をおおっていた雲が離れたのが
出発の合図となりました
この雲はパランの荒野まで移動し
そこで留まり次の野営地が示されます

ここからの話は
このパランの荒野までの旅路の話です
逆三角形の形をしたシナイ半島の
南部にシナイ山があり
その南側に広がるのが
これまでイスラエルの野営したシナイの荒野です

今回出て来たパランの荒野と言うのは
シナイ山をペルシャ湾沿いに回り込んだ
山の北側に広がる荒野です
Google mapでざっと距離を見てみましたが
直線距離で100150km程の場所でした

まずラッパが短く吹き鳴らされ
出発の順は既に示されている通り
ユダ部族から始まります
続いてイッサカル、ゼブルンと
幕屋の東側に野営していた部族が出発します
次に解体した幕屋を運ぶ
ゲルション及びメラリ族が続き
更に幕屋の南側に野営する
ルベン、シメオン、ガドの3部族が続きます

ここまでが前半部であり
ガド族の後ろ
即ち12部族の中心を歩くのは
もちろんコハテ族です
彼らは「契約の箱」を担いで続きました
後半部は幕屋の西側に野営する
エフライム、マナセ、ベニヤミン族が続きます
こうして行軍の最後部は
ダン、アシェル、ナフタリと続いて
イスラエルの全部族が出発しました

さてこうして出発をしたイスラエル一行でしたが
ホバブと言う人が登場します
この人はモーセの妻チッポラの兄弟です
かつてエジプトから逃れたモーセが流れ着いた先
ミデアンの地で出会っていました
その後出エジプトを果たしたモーセの元に
舅のエテロが妻チッポラと子供たちを連れて来た
と言う記述はありますが
このホバブがどのタイミングで
イスラエルの元に来たのかは明示されていません
ただ少なくともこのシナイの荒野を出発する時点まで
モーセらと共に在った様です

このホバブに対してモーセは
『一緒に約束の地へ行きましょう』と誘いますが
ホバブはミデアンに残した親族の元へ帰ろうとしました
しかしモーセはどうしても
ホバブに同行してもらいたかったのです
それはこれから旅をする上で
この地域の土地勘があり
荒野の旅に知見のあったホバブを
必要としていたからでした

このホバブはここで突然登場しましたが
ホバブが属するのはミデアン人です
このミデアン人と言うのは
ルーツを探るとアブラハムに行き着くわけですが
創世記251節を見ると
アブラハムは妻サラの死後に
ケトラと言う女性と結婚している事が分かります
このケトラとの間に産まれる
四男ミデアンがそのルーツであり
5節以降を見ると
祝福を受け継ぐイサクとは離して
東へと移住させて行ったと書いてあります
このミデアンらはカナンの地を離れ東の方
つまりヨルダン川を超えて
今のヨルダンとサウジアラビアの国境付近で定住し
そこがミデアン人の土地
聖書では
ミデアンの地となって行ったと考えられています

かつて”星の数ほど増えて行く”と
神から言われたアブラハムの子孫
その中で主流であるイサクとは別に
傍流(ぼうりゅう)であるケトラの息子ミデアンが出て
このミデアンを始祖とするミデアン人の祭司である
エテロと娘チッポラが
アブラハムの主流でありヤコブの子
レビ族の末裔であるモーセと再び結ばれて行くと言う
400年を超えた
壮大な親戚付き合いがそこにありました

また義理の兄弟であるホバブは
モーセを助けるものとなり
ここから派生するケニ族は
この先のイスラエルの旅路において
長い付き合いをしていく事になります

このケニ族とイスラエルの繋がりで
最も大きなイベントとしては
士師記4章で
ヤエルと言うケニ族の女性が登場します
この頃にイスラエルは
カナン軍の将軍であるシセラと戦っており
20年に渡って
強大なカナン軍の圧力を受け続けていました
ですが神様の介入によってイスラエル軍が押し返し
退却したカナン軍の将軍シセラを
ヤエルは介抱する振りをして殺害しました
つまり劣勢を強いられたイスラエルが
勝利を収める最後の一押しをケニ族が果たしたのです

こうして見た時に
聖書を通じて語られる神様のご計画ですが
読んでいる時には気にも留めないような
些末(さまつ:重要ではない)に思える部分が
遥か先の未来で
重要な役割を果たしている事が分かります

ケトラと言う女性の名前は記憶にありましたが
アブラハムの傍流がどうなっているかと言うのは
正直なところ全く考えた事もありませんでした
どうしてもイサクから広がる
主流の物語が中心となりますので
忘れられた存在ではありましたが
こうやってつながりを感じる時に
神様のご計画に無駄は無いのだなと
改めて思わされるところでもあります

聖書を読んでいると
”脈略も無く登場する話”と言うのが
定期的に差し込まれてきます
1つの大きな流れの中で
読んでいる時には良いのですが
こうして一見無関係そうな部分が現れると
「なぜここでこの話が出て来るんだろうか」
と不思議に思います

ですがその時に意味は分からずとも
聖書に書いてあると言う事は
何らかの伝えるべき意味があり
それがその時に分からずとも
いずれ分かる日が来る

そこは私達の人生も同じであり
「このイベント(出来事)は必要なのか?」
と言う事が起きて来る訳です
良い出来事なら疑問に思う事は少ないでしょうが
悪い・不都合な出来事だと
神様を疑ってしまうのではないでしょうか?!

ですが信じていれば
望んだ形ではないかもしれませんが
いつか報われたと感じられる日が必ず来る
そうやって不安の中から希望を見出せる強さこそ
イエス様を信じる信仰の表れと言えるのです