前回に引き続き
「民数記略」をお休みして
『キリストの救い』についてのお話しをします
そもそもキリスト教と言うのは
唯一の神であるイエス・キリストを信じ
イエス様の言葉が書かれた聖書を信じ
その中から
”神に在る平安”に希望を見出して歩んでいく宗教です
元々は現在の中東
地中海沿岸部でユダヤ教がありました
このユダヤ教では
旧約聖書を聖典として扱いますが
この中で書かれている通り
唯一の神エホバが天地を創造し
私たち人間を神様の形に似せて創造し
アダムとエバが神様との約束を破って
知恵の木の実を食べた事で
人は神に背き罪を犯しました
この罪が人間に入って来た事により
その後、神様と同じエデンの園での生活は
許されなくなりました
そこで二人は地上に降ろされ
そこで新たな生活を始める事になります
ところが数が増える毎に
人は神様に従わなくなります
この状況に対して神様は
人類に入った罪を許し
再び神と人間を和解させるご計画を始めます
そこで今から約4000年前に
現在のイラクに住むアブラハムと言う
当時70歳のお爺さんが神様から選ばれ
このアブラハムに対して神様は
一方的に約束をします
それはアブラハムの子孫が星の数ほど増えていく事
そしてその家系からいずれ救世主が誕生する事
この救世主によって
全ての人類が救われて行くと言うものでした
神様がアブラハムを選んだのは
その信仰の強さが評価された為です
事実、その後に
アブラハムからはイサク
イサクからヤコブ、ヤコブから12人の息子
そしてそれぞれが個別の部族として成長する程に
その数を増して行きました
このアブラハムに連なる一族をイスラエルと呼び
このイスラエルは
神様から特別に扱われる選びの民、選民となります
そしてこのイスラエルには
様々な律法、即ちルールが課せられます
有名なモーセの十戒を始めとして
600個以上の律法を守る様に命じられ
イスラエルは守ろうとしますが
人間は弱いので守り切れません
イスラエルの人々は律法を守れず
罪を犯す度に子羊や子山羊を生贄として捧げ
その血を流すことで神様に許しを請いました
律法を守れなければ神様から裁きを受け
死に直結するので大変な事になる訳です
ここで今から約2000年前
今のイスラエルのナザレと言う町に
1人の男の子が生まれます
この子が約束されたメシアであり
唯一の神が人の子として
肉体を持ってこの世に生まれた存在であり
その名前をイエスと名付ける様に天使が命じます
大人になったイエス様は
ユダヤ教の中で新たな教えを宣べ始めました
特に600以上ある律法は
たった2つの教えに集約されると説きます
それは
@
主なる神を愛しなさい
A
自分と同じように周りの人を愛しなさい
これだけです
イエス様の教えは
当時のユダヤ教の考え方と全く異なっており
最初は「ナザレ派」と呼ばれていました
しかし従来のユダヤ教で
律法を守る様に教えていた指導者たちは
その教えを受け入れられず
最終的にイエス様を
「神を冒涜する者」として
十字架に張り付けて殺してしまいます
ですがそれも神様のご計画でした
かつてイスラエルの民が律法を守れない時
罪の許しを請う為に
生贄として子羊の血を流した様に
イスラエルの民の末裔であるユダヤ人は
罪のない神の子羊であるイエス様を
結果的に生贄として捧げる形になったのです
このイエス様の血が
十字架上で流された事によって
アダムとエバから始まる人類の罪は許され
神様と人間は和解することとなりました
また十字架上で血を流し死んだとされたイエス様は
3日後に墓の中から復活し
弟子たちの前に姿を現した後に天へと昇られました
天に昇って何をするのか
それはメシアとして地上での技を終えて
再び神様としての立場に戻られたのです
こうしてイエス様は
かつての様に
人間の罪をとがめて裁きを与えるのではなく
愛を持って許し
正しい方向へ導く様になります
許された人類は神様を信じ
かつてイエス様がおっしゃった通り
「水と霊」によって神の国に入る事が許されました
水と言うのは「洗礼」
霊と言うのは「聖霊」の事です
洗礼では全身を水に漬けますが
これによって体の外が洗われて行きます
そして聖霊によって内側が洗われて行きます
こうして体の内外が新たにせられ
イエス様のおっしゃる「新たに生まれる」を体現する訳です
聖書によれば
新たに生まれた人は
神の国に入る事が出来るとありますが
この神の国と言うのには2つの意味があります
1つは多くの人がイメージしやすい天国ですね
この世の人生を終えた後
またはこの世界が終わった後
イエス様が統治する新たな世界への移住が約束されます
そしてもう1つの神の国とは
現代を生きる私たちの日常の事です
社会に在って生きている私たちですが
常に不安や迷いが付き物になります
その不安と言うのは
お金や健康や人間関係だけでなく
どんなにお金を手にしていても
どんなに科学技術が発展しても
絶対に超える事が出来ない
「死」と言う不安を抱えて人は生きている
この不安に対して神様は
神による平安を与えると約束しています
ただこの神様の与える平安がどの様な形なのか
どんなタイミングで、どんな事が起こされて
その結果どうなるから平安が得られるのか
それは人それぞれとなります
そしてこの人それぞれの平安の形を
この教会では神様の「ご計画」と呼んでいます
神様の定める事ですから
人間が先に知る事は出来ませんし
全てを終えて振り返った時に
計画の全体像が見えてくるものです
従って今何が起きても
「最後は必ず良い形になる」と信じて
今この瞬間を歩むことが重要なのです
これが当教会で教えている信仰のアウトラインです