迷った時、不安な時
 いつでも神の元に帰ってこれるように
 拠(よ)り所としての神との関係を
 常に心に留めておくことが重要



*前置きの話はこちら→「10月11日」

申命記 第4章 32節より

モーセはイスラエルの民を
鼓舞(こぶ)して語ります

創造の時代までさかのぼった時に
これほどまで守られた民があっただろうか
多くの国々の中から1つだけ選ばれ
ホレブの山で火の中から
主の語る言葉を聞いて生きていられる
出エジプトに際して様々な奇跡を行い
力を与え
主はイスラエルを御自身の物とされた

主はご自身が神であり
他に神はいない事を示され
そしてあなた達はそれを知るに至った
主はあなた達を訓練するために
天から御声を聞かせ
地上に大いなるご自身の火を示された
あなた達はその火の内から
その言葉を聞いた

主はあなた達の先祖を愛し
故にその子孫を選び
大いなる力を持ってエジプトより導き出された
主は強大な国々をあなた達の前から追い払い
導き、今日彼らの土地を
我々の嗣業の地として下さった

旧約聖書はイスラエルの物語ですが
さかのぼれば
ノアから生まれた三人の息子
セム・ハム・ヤペテがおり
それぞれに子、孫と連なる中で
様々な民族に分かれて行きました
更にセム族の中で
アルパクシャド、シェラ、エベルと連なった
末裔(まつえい)のアブラハムを選び取り
このアブラハムから生まれた一族イスラエルを
特別な計らいの中に置いたのです
同じセム族でもアブラハムに至るまでに
多くの民族的な枝分かれがあり
神が選んだ1つの系譜
全人類を救う物語のキーパーソンとして
イスラエルを選ばれたのでした

ですからモーセはここで
イスラエルが如何に神から愛され
特別に選ばれた民であるのかと言う事を
強調しています

あなた達は今日
上の天にても下の地にても
主こそが神であり
他に神のいない事を弁(わきま)え
心に留め
今日私が命じる
主の掟と戒めを守りなさい、と

モーセはここで
「心に留めなさい」と
イスラエルに対して命じています
この”心に留める”と言う表現は
聖書で良く出て来る訳ですが
これは”覚える”とか”忘れない”とは
ちょっと違います
もちろん覚えること、忘れないことも
”心に留める”の1要素である事は
間違いありません
ただ聖書が言う心に留めるとは
「そこに帰って来なさい」
と言う意味でもあるのです

お店で店内マップを見る時
必ず最初に気にするのが
「自分は今どこにいるのか」と言う現在地です
現在地が分からなければ
目当てのお店に対して
どう行ったらいいか分からない
この地図上に
自分の位置をピン止めする作業
それが心に留めると言う事です

ですから信仰生活を歩むとき
私たちはしばしば理想として
心に留めると言うよりも
”神を忘れない””神から離れない”
と言う事を頑張ろうとします
もちろんそれは大切な事ではありますが
人は必ず心が揺らぎます
なぜなら聖書を読むと
アブラハムも揺れました
モーセも揺れました
ダビデも揺れました
ペテロはイエス様を三度拒みました
聖書は神の前に堅く立って揺れない
そんな英雄たちの物語ではなく
人が心揺れる存在であることを
隠していません

しかし彼らは一時的には離れても
心に留めた神との契約
神との関係に基づいて
神の元に帰って来る事が出来た
だからこそ最終的に力を得
前に進むことが出来たと言えます

ですから私たちは
心に留めたイエス様との関係性を
拠(よ)り所にしていかなければなりません
しかし忙しい日々の中で
四六時中それを考える訳にもいかない
毎日バタバタしていれば
イエス様の事が
頭から抜けている事もあるでしょう
それが即罪になる訳ではありません
ただふとした時に
戻ってこられるようにしなければならない

そのために礼拝へ定期的に参加し
自分のピンを刺し直す
イエス様に対して自分の人生を改め
そこに多くの助けが在ったことを振り返り
そして自分の現在地を確認する
それがあるからこそ
迷った時、不安を感じた時に
心に留めたイエス様の元へ
帰ってくることが出来る
イエス様との間にさしたピンを基準として
安心する事が出来る
それが礼拝に参加する意味であり
また折角時間を使って来られているのですから
我々も皆さんに
何かつかんで帰っていただける話をし
皆さんも何かを持ち帰れる様に
心を開いて望んでいただきたいと願う訳です

ですから心に留めるとは
一度も離れないことではありません
イエス様との関係を
人生の現在地として持ち続け
いつでもそこへ
帰って来られるようにすることであると
そして私たちが
イエス様との関係を築けると言うのは
初めにイエス様が私たちを愛されたからだ
と言う事を
モーセは、聖書は私たちに教えています

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