「メリバの水」で失敗したモーセは
 カナンの地に入ることができなくなった
 そのように人間はしばしば失敗もするが
 神への信仰があれば
 何度でも必ず許し受け入れられるので
 つまづきながらでも
 「命の木」に至る信仰の道を
 歩み続けることが重要になる

民数記略 第20章より

民数記略も後半に入りますが
17章までは
イスラエルの民が不信仰によって
カナンの地へ入ることが出来なくなった様子が
描かれていました
そしてその不満はモーセやアロンに向けられ
イスラエルの中で
コラの反乱を含めた反乱も起きます
この反乱は神様の選びによって
沈められていきますが
今回20章に入ると
一気に時間軸が40年近く進みます
今日お話しするのは
民数記の中でも有名な箇所
「メリバの水」になります

イスラエルの民は
出エジプトから40年近くが経過した頃
チンの荒野にある
カデシと言う場所に滞在します
これはカナンの地の手前であり
旧約聖書の中で
何度も登場している地名になります

最初に登場したのは創世記14
アブラハムの甥であるロトが
連合軍によって捕虜になりますが
この連合軍は
当時カデシに住んでいたアマレク人を
襲撃して追い出しています
また出エジプトを果たしたイスラエルの民が
目前に迫ったカナンの地を偵察する為に
カデシから斥候部隊を送り出しています
そして何より
申命記146節を見ると
イスラエルの民はカデシに
長い間滞在していたことが分かります
ですからイスラエルの民は
40年間に渡って荒野を放浪し続けたと言うより
カナンの地にほど近いこのカデシの地において
荒野での生活を続けていた
と言うイメージになります

従ってよく
40年間荒野を彷徨(さまよ)う」
と表現されますが
さまよっていたのは
”信仰における放浪”であり
実際に移動した距離と言う意味では
それほど広い範囲を
渡り歩いていた訳では無いのです
そしてこのカデシでの滞在中に
モーセの姉であるミリアムは
亡くなり葬られました

この長い荒野での生活は
常に水不足との戦いであり
これまでイスラエルの
出エジプト第1世代についても
幾度となく「水がない」と
不満をもらしていました
その度に神様の助けがあった訳ですが
この時には40年近くが経過し
世代交代が進んでいました
そして出エジプト第2世代が
すでに中心となっている状況で
それでもイスラエルの民の
悩みの中心は水であり
その不満を相変わらず
モーセとアロンにぶつけている訳です
そして
なぜエジプトからこの様な荒野に移ってきたのか?!
ここには種をまく畑も
飲み水も何もない!!と
彼らはつぶやき続けるのです

この様な状況に対して
モーセとアロンは神様に指示を仰ぎ
ここで神様から
「杖を取り、イスラエルの目の前で
岩に向かって水を出せと命じなさい
と告げます
そこでモーセは杖を手に取り
「反逆する者よ聞きなさい
あなた達の為に我々が
この岩から水を出さねばならないのか」と告げ
手にした杖で岩を二度打ちました
その結果として岩から水が流れでる事で
イスラエルの民と飼っている多くの家畜に
水を与える事が出来ました

しかし神様は
モーセとアロンに対して
「あなた達はイスラエルの民に対して
私の聖を示さなかった
従ってあなた方は
イスラエルの民と共に
カナンの地へ入ることは出来ない」
と告げます

この後にイスラエルの民はカデシを離れ
カナンの地を目指して北上を開始します
ところが地中海沿いの最短コース上には
ペリシテ人が住んでいました
彼らとの戦いを回避したいイスラエルの民は
エドムと言う王国の通過を画策します
ここには「王の道」と呼ばれる
整備された交易路があり
大きな街道沿いには
水源や野営地も整備されていました
大群と大量の家畜を連れて移動する
イスラエルの民にとっては
そこは理想的な経路でした

そこでモーセは
エドムの王様に使者を使わせ
王国内の通過を願い出ます
ところがエドムの王様は
イスラエルの通過を認めませんでした
その理由は幾つか考えられます
当時イスラエルの人口は数百万人規模
これはエドム王国の人口に対して
圧倒的に多く
「通過するだけ」と言われても
国際法など無い時代ですから
リスクが高過ぎました
またエドム王国はそのルーツをたどると
ヤコブの兄エサウに行き着きます
つまり「兄が弟に仕える」と言う
屈辱的な関係性の歴史的事実が
背景にあるわけですから
ヤコブの子孫であるイスラエルに対して
好意的ではないと言うのが
エドム王国の実態でした

モーセは何度も説得を試みますが
遂にエドム王は軍隊を使って
イスラエルを迎え撃とうとします
ここに来てモーセはエドムの通過をあきらめ
大きく迂(う)回する荒野の旅を
続けることとなりました

この旅路はエドムの土地に沿って
進む形になりますが
その途中にそびえるホル山において
神様はアロンの最期を定めます
そしてモーセとアロンに対して
「メリバの水で私に背いた為
カナンの地には入れず
アロンはここで先祖の列に加えられる
息子エルアザルを連れてホル山に登り
そこでアロンの衣を脱がせ
エルアザルに着せなさい。」と告げました
つまりここでアロンはその生涯を終え
大祭司としての役割は
息子であるエルアザルに引き継がれていきます
こうしてミリアムの死に続き
アロンもまたここに葬られる事となりました

このアロンの死と言うのは
ある意味でイスラエルの世代交代における
ターニングポイントと言えます
カデシの地において
出エジプトの第1世代が終わりを迎え
第2世代が生まれ育ち
そして第1世代を率いて来た
ミリアムとアロンもまたここで終わりを迎える
カデシと言う土地は
このイスラエルの世代交代を
象徴する場所となったのでした

さて今回のテーマは
「モーセの罪」です

カナンの地に入れなくなった原因は
モーセのどこにあったのか
1つは
神様の指示に100%従わなかったことでしょう
神様は「岩に命じなさい」と言ったのに対し
モーセは岩を2度杖で打ちました
この行いとしての不従順が
1つの原因となったことは確かです

しかし最大の要因は
イスラエルの民に対して水を与える主体を
「我々」と言ってしまった事にあります
つまり岩から水を出して
イスラエルの民に与えると言う奇跡は
神の御業である訳ですが
「誰が水を出すのか」と言う部分に
モーセとアロンは
「我々が」と言ってしまいました
これが後に神様が指摘している通り
「神に対する聖を示さなかった」と言う事です
イスラエルの民からすると神ではなく
「モーセやアロンが水を与えた」と見えてしまう
それ自体が
モーセとアロンの指導者としての罪だったのです

現在新約の時代においては
私達クリスチャン1人1人が祭司として
イエス様と愛の交わりを行います
しかしだからこそ私たちは
人生の主体がイエス様にあると言う事を
意識し続けなければなりません

詩編115-1にある通り
”栄光を人に帰せず
イエス様に帰着させる”

と言う発想を継続していかなければ
人はすぐに思い上がり
栄光を我物としてしまう
その時に私たちの祭司としての役割を
棄損(きそん)してしまうのです

ただし神様は
指導者として失敗したモーセに対し
モーセの指導者としての罪を
咎(とが)める一方で
人間モーセ自体を
罪に問う事はしませんでした
それはメリバの水で失敗した後も
モーセをそのまま据(す)え置いたこと
神様自らがモーセを葬った事
そしてマタイ伝17章で
変貌山(へんぼうざん)にイエス様が現れた時
そのそばにはエリヤと共に
モーセの姿があった事
これらの事実を見る時に
決して神様はモーセを見捨てることなく
寵愛(ちょうあい)し続けた事が
分かる訳です

人間ですから失敗する事もあるし
思いあがって間違う事もあるでしょう
ですがその人に信仰があり
イエス様を求める気持ちがある以上は
何度でも必ず許し受け入れられる
つまづき転びながらでも
「命の木に至る道」を
歩き続ける事の大切さを
「メリバの水」は教えていると言えます