神は 私たちが間違える可能性を知りながら それでも愛をもって 選択の自由を与えてくださる そして間違えた時には 正しい道へ戻る方法も提示される 間違えるなと言う事ではなく この間違えた事に気が付けて さらに元に戻れるのかと言うところが 私たちにとって重要課題となる |
民数記略 第22章 36節より (バラクとバラム後半)
<前回までのあらすじ>
イスラエルを倒すために
モアブの国の王様であるバラクは
当時有名だったバラムと言う呪術師に
「モアブへ来てイスラエルを呪って欲しい」
と伝えます
最初は
イスラエルの神には抗(あらが)えないと
バラクの依頼を断っていたバラムでしたが
次第に褒美(ほうび)や名誉の前に二心が起き
さらには神様から許可も下りたので
モアブへ出発したのでした
しかしその道中で御使いが立ちふさがり
この御使いの存在に気が付かないバラムは
その本心を暴露してしまうのです
ですが神様はバラムに対して
「モアブへ行け」と伝え旅路は続きました
今日はこのバラムが
モアブに到着したところからの話になります
モアブの王バラクは
ついにバラムがモアブに向かって来ている
と言う情報を入手し
そして喜んで
国境まで出迎えに上がります
そこで到着したバラムを大歓迎しますが
バラムは神様から釘を刺されている通り
「私は神が私に語らせる事しか告げられません」
とけん制しています
この後、朝になると
バラクはバラムを連れて山に登り
眼下にイスラエルの一端が見える場所に到達します
ここでバラムは
「7つの祭壇と7頭の雄牛と雄羊を用意して下さい」と告げ
バラクはその通りにします
バラムはバラクに対して
「ここで雄牛と雄羊を全焼の捧げものとして焼き
そのそばにいて下さい
その間に私は主に会いに行ってきます
恐らく主は会って下さると思うので
主が私に告げる所の全てを
あなたにお伝えしましょう」と言い
丘の頂へと向かいました
ここで神様はバラムに対して現れ
「バラクの元へ戻り、この様に伝えなさい」
と言葉を預けました
そこでバラムはバラクの元へ戻り
そこで神様から預かった言葉を述べます
(民数記略23-7)
それはバラクが望んだイスラエルを呪う言葉ではなく
イスラエルを称え賛美する言葉でした
バラクは慌ててバラムに対して
「なんという事をしてくれたのか」と怒りますが
バラムは
「主が私に託した言葉を忠実に語っているのです」
と説きました
そこでバラクは場所を変えました
”別の場所なら呪えるかもしれない”
と考えたからです
この時代の考え方ですが
神の力の働きと言うのは
”場所によって強弱がある”と考えられていました
日本でも古来より
「山には神が宿る」と考えるのに近く
「この山ではヤハウェの力が強すぎて
呪えないのかもしれない」とバラクは考えた訳です
ところがバラクの誤算は
ヤハウェがイスラエルと契約しており
イスラエルは神に選ばれ
祝福を受けている民であると言う事を
知らなかった点にありました
ですから次はピスガの頂
そしてペオルの頂と場所を変えますが
ことごとくバラムの口からは
イスラエルを称える言葉しか出てきません
これに怒り狂ったバラクはバラムを追放しますが
その際にバラムは
今後のイスラエルの未来について
神様の言葉を述べ去っていきました
このバラムの最後の託宣の中で
象徴的な部分としては
17節にある
「一つの星がヤコブから進み出でる」
「一つの笏(しゃく)がイスラエルから立ち上がり」
と言う部分です
一つの星と言うのはイエス様の事であり
メシア預言を示し
一つの笏と言うのは杖であり
王権の象徴です
創世記の最後
ヤコブの遺言の中で
「杖ユダを離れず」とある通り
イスラエルの中でユダ族から
後のダビデを始めとする王族が生まれます
ですからバラムは
イスラエルを呪うための役割を期待されながら
バラムを通して語られたのは
イスラエルだけに留まらない
壮大な人類救済計画の一端だったわけです
こうしてバラムの物語は
終わったように見えますが
実はここからが本番となります
と言うのも
この時シティムの地で滞在していた
イスラエルの民ですが
モアブの娘とイスラエルの男の間で
交流が進んでいました
そしてモアブの娘に誘われるがままに食卓に加わり
そのままモアブの民が信じるバアル神を
拝んでしまいます
この重大な背信行為に対して神様は怒り
モーセを通じて
バアルを拝んだものを
モアブの娘諸共刺し殺しています
後の31章16節を見ると
このモアブの娘による誘惑は
バラムによるイスラエルの切り崩し作戦でした
モアブの娘を動かし
神とイスラエルの間を引き裂こうとしたのです
しかしその企ては神様の知る所となり留められ
そしてこの後のミデアンとの戦争の中で
バラムは殺されていきました
黙示録第2章14節を見ると
”イスラエルのつまづきとなる物を置く様に
バラムがバラクへささやいている”事が
書かれています
ですから
イスラエルを直接呪うと言う作戦は
上手く行きませんでしたが
別の方向から
イスラエルを弱体化させる作戦について
当時バラムが指南していたことが分かります
ですからバラムと言うのは
預言者と言う立場で見ると
神様の言葉に忠実な人でした
しかし「二心」と言う
人の弱さを抱えた人でもあったのです
これは決して
バラムが特別な悪い人と言う話ではなく
誰もが同じ状況になり得る
むしろそうならない人はいない
と言ってもよいのが人間と言う生き物です
ビートたけしさんの名言の中に
「神様と自由」という話があります
もし目の前に神様がいて
「良いことしないと殺すよ」と言われたら
誰でも良い事しか出来ない
でも良い事も悪い事も
どっちも選ぶことが出来て
神様が
「それでお前はどっちを選ぶんだ?」って問う所が
神様の優しいところなんだ
そのどっちを選ぶかと言う時点で
人間は本当の意味での自由を手に出来る
と言う内容で
正に愛の神であるからこそ
人に選択肢と言う自由を提示する
最初から神様に従う道しか無ければ
間違いは犯しませんが
それは神様が造った世界の中で
ご計画の通り動くNPC
(プレイヤーが操作しないキャラクターの意)でしかなく
そこに個人の自由や
幸せという物は存在しません
ですから人があえて間違いを犯せる可能性も
そこには用意されているのだと・・
なのでイエス様は
私たちが間違える可能性を知りながら
それでも愛をもって選択の自由を与えてくださる
そして間違えた時には
正しい道へ戻る方法も提示される
間違えるなと言う事ではなく
この間違えた事に気が付けて
元に戻れるのかと言うところが
イエス様にある人生を歩む私たちにとって
問い続けられている命題であると感じます