ルベン族とガド族は |
*前置きの話はこちら→「4月26日」
民数記略 第32章
イスラエルの民が
いよいよヨルダン川を越えて
カナンの地へ入ろうとする頃
ルベン族とガド族は
非常に多くの家畜を抱えていました
そしてこれまで戦いによって
イスラエルが手にしてきた
ヨルダン川の東岸をながめた時
そこは大規模な牧畜をするには
最適な場所に見えました
そこでこれらルベン族とガド族の民は
モーセとエルアザルの元を訪れ
これら既に手に入れている東岸を
自分達の「嗣業の地」とさせて欲しいと申し出ます
ですがその本心は5節の最後
「我らをしてヨルダンを渡ること無からしめよ」
と言う部分にあり
つまりカナンの地を平定する戦いが嫌なので
「ここでもう十分です」と言ってる訳です
この申し出に対してモーセは
怒りをあらわにしています
「これからイスラエルが戦いに挑もうとしている中で
あなた達はここに留まるつもりなのか
なぜイスラエルの結束と意思をくじこうとするのか
かつてあなた達の先祖(第1世代)も
カナンの地を対岸から見た時点で同じ様に逃げ出した
その結果として主は激しく憤られ
第1世代はカナンの地へ入る事なく
荒野の放浪を強いられた
もしあなた達が再び主に背くのであれば
主はまたもやこの民を
荒野に置き去りにされるであろう」と述べます
これに対しルベン族とガド族は
「私たちは武装してイスラエルの先頭に立って戦い
カナンの地が平定されるまで
自らの土地(ヨルダン川東岸)には戻りません。」
と宣言しました
これを受けてモーセは
「ではあなた達が武装し
武装したものが全員カナンの地へ入り
そこが平定された後に
あなた達が自らの土地に戻るなら
あなた達は主とイスラエルに対する責任を解かれ
この土地を嗣業の地として受ける事が出来る
しかしそれが守られないなら
あなた達は主に対して罪を犯すのであり
その責任を問われる事を覚悟しなさい」
と約束させました
さてこの話
最初に読んだ時に幾つか違和感を覚えました
1つ目は
カナンの地を平定する戦いに消極的だったルベン族とガド族が
モーセに叱られたとたんに
「では私たちがイスラエルの先頭に立って戦い
そして平定完了まで帰りません」と
主張を180度転換した部分にあります
モーセに叱られて
「分かりました、では兄弟たちと共に戦います」
なら分かりますが
「では私たちが先陣を切ります」と言うのは
随分やる気満々と言うか
飛躍している様に感じるのです
もう1つの違和感は
「やたらと追い込んでいくモーセ」です
「ここの土地で自分達は十分です」と
申し出ただけのルベン族とガド族に対して
最終的にはカナンの地平定戦の責任を
主に誓わせて
ただ叱って追い返すのではなく
随分重い責任を担わせた様に見えます
これらの違和感に対する説明が1つあり
それは「過剰補償」というものです
過剰補償と言うのは
人間が誰しも陥る心理的な状況であり
何か後ろめたい事や不安がある時に
それを降り切るかの様に
極端な選択をする事があると言うものです
つまりルベン族やガド族には
大きな不安がありました
それは前回の第2回人口調査において
シメオン族に次いで人口減少が大きかった部族であること
そしてそもそもの人口規模も大きくはないので
今後の”カナンの地平定戦”においても
主導的な立場にはなれないこと
そう言った不安が
「自分達はヨルダン川東岸が気に入ったので、ここで十分です」
と言う消極的な姿勢を生み出していました
ところがモーセからは
予想だにしない強い批判を浴びせられます
「見捨てるのか」「裏切るのか」
「再びイスラエルが荒野をさまよう原因となるのか」
そう言った強い批判を受け
そもそもの不安を払しょくするかの様に飛び出た言葉が
「自分達が先陣を切ります」と言う表明でした
一方でモーセにも過剰補償が起きています
彼にはイスラエル第1世代を率いて
カナンの地を目前にしながらも
40年の荒野での生活に追い込まれた記憶がありました
ですからモーセにしてみれば
「また40年前の二の舞になるかもしれない」
と言う不安があった訳です
ですからルベン族とガド族を
ただ叱って追い返せば良い所を
更に追い込んで
最終的にカナン平定の義務を課したのです
しかしこの過剰補償の応酬は
結果を見れば
イスラエルの結束を高める事に成功しました
ルベン族とガド族は同胞の前で誓い
そして実際にカナンの地へ
真っ先に切り込んで行きます
後にこのカナンの地は無事に平定され
ルベン族とガド族は当初の目論見通り
ヨルダン川東岸に土地を得る事が出来ました
結局のところルベン族とガド族の物語は
私たちがしばしば陥る「過剰補償」という心の動きを
聖書が驚くほど正直に描き出している場面なのだと思います
弱さを隠そうとする時
人は強がり
必要以上に踏み込んだり
逆に逃げたりします
しかし神様は
その弱さそのものを退けるのではなく
むしろその弱さの上に
ご自身の摂理を置かれる方です
ルベン族とガド族は
不安から逃げようとしました
モーセは恐れから彼らを追い込みました
どちらも「弱さ」のあらわれです
けれども神様は
その弱さのぶつかり合いを通して
イスラエル全体の結束を強め
約束の地へと導かれました
私たちもまた
信仰生活の中で
「これは自分の弱さだ」と思う部分を抱えています
しかし大切なのは
その弱さを隠すことでも
力づくで克服することでもなく
神様の愛と聖(きよき)の前に
静かに差し出すことなのだと思います
踏み込んではならない領域には踏み込まず
しかし委(ゆだ)ねるべきところには委ねる
その慎みの中で
神様は私たちの弱さを材料として
思いもよらない導きを形にしてくださるのです
ルベン族とガド族の物語は
弱さがあっても
いや弱さがあるからこそ
神様は働かれるという証しです
ただし、神様の約束は
ヨルダン川と地中海にはさまれた
「カナンの地を与える」と言う約束でした
その外に自ら望んで嗣業の地を得たルベン族とガド族は
その後、川と言う水の守りを失い
常に他の国や民族との衝突の最前線に置かれる事になります
その結末は
部族としての衰退
そして最後はアッシリア捕囚によって
その歴史は途絶えて行きました
長い目で見た時に
神様の約束には意味があり
それに背いて一時的に上手く行ったように見えても
結局はその結果がどうなるのか?を
ここでは示しているとも言えるのです