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*前置きの話はこちら→「6月14日」
申命記1章9節より
40年前をふり返り
モーセはイスラエルの民に対して語りました
「出エジプトを果たした頃
私は1人で貴方達の重荷を
背負うことが出来ませんでした
それは神様が祝福の故にイスラエルの数を増し
それと同時に増えていくもめ事や争いの仲裁が
背負いきれない重荷となったのです」
ここでモーセが語っている内容は
ふり返ると出エジプト記18章の内容となります
出エジプトを果たしたモーセの元へ
うわさを聞きつけて
妻チッポラの父であるエトロが訪問してきました
モーセはエジプトの王族でありながら
同胞を殺した罪の故にエジプトを離れ
ミデアンの地においてチッポラと出会い
そしてエトロの元で40年を過ごしていた事は
すでにお話ししている通りです
エトロはモーセと
互いの近況を語らいひと晩を過ごしますが
夜が明けてみると不思議な光景を目にしました
それはモーセの前に長蛇の列ができ
そこでは余りにも数が増えたイスラエルの民が
問題の仲裁を求めてモーセの元に集まっていたのです
モーセはこの問題に1つ1つ向き合い
そして朝から晩まで仲裁に明け暮れていました
これを見たエトロは
モーセの負荷を下げる様にアドバイスをします
具体的には2つあり
1つは「ルール(律法)を彼らに示せ」と言うもので
「イスラエルはどの様な生き方をすべきであるのか」と言う事を
ルールによって事前に民に示そうと提案しました
そしてもう1つが
「イスラエルの内に管理体制を作り
細かな問題は彼らに任せましょう」と言うものです
具体的には
「賢く神を恐れている正しい心を持ち
個人の利得に走らない者」を選び出し
彼らを千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として
民の上において管理をさせましょうと提案しました
これは現代の会社組織も同じですね
例えばスタートアップ企業で
社長1人に部下3人とかであれば管理職も必要ありません
社長が自分の仕事の合間に3人の仕事を管理し
相談に乗ることが出来ます
ですが私が働いている様な
2000人以上が働く製作所ではどうでしょうか
製作所長1人が2000人の働きを管理することは出来ません
24時間相談に当たっても
1人当たりの取れる時間は1分未満ですから
ですからどうするかと言えば
まずは仕事内容によって分類した部を作ります
例えば社内を5つの部に分けそれぞれに部長を立てれば
部内の問題は部長に任せることが出来ます
製作所長はこの5人の部長の考え方や判断基準、行動を
管理していれば良いのです
次に部長は仕事内容に応じて部内に5つの課を作り
それぞれに課長を立てます
部長は5人の課長を管理するだけで良くなります
この様にして1人が全てを管理するのではなく
数が増えるほどに管理構造を作り
本当に重要な問題だけがモーセの元に上がって来る様に
工夫することをエトロは勧めました
こうして「モーセとその他」と言う構造だったイスラエルは見直され
モーセの意思がイスラエルの隅々まで届く事で
統率の取れた「イスラエル民族」として
集団行動が取れるようになりました
またモーセは
この判断を行う立場の者に対して
「同胞同士の問題であれ、寄留者との問題であれ
人の顔色をうかがわず、身分の上下を問わず
かたよることなく正しく裁きなさい」と命じています
それは裁判が神に属する行いである為であり
これら隊長が手に負えない問題が発生した時
その問題をモーセの元に挙(あ)げて来るように伝えたのでした
この時のモーセのふり返りは
ただモーセが自身の弱さを告白しただけではありません
それはモーセ自身が体験した
「古いやり方には限界がある」と言う教訓であり
そこには神の働きによって日々小さな変化が積みあがる時
私たちがいつまでも「昔」に固執している事が
信仰の歩みを留めることにつながってしまうと言う
リスクを示していると言えます
私たちには誰しも
成功体験や習慣、価値観があります
それ自体が間違いと言う事ではありませんが
ここにしがみ付くと
神様が導こうとしている方向に進めなくなってしまいます
私は新卒入社から4年目に転職しました
当時は結婚して子供が生まれ
自分の環境が大きく変わっていく中で
教習指導員を続ける事の限界を悟った為です
朝7時前に出発し夜22時過ぎて帰るような生活では無く
もっと真っ当な働き方が出来る業界へ行こう
それが当時の決意でした
しかしそこには大きな諦(あきら)めも必要でした
慣れた仕事、慣れた人間関係
積み上げた実績と経験、立場、、、
もちろん大小さまざまな不満はありつつも
同時に「慣れている」と言う事は
大きな安心感を与えてきます
更に転職した先が確実に良いものになると言う確証もない
そんな中で「とりあえず1年だけ頑張ってみよう」
そう決意して転職に踏み切ったのを思い出します
「じゃあ1年頑張ってダメだったらどうするのか?」と
当時の自分が考えていたかと言われたら
たぶん何も考えてはいなかったと思います
ただ「もう何とかするしかない」と言う強い想いが
背中を押したという感じでした
モーセもまた
自分のやり方に限界を感じていた中で
エトロの提案を神から与えられた物として受け入れ
やり方を変えました
その結果がイスラエルの団結を強め
そして神のご計画を進める重要な1コマが進んだのです
変化が激しい現代の中で
「昔はこうだった」と言う事に囚われると
本質を見失ってしまいます
ですが変えなければならない部分があると同時に
変えてはならない部分もまたある
その答えは聖書に常に書いてある訳ですが
聖書は神を「聖と愛」だと示している
この変えて良い部分と言うのは
常に神の愛
つまり神の摂理と言う枠の中で広がる
愛の範囲に限られるという事でもあります
ですから「洗礼は救いではない」とか言い出したら
これは大問題ですが
一方で
昔の教団時代からの名残でやっている事が
絶対であると言う価値観もまた
変化が求められている時代なのだろうと
感じられるわけです