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*前置きの話はこちら→「6月28日」
申命記1章19節より
ここでモーセは
かつてイスラエルの第1世代が
カナンの地を目前にしたところで
偵察部隊を派遣しカナンの地の様子を偵察
報告させた時のことをふり返っています
我々は主が命じられた通りホレブの山を出発し
荒野の旅の末にカデシュ・バルネアに到達した
ここはカナンの地の入り口
アモリ人が住む土地のすぐ手前
私は民に言った
「見よ、主が我々に与えたアモリ人の山々を
ここから上り行き、この土地を取りに行きなさい
恐れてはならない、慄いてはならない。」と
あなた達がそろって私のもとに集まり
「まずは偵察隊を送って土地の情報を調べ
どのルートから攻め上るのかを調査させましょう」
と提案した
それは良い案だと思われたので
各部族から一人ずつ
合計12人を偵察隊として派遣した
彼らは出発しエシュコルの谷まで至り
そこで土地の果実を持ち帰ると共に
「我々の主が与えてくださる土地は
実に良いものでした」と報告した
ところがあなた達の親世代は動かなかった
天幕に留まり不平不満を言い合い
「主は我々をエジプトの国から導き出し
そしてここでアモリ人の手に引き渡して滅ぼそうとしているのだ
アモリ人は我々より体格に勝り
強く、そして街も強固な城壁で守られている
どうしてそんな場所に攻めていかなければならないのか」
と主に抵抗した
そこで私は「うろたえてはならない
彼らを恐れてはならない
かつてエジプトで主ご自身があなた達の為になさった様に
あなた達の為に戦われる
ここまでの荒野の旅でも主はあなた達を守ってきた」
と激励したが
それでもあなた達の親世代は動かなかった・・・
イスラエルの民は当然ながら
エジプトで行われた奇跡、紅海が割れ
空からマナが降り、岩から水が流れ
昼は雲の柱、夜は火の柱が
自分たちを導き救い出したことを知っています
つまり神様の行った実績は十分に理解していました
ですが彼らはその神様を「信頼」しませんでした
モーセが語るエピソードの核心は
”神様を信頼することの重要性”と言う点にあります
今回の「前置きの話」で
信用とは過去の実績に基づいて判断することだ
と、お伝えしました
同じ状況で以前がこうだったので
今回もこうなるだろうと予測が出来る
つまりイスラエルの第1世代は
この十分過ぎるほどの実績をその眼をもって理解し
そして神様の実績に対する信用はありました
ですが信用があっても状況が違えば
実績を信じることが出来なくなります
今回も助けてもらえる確信がそこにないのです
その時に必要になるのが「信頼」です
信用と信頼
日常生活の中でこの区別をすることは
余りないかもしれません
ですが実は結構違うんですね
信用と言うのは
実績に対して合理的に評価するものですが
信頼と言うのは実績では無く
普段の姿勢や考え方から確信を持つものです
例えば普段から嘘ばかりついていたり
約束を守らない人がいたとします
でもその人は仕事の期限だけは確実に守ってきた
この場合にその人の事は信用できなくても
その人が確実に納期に間に合わせてくるだろう
と言う部分には信用をもって
仕事を任せることが出来ます
信頼と言うのはこの逆で
まだ経験は浅くても
仕事に対して頑張ろうとする姿勢があり
困ったことがあっても周りの人に聞きながら
仕事を進めている人がいるとします
この人にまだ実績は無くても
「この人なら何とかするだろう」と感じて
新しい仕事を任せる
これが信頼です
もっと単純化すると
「実績があるから信じる」と言う
条件付きであるのが信用
そして「実績が無くても
その人の”正しく在ろうとする”在り方を信じる」
と言う無条件であるのが信頼です
イスラエルの民は
神様の助けを実績として信じていました
つまり神様を信用していました
ですがイスラエルの民
特に第1世代の間違いは
神様から与えられる恵みは見ていても
その与えている神様が何を考え
何を大切にし
どの様な価値基準で行動しているのかを
見ていませんでした
ですから信用はしていましたが
信頼は出来ていなかったのです
だからこそ強大に見えるアモリ人の土地に
攻め上りなさいと言うモーセの言葉
その後ろには神様が在る訳ですが
その言葉を信じることが出来ませんでした
「今まで神様に助けられた」と言う信用は事実でも
「今回も助けてもらえる」と言う
信頼に基づく確信がなかったからです
私たちがイエス様に向き合うとき
そこにあるのは信用でしょうか?
それとも信頼でしょうか?
「数えよ主の恵み。数えよ1つずつ」
と讃美歌にありますが
過去に助けられた事を数え
ふり返る事は重要です
ですが同時に
イエス様が何を望み
私たちがどの様にあることを願っているのか
それを考えた時
そこに信頼が立ち上がってくる
イエス様が求めているのは
「神を愛すること」
そして「互いを愛し合うこと」です
この愛の教えは
イエス様が自ら「これは私の戒めである」
と強調したものです
イエス様はこの考え方に基づいて
私たちに働きかけ
私たちの歩みを整え
私たちが歩むべき道を用意して下さいます
そこで私たちがすべき事は
その道を信頼して歩むこと
その道がどこへ続くのかは分かりませんが
その先は必ず私たちにとって必要で
そして無理のない道となっています
更にはたまに振り返って信用すること
(助けられた実績を再確認すること)
その繰り返しが
信仰であると言えるのです