イスラエルの第1世代は
 目の前に突き付けられた恐怖と不安に対して
 神に祈るのではなく
 自分たちで結論を出してしまった
 神に従う以前に
 そこに心を向けようともしなかったこと
 それが神に栄光を帰さない
 大きな罪であるとされたのだった


*前置きの話はこちら→「7月12日」

申命記 第1章34節より

モーセはイスラエルの第1世代が
カナンの地を目の前にして恐れ
神を信頼して進めなかった歴史を振り返りました

「主はあなた達の親世代の
不平不満を漏らす声を聞き
憤りをもって誓われた
この第1世代の中で約束の土地に入る者はいない
ただしエフネの子、カレブは例外とする
彼だけは約束の土地へ入ることを許され
そして彼が踏み入れた土地を彼に与える」

「また私(モーセ)に対しても
あなたもメリバの泉における罪
そしてイスラエルの罪の故に約束の地へは入れない
あなたに仕えているヌンの子ヨシュアだけは
入ることが出来る
だから彼をその様に導きなさい
イスラエルに嗣業の地を継がせるのは
彼の役目であると語られた」

ここに約束の地カナンを取りに行く役目は
イスラエルの第1世代を離れ
この時点で20未満の第2世代へと移る事となりました
また第2世代を率いて行くのは
モーセではなくヨシュアである事が定められ
そしてカレブもまた信仰を貫いた事で
嗣業の地を得る事を許されたのでした

続けてモーセは語ります
「あなた達の親世代は
この結果を受け慌てて主に従おうとした
主の指示に背く罪を犯したことを認め
そして先に告げられた通り
約束の地を取りに行こうとした
しかし主はそれをとどめられた
それはすでに主が親世代と共にいない事を
示されたからである」

しかしイスラエルの第1世代は
約束の地を目指してしまいました
やってしまった事を取り返そうとした心の在り方は正しいものですが
問題は”神が留めたのに行ってしまった”点にあります
そこには神の業(わざ)が働かず
人間の業だけで戦わなければならない
結果的にアモリ人の反撃を受けたイスラエルは
勝つことが出来ず、敗走してしまいました

ただ、イスラエルの第1世代に
信仰が無かった訳ではありません。
前回お話しした通り
”彼らは神を信頼できなかった”
そしてその原因は
”第1世代の向いている方向が神ではなく
自らの恐れに在った”点です

これは道路の運転でも同じです
例えば運転中に交差点へ接近する
この時に何を考えているかと言えば結構複雑でして
無意識の部分も含めると
まず交差点があることを認識します
次に自分が進みたい方向に行けるかどうかを判断する
更にその交差点に信号機や
一時停止などの交通整理があるかどうかを見る
その上でルールに従って進んでもよいかを判断しています

この時に信号機があればそれに従います
赤信号なら進まないし
青信号なら先の状況を見て進むかどうか考える
その時には
「この信号は信じても良いんだろうか」とはなりません
あくまでも「この信号に従っておけば事故にはならない」
と信じているからこそ
多くの人が信号を守って動くわけです

そして交差点と言う危険な状況を前にして
まず人は信号機を探す
これこそが信仰のあり方でもあるのです

困った状況、差し迫った不安
それを前にして
まずはイエス様と言う信号に注意を向ける
その時に進むべきか、止まるべきか
それが状況の中で示される
もちろん行政やお金に頼ることも大事ですが
まず最初にイエス様に注意を向け
そしてここを信じていれば大丈夫だと言う判断をまず下す
その判断があった上で
「じゃあ誰かに相談しよう」とか
「何かを準備しよう」と言う話になる
その順番を押さえて行くことが
重要なんだろうなと感じます

イスラエルの第1世代は
目の前に突き付けられた恐怖と不安に対して
神様に祈るのではなく
自分たちで結論を出してしまった
従う以前にそこに心を向けようともしなかった
それが神様に栄光を帰さない
大きな罪であるとされたのです