「安心」と言う「自分中心の選択」をするのか
 それとも「幸せ」と言う
 「神中心の選択」をするのか
 そこでイスラエルの第一世代は
 「自分」の方を選んでしまった


*前置きの話はこちら→「7月26日」

申命記 第2章より

前回は
イスラエルの第1世代が神に従わない事で
荒野での40年間の生活を命じられたところでした
この第2章は
荒野の生活に入ってから40年近くが経過した後に
ここまでの40年間をモーセが振り返っている場面です

モーセは次の様に語ります

カナンの地を目前にした我々は
向きを変えて紅海沿いをもどり
エドム人の住むセイル山の周囲を放浪した
そこで主は私に言われた

「北に向かって進みなさい
ただしその際にエドム人の領土を通過するが
彼らはイスラエルの事を恐れているので気を付けなさい
彼らに戦いを挑んではならない
彼らの土地は少しも与えない
セイル山はエドム人に与えたものだ
食べ物や水は彼らに金を払って手に入れなさい」と

こうした中で主は御業によって全てを祝福し
40年間の荒野の旅路を守り
主が常に伴われたので何一つ不足しなかった
そして我々は親族であるエドム人の土地を離れ
モアブの荒野に繋がる道を歩んだ

次に主は私に言われた
「モアブ人に戦いを挑んではならない
彼らの土地をあなたには与えない
アルの町はすでにロトの子孫に与えているからだ
さあ立ち上がってゼレド川を渡りなさい」と

こうしてカデシュ・バルネアを発ってから
ゼレド川を渡るまで38年が過ぎていた
この間に主が仰せられた通り
イスラエルの第1世代は全員が死んだ
主の御業によって
彼らの中に様々な混乱が引き起こされ
そして彼らはその中で滅んでいったのだ・・・
この様にモーセは振り返りました

40年間の行程を総括すると
イスラエル第1世代は
カナンの地の南側に位置するカデシュ・バルネアにおいて
偵察部隊を派遣します
ここで恐怖から神様の指示に背いたことで
カナンの地を取り上げられ
そして今まで北上して来た道のりを引き返すことになります
今のイスラエルとヨルダンの国境線沿いに南下しますが
その途中でエドム人の土地の近くで長期間滞在
そして神様の指示でエドム人の土地を通過しつつ北上
ここからモアブの領土へ入るためにゼレド川を渡りますが
この時点でカデシュ・バルネアの出発から
38年が過ぎていました

この38年間の間に
イスラエルの第1世代は死に絶えていきますが
その理由は
38
年が経過することによる寿命だけではありません
申命記2-15では神様の業によって
イスラエルの中に混乱が引き起こされ
そして数が減って行ったとあります
そして私たちはこの1つの事件をすでに見てきました
つまり「コラの反乱」です
アロンの大祭司と言う地位に挑戦した
コラによる反乱事件ですが
その後の疫病による大量死を含めて
第1世代が数を減らす要因となったのです

以前にお話しした通り
イスラエルの第1世代は
偵察部隊の報告を目の当たりにし
そこで神様を信用していたが
信頼することが出来ませんでした

もっと人間心理として深堀するなら
そこに「安心」がありませんでした

目の前にはどう考えても勝てそうにない相手があり
しかし神様はそこに対して「戦いに行け」と言う
この恐怖と信頼の板ばさみの中で
第1世代は安心を取りに行った
目の前の恐怖と向き合うよりも
「戦わない」と言う安心が得られる選択をした
これが神様との関係を
決定付けた要因になったのだと感じます

ただ考えてみた時に
第1世代の判断も分からなくは無い、、
彼らは出エジプトに至るまでの間
比較的安心出来る基盤を持っていました
エジプトの奴隷でありながら
とりあえず衣食住は与えられる
そこに自由は少なくても
生きる為だけのコストは国が用意してくれる
しかし出エジプト後に荒野の旅が始まると
安心できる基盤が無くなってしまいました
食べる物も、飲むものも、着るものも
泊る場所も、危険から守られる環境も
全てが無くなってしまった
ですから彼らがそこに執着を抱くと言う感情は
人間的には理解できます

しかし、だからこそ
そこで選択を迫られたのです
「安心」と言う「自分中心の選択」をするのか
それとも「幸せ」と言う「神様中心の選択」をするのか
そこで「自分」を選んでしまったのでした

これは現代の私たちも
案外変わらないのかもしれません
安心はゆらいだ、失った瞬間に
強烈な執着を生みます
初めから無いよりも
一度手に入れたものを失うときの方が衝撃は大きい

だからこそ私たちは
「今自分がどちらを追い求めているのかな」と言う振り返りを
常にしていかなければならないと言えます
人間はすぐに
短期的な利益を求めて安心を選ぼうとする
安心を選ぶことそのものが間違いと言うよりも
その選択が
イエス様の導きではなく
自分の想いを優先していないか?
と言う所に目を向けて行く必要があると言う事です