ふたりの自分 2


いつも何かと人を驚かせたり
笑わせたり
とにかくいつも忙しい息子を育てる中
次に生まれた娘は
実にのんびりほんわかした赤ちゃんだった

生まれた時から体が小さめで
穏やかなムードを持った子だったが
その頃は義母の介護にも追われていたので
泣いても誰も来てくれることもないまま
そのうち涙のすじをつけて眠っているのが常といった
ちょっとかわいそうな存在・・

寝返りもハイハイも歩き始めるのも
何にもが普通よりも遅めで
わたしはそれを心配するどころか
かえってちょうどいいと思っていた
何しろ息子が人の何倍も動く子だったので
こちらまで早くからごそごそされたのではやっていけない
「ものぐさ」なわたしにあわせて
娘はちょうどいい速度で成長していった

その後、1年も経つと
この子はきっと何もしないタイプなんだろうと思えてきたが
そろそろ親の中でひとつのイメージができつつあった頃
娘は急に活発になってきた
自己主張の始まりだ

家族と一緒に食卓につくと
赤ちゃんの前にはみんなと違う離乳食が置かれる
そのうち色々なものが食べられるようになり
やがて
大人と同じ食物が自分の前にも置かれるようになった時
娘は突然小さな両手でテーブルをたたきながら
「あるある!!」と嬉しそうに言葉を発したのだ

いつも何となく放っておかれた娘は
その後一生懸命しゃべりだし
一歳半の頃には
ちゃんと意味のわかる言葉を話すようになっていた
しゃべることは娘の唯一の自己主張の手段で
何かにつけて目立つ兄の存在に対抗するかのように
「みーちゃんも〜」と
いつも自分を忘れないでと訴えていたものだ

手先の器用な息子は
娘が物心ついた頃には
すでにさまざまな工作をこなすようになっていたが
娘はその様子をじっと見ていたかと思うと
ある日突然自分も真似をはじめて
そのうち同じようなものを作るようになっていくのには驚いた
娘にとって兄は
先輩であり教師であり、良きライバルであった

当時たびたび子守りをしてくれたわたしの母と祖母は
娘がいつもある日突然色んなことを始めるのに気づき
「これはなかなか侮れないよ」
と言っていたものだ

3歳になる直前で保育園に入った娘は
オムツもとれていないものの口だけは達者で
母と別れるのが寂しくてしょうがないのに
他の友達が泣いているのを
大人のような口調で慰めていた
「お母さんはすぐに来るからね、泣かないのよ」
そう言いながら自分も泣く
人に向ける優しい言葉は
自分に向けたものでもあったのだろう

小さな動物を愛し
保育園では誰も手を出さないハムスターのトイレの始末も
いつも率先してやっていたらしい
世話好きで、責任感があって
やがて人から頼られる立場になるのは
自然のことだったと思う
だが
それが娘には負担となっていく

小学校に入ってからは
「リーダーになってみんなを引っ張って」と
何度先生から言われたことだろうか
自分の良い面が認められるのは嬉しいことだが
自分を犠牲にしてまで人のために頑張れる子ではないことを
娘自身もわかっていたし
もちろん親も知っていた

もし同じ立場に立たされたとしたら
息子だったらはっきりNOと言っただろう
だが
娘はNOがいえない性格だ
良く言えば優しくて
悪く言えば八方美人
もっと悪く言えば
単に自分が可愛くて
自分の立場をできれば守りたい・・
その姿は
かつてのわたしを見るようだった

息子が父親にそっくりであるように
娘はわたしとよく似ている
自分の弱さを隠すために
わたしは子どもの頃男の子のようにふるまって
言ってみれば虚勢を張っていたものだが
優しさの陰に潜む冷たさを見つめながら
いっそのこと冷たい人になった方が良いじゃないかと思ったりもした
自分の中にある光と影
自分でもよくわからない自分を持て余して
厳しい顔をしていた時代もある

中学校に入学した頃
娘はいつも目の奥に力が入った表情をしていた
部活の悩み
勉強の悩み
友人の悩み
先生の悩み
想像を越えた悩みの渦におぼれそうになりながら
一方では原因不明の咳が出たり
体調不良も起こすようになった
その頃からわたしは娘にわたし自身のことも話しながら
自分を見つめなおすように勧めてきた

自分がやりたいことと
やらなくてはならないことと
やらなくてもいいことと
やってはならないことをよく整理して考えて
自分に分相応の選択をすること

パニックに陥りやすいタイプほど
やらなくてもいいことに熱心になり
肝心なことがお留守になったりするものだ
選択を間違えれば
ますます穴に落ちていくのだから
とりあえずは一度止まって考えてみる必要がある

娘の原点は何かといえば
あの何もしなかった(できなかった)のんびり屋の赤ちゃんだ
いつも人より遅れて動き始めていたのに
今何を焦って最前線で戦う必要があるだろうか

人を取りまとめるほどの技量も
誰とでも仲良くできるほどの容量も
優越感に浸るほどの能力も
人の期待を背負うほどの力も
両親が持っていないというのに
その子どもである娘が持っているだろうか

娘の名は
エゼキエル書47章に記された『水を渉る』という箇所から
義父が命名したものだ

くるぶしほどの深さの水は歩いて渉れても
それが深くなると
もはや自分の力で歩いて渉ることはできなくなる
その水は生物を活かす生命の水(=神)
生命の水の流れに従って人生を渉り行く時
この子の持ち味は活かされ
幸いな者となるだろう

そんな名前をもらっているのだから
何もあくせくする必要はない
自分に与えられた良いところは
焦らなくても時が来れば自然とあらわれてくる
その自然とあらわれてきたものこそ本物だ
自ら設定した”理想基準値”を一旦リセットすれば
今まで気づかなかったものも見えてくる

部活をやめ
人間関係のいざこざからも距離をおき
過度の正義感や責任感から逃れ
自分にとって居心地のいい空間を作りつつある娘は
今、まるで赤ちゃんの時のような表情をしている

「部活をやめたらとんでもないことになると思っていたけど
今考えたら何であんなこと気にしてたんだろうね・・」
自分の力で必死に守らなければと思っていた面子も
どうでもいいと思うようになったら
結局気がつけば何も失ってはいなかった
心の中にふくらんでいた不安は
自分自身が作っていたものだったのだ

これでいいのかな・・
時折不安そうに聞く娘に
それでいいよとわたしは答える
その穏やかな顔でいられることが何よりの証だ

わたしと同じ「ものぐさ」な娘には
きちんとした良い子を演じるのは荷が重過ぎる
適度に良い子で
適度にいいかげんで
そんなふたりの自分をコントロールするには
突然やってくる不安と戦わなくてはならない

”一時的に気を紛らわせる”のと
”不安を取り除く”のでは
意味が全く異なる
前者は自分を変える必要がないが
(だから多くの人はこちらを選択しようとするが)
後者は自分が変わらなくてはならない
というか
自分の本質を変えることはできないから
それを認めて許すということだ
自分は所詮この程度のもの
でも、それでいいじゃないかと

実のところ
”不安”は何かを許さないことから起きている
これではいけない・・・
何かが足らない・・・
何とかしなければ大変なことになる・・・
そんな思いが
自分の中にある思いから生まれ
あるいは世の中の豊富すぎる情報から生まれてくる
そして人は
安心感を求めてさまざまな予防策に走りはじめるのだ

だが
人間の考える予防策というものは
決して100パーセントの安心感をくれるものではない
例えば今日ガン検診を実施したとしても
それで安心していられるのはいつまでだろうか
いや
その結果そのものも
果たして当てになるのだろうか

わたしは以前から子宮筋腫を持っていて
しかもそれはかなり立派なものなので
ガン検診を正確に行うのは難しいと言われている
ということは
一応検査を行ったとしても
それは単なる気休めに過ぎないらしい

神経内科専門医の米山公啓氏の著書『「健康」という病』には
どういう状態が健康かという基準は
あくまでも人間が作り出したものであって
その基準そのものが実に危うい存在であること
そして
結局のところ人間は病気と共存していくしかないことを
悟るべきだと記されている

本当のところは
多少のことでみんなが心配せず”医者要らず”で過ごせばいいのだが
今は医者要らずでいることが非常に難しい時代なのだと言う
それは
自分がいくら健康だと確信しても
周囲からさまざまな、過剰で暖昧な情報が入ってくるため
冷静に自分の健康を信じることができないというのだ

”病気も不安も人によって作り出されている”
そんな実態が見えるようになると
わたしたちの身の回りには
昔は存在しなかった”作り出された不安感”が
蔓延していることに気づかされる

病原性大腸菌O-157による集団食中毒以来
人々は菌に対して異常に神経質となり
身の回りからすべての菌を排除しようとしはじめた
そこから一気に生まれた抗菌除菌製品は
毎日のように不安感をあおるCM効果によって
確実に売上を伸ばしている

しかし
人間の皮膚に存在する常在菌は
人間を病原菌から守る役目を果たしていて
それらを過剰な手洗いや消毒で排除してしまうことは
結果的には人間を危険な状態にさらしていることになるのだ

また
困ったことには
抗菌剤から生き延びた菌は耐性を持つようになり
本来の菌より更に強力な力を持つものも生まれてくるという
共存できる程度の菌を撲滅しようとして
厄介な菌を増やしてしまうこの悲劇、、、

自然界は人間の独壇場ではなく
すべての生物のバランスの上に成り立っているが
人の不安と商業主義がマッチしたこの暴走は
今のところとどまるところを知らない

更に
「極端な衛生観念にとらわれると
それが人の大胆さや心の自由を奪い
のびのびと生きることが難しくなる」と
ある医学博士は指摘する

少しの汚れもにおいも許さない習慣は
たちまち病的なまでに重症化し
どこまで洗っても不安から逃れられない潔癖症が
多くの人を悩ませている

人の心はどんどん難しくなり
何か言えばすぐ
「傷ついた」などと返されるため
気軽に話もできない時代になった
こうした言葉の選び方一つも許さない風潮に
いい加減疲れを覚えるのはわたしだけではないだろう

このように
どこを向いても大らかな雰囲気が失われている現在だからこそ
昭和30年代が懐かしがられるのかもしれない
あの頃の子どもは今のように手を洗っていたのだろうか
わたしは昭和36年生まれだが
そのわたしの年代でさえ
手洗いの習慣はほとんど記憶にないくらいだ

かつて神経症に悩まされた経験をもつわたしは
娘が同じ道をたどる危険性を危惧している
わたしの周りには限りない自由があったのに
選択肢を狭くしていたのは自分自身だった

だが、幸いにも
うちには夫と息子という
ある意味最強の個性派コンビがいる
娘がちょっとしたことを不安に感じることを知っているからこそ
このふたりはいつもわざと不安をネタにジョークをかもし出し
一方、娘は、からかわれることで
かえって自分の不安を馬鹿馬鹿しいことと認識し
笑い飛ばすこともできるのだ
万一娘が潔癖症になったら
きっとこのふたりは食卓に脱いだ靴下でも置くだろう

信頼している家族だからこそできるこのショック療法に
わたしも今までどれだけ助けられてきたことか
全く違う性格の人間が同居することで
そこには思わぬ効果も生まれるのだ
だが
もしも自分の狭い価値観しか許さないならば
それらを受け入れることはできないだろう
目の前に本当の愛があっても
自分で拒絶したのではどうしようもない

人は自分の愚かさを指摘されると
未熟であるがゆえに腹を立てる
”自ら設定した理想基準値を一旦リセットすれば”と
さらっと書いてみたけれど
これは
”あなたはのレベルはもっと下だ”
と言われているようなものだから
常に周りから腫れ物に触るような扱いを受けている人には
特に受け入れられるものではないだろう

しかし
周りがどんなに気を使ったからといって
最終的には本人が動き始めなくては事は進まない
心を病んだ人にこの言葉は禁句だと
色々な言葉が取りあげられているが
そもそも禁句だと決めたのも人であって
それが絶対的に正しいとは言いがたい
もしそれが正しいのなら
禁句の数は増える一方なのに
心を病んだ人が減らないのは
いや、むしろ増えているのはなぜなのだろう

厳しい言葉の裏にある真意を汲み取ることで
人は人間的に成長する
自ら真意を汲み取ろうとするところから
第一歩が踏み出されるのだ

今の世の中
どういうわけか
人の考えが極端から極端に走りすぎる
ひとつの方法論が主流になれば
他の方法論はすべて否定される排他的な傾向は
あまりに危険なことであり
それに振り回されることで
人はますます混乱する
そして
混乱の末、生み出された結果には
誰も責任をとってはくれないのだ

極端な厳しさの中で疲れ果てた人には優しさを
甘えの中でわがままになっている人には厳しさを
それぞれの状況に応じて提供する
それが愛ではないだろうか
方法論は色々あるだろう
でも
一番大切なことは
そこに愛があるかどうかだ

外見の強さとは裏腹に
いつもどこかでびくびくしていた娘は
今やっと水を渉りはじめた
人生の荒波は不安に満ちているけれど
”生命の水”にその身を任せていれば
必ず幸せに活きていける。。


(2006年4月13日記)


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