いいかげんな話



<愛の話 1〜愛って何?>

小学2年生の生活科の恒例行事『まちたんけん』が今年も行われ
教会にも思いがけずたくさんの子どもたちがやってきた
例年なら訪問人数は4人×3グループ=12人程度なので
今年もその予定でエンピツを用意していたら
何だか今年から方針が変わったらしく
規定の時間内ならどこへ行ってもOKということで
約30本あったエンピツが足らなくなるほどの盛況ぶり?!(汗
不足分は、かわいいイラストのついたミニカードで何とかしたが
果して全員の手にちゃんと渡ったのかどうか最後の確認まではとれなかった
card20141009.jpg

まあ別に何もなしでもいいんだけど
最初に来た子だけエンピツもらえて後はナシなんて
自分がもし子どもの立場だったらがっかりするに違いない
そう思うと、たとえ同じものは配れなくても
気持ちだけは表しておきたかった

うちではわたし自身もそうだが
夫は子どもたちが同じ扱いを受けることにこだわっている
もちろん現実には完璧に同じというわけにはいかないにしても
何らかの形で、同じようにしたいんだよという「心」を表すことは
とても重要だと考えているわけだ

まだ子どもたちが幼かった頃
夫が二人にそれぞれ同じパトカーのミニカーを買ってきた時には
「女の子にも車なの?」と驚いたものだが
つい先日、娘は当時の事を思い出しながら
「あの頃はとにかく何でも同じモノがほしかったからうれしかったよ」と語った
こうして、親の心は確実に伝わっているのだなと
今になって確認できるのは嬉しい

さて、『まちたんけん』で教会に来た子どもたちからは
いつものように色んな質問があった
とはいえ、彼らの質問内容は毎年ほとんど同じで
特にこれは定番だ

 ”教会はなにをするところですか?”

この質問は
短い時間で、しかも8歳の子どもにわかるように説明するには実に難しいと思う
そういうわけで、毎年色んな方向から考えて答えているが
今年はこんな答えになった

 ”かみさまのことをみんなに教えるところです”

すると、次には、”かみさまってなに?”となるので
ここでエンピツをとりだす
pencil20141009.jpg

そこには「かみはあいです せいしょ」と書いてあるが
神=愛??・・・子どもたちにとってはますますわからない
というのも、子どもたちに”愛ってなに?”とたずねたら
”男と女のラブラブ〜〜”というのだからね(笑)

で、今度はわたしの方から質問してみた

 ”お店に行って欲しいものがあるのに
 お母さんが買ってくれなかったらみんなどうするの?”

(子ども)”うーん、、あきらめる・・” など、口々に何か言い始める

(わたし)”そこでひっくり返って、買って買って〜!って泣かないの?”

(子ども)”え〜〜、そんなことしないよ〜”

(わたし)”じゃあ、ほしいからってドロボウするのはどう?”

(子ども)”え゛ぇぇ〜〜〜〜@@?!しないしない!!”

(わたし)”なんでしないの?”

(子ども)”お母さんが悲しむから”

最後の答えは、驚くほどみんなの口調がそろっていた
もちろん中には「警察につかまるから」という意見もあったが
ほとんどの子が、罰則よりも、母への愛で心を制御している事はとても興味深い

(わたし)”みんなお母さんのことが大事なんだね。そういう心が愛なんだよ
      もし悪い心が起きても、愛があったら悪いことをしなくてすむ
      悪いものを神さま(=愛)が退治してくれるからね”

8歳の子どもに、こういう話を頭で(理屈で)理解させるのは難しそうだが
彼らは意外と意味を理解しているようだった
愛はきっと心にダイレクトに響くのだろう

 
  「愛は寛容であり、愛は情け深い
   また、ねたむことをしない
   愛は高ぶらない、誇らない
   無作法をしない、自分の利益を求めない
   いらだたない、恨みをいだかない
   不義を喜ばないで真理を喜ぶ
   そして、すべてを忍び、すべてを信じ
   すべてを望み、すべてを耐える
   愛はいつまでも絶えることがない」 
           (コリント人への手紙13章4-8節)




(2014.10.9)



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