いいかげんな話
<1.なにがなんでも>
ここ15年、石けんと合成洗剤とちゃんぽんの生活をしてきたわたしだが
最初、石けんなら害はないだろうとせっせと取り入れていた頃に比べて
今は安全性重視よりも、自分で気持ちの良い範囲を重視するようになったなあと
我ながらだんだんいいかげんになってきていることを改めて感じている
わたしの性格は
方向性が決まれば一直線の猪突猛進型のところがあり
やる時は集中して一生懸命やるけれど
「これはいまいち合わないな」と感じたら、結構切り替えは早い方だ
もし間違っていたら傷が深くならないうちに方向転換することは重要だと思う一方で
何より面倒なことは続かない
前回も書いたように
若い頃はあれだけ毎日洗髪しなければ気がすまなかったのに
とにかく面倒になったことから2日我慢できるようになったのは良かったと思う
こうしていつの間にかわたしの洗髪回数が減っていたように
長年「リップクリーム依存症」ともいえるほどその使用頻度が高かった娘は
なぜか最近では次にぬるまでの時間が随分開くようになっているらしい
以前は1時間に何度も塗らずにはいられなかったのが
今は気づけば8時間ぬらずにすんでいる時もあるとかで
かなりくちびるが普通の状態になってきているようだ
そこで、どうやって依存症を克服しているのかと聞いてみると
「最近リップクリームをどこに置いたかわからなくなることが多くて
探すのも面倒で我慢しているうちに塗らずにすむようになった」とのこと
ここでも、わたしと同じく「面倒」という言葉が出てきたのは可笑しかったが
人間は、このちょっと「いいかげん」なところがあることで
かえって救われるのかもしれない
ところで
「いいかげん」と聞けば、意味は「無責任」「中途半端」など悪い印象を思い浮かべるけれど
これを漢字では「好い加減」と書き
意味も「程よい」「適度」など
そう言えば良い意味で使われる場合もあるなあと気づいたのは最近のことだった
物事の感じ方は人によって異なり
誰しも自分を基準にして良し悪しを判断しがちではあるが
その判断に一定の幅を持たせるこの「いいかげん」という言葉は
実はとても重要な感覚なのだと思う
人は、ゆるすぎても困りものだが
厳しすぎると更に生きにくくなってしまいがちだ
世の中には白黒つけられないことがたくさんあり
「なにがなんでも」と、自分の信じた正しさにしがみつくと
場合によってはとんでもないことにもなる・・
これは、わたし自身も経験し
人生に行き詰った人々を通しても常々感じてきたことでもある
数年前、わたしは子どものアトピーに悩むあるお母さんから電話相談を受けた
幼い時から発症し、最初は病院で処方されるままステロイド剤を使っていたが
その危険性を知ってからは脱ステロイドしたもののリバウンドに苦しみ
さまざまな民間療法を試しても快方に向かうことはなく
青春時代真っ只中の年齢でありながら学校へ行くこともできず
あまりにひどい状況を見かねて病院へ行かせたいと言う夫と
ステロイドが怖くて病院へは絶対行かせたくない妻の間は常に対立していた・・
娘のアトピーで、やはり脱ステロイドの経験をしていたわたしは
この人の思いも心の叫びもみな一様に理解できるものではあった
だが、子どもの病気を治すことに懸命になった親は
その人がまじめで一生懸命であるほど(いいかげんになれない人ほど)
自分が良かれと思って頑張ってきた結果が思わしくなくとも
今までやってきたことが間違いかもしれないとは考えたくないのだろう
もし間違っているというのなら
すでに取り返しのつかないことをしていることになるじゃないか
そんなことは信じたくない
そのように感じても仕方がないことだとわたしは思った
しかしこの場合、重要視すべきは
親がどうしたいかではなく
子ども自身がどうしたいのか(どうしてほしいのか)だと思う
そう考えれば答えは一つ
まずはかゆみから少しでも解放されてゆっくり眠ること
そのためには、悪だと思っている薬でもたちまちは必要だろう
そして、アトピーのようなアレルギーの病気には心の平安が大切だ
両親がいがみ合う家庭環境は好ましくない
そして
親の考えや都合ではなく
子どもがどうしてほしいか(どうなりたいか)を優先する
その判断に必要なのは「愛」だと思う
うちの娘の場合もアトピーはかなりひどい時期があったが
さまざまな民間療法も試し、石けんを作り、保湿剤も作る一方で
皮膚科へ行って、ステロイドをなるべく使わない方法も相談しながら
抗ヒスタミン剤の塗り薬を使用したりしているうちに
小学校の低学年で症状は沈静化していった
ただ、今思うに
あの頃、家では夫の両親の介護生活が続いており
娘は息子と共に、わたしの母と祖母が暮らす家によく行っていたので
そこで過ごした穏やかな日々が
一番の薬になっていたのかもしれない
当時は、娘自身おばあちゃんの家が自分の家だと信じていたほど
(それほどよくあずけられていたわけ)で
それを聞いた時にはちょっと複雑な感じもしたけれど
娘にあの頃の心境を尋ねると
本当に楽しくて、あの家が大好きで、良い記憶しかないらしい
おかげでわたしたち(親)は介護に疲れていても
子どもに八つ当たりをすることもなく過ごせたし
結局、娘の場合、どんな薬よりも民間療法よりも
惜しみなく注がれる「愛」が重要だったんじゃないかと
今さらながら思うのだ
では、前述の相談者に「愛」がなかったのかといえば決してそうではない
「愛」があるからこそ子どものアトピーを何とかしたいと思ったわけだし
そのために彼女が長年どれほどの苦労をしてきたかわたしにはよく理解できた
だが、ひとりで問題を抱え
またその人が「いいかげん」になれない性格であるがゆえに
「なにがなんでも」自分が正しいと信じた方向に暴走したため
「愛」が行方不明になってしまったのかもしれない
アトピーの治療方法については
現在もさまざまな説があるけれど
その発症原因はひとつではなく、原因が違えば治療法も異なるため
他人の情報を聞いてもあまり参考にならないこともある
だからこそ、何か良さそうな情報を聞いても
実際の手ごたえをしっかり確かめながら試みた方が良い
これは必ず効く!と信じていたら
その信仰(?)ゆえに、現実とは違う妄想に陥ることもあるので
この辺は注意が必要だ
そんな悩ましい試行錯誤の中で
自分に合う方法を見つけていくために
「なにがなんでも」の完璧主義から
ずっと幅を広げた「ちょうどいいかげん」の考え方へと変わっていくなら
その先の生き方そのものも、ずっと大らかで穏やかなものとなるだろう
(2013.2.18)
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