いいかげんな話



<10.熱さの行方>

先日娘が参加した合唱の指揮担当の先生は
わたしの高校時代の先生であり
その事が伝わった関係で
先生が新任だった時代の思い出話が始まった
あれはわたしが高1の時、ほとんど女の先生ばかりの中高一貫女子校に
7人の男の先生が入ってきた
先生曰く「あの時は生徒が沸き立ったもんだよ〜」
そんな懐かしい時代の話を娘から伝え聞きながら
確かにあの頃教師陣に変化があったことは覚えていても
少なくともわたし自身はちっとも「沸き立って」はいなくて
だってわたしはあの頃ロックにしか興味がなかったからね〜と思わず笑った

先生の話はさらに続く・・
当時職員室の先生の机には
ファンの子が毎朝新しい花を持ってきて飾る習慣があり
新任の先生にはそれが驚きであり
随分もてはやされて楽しかった
こうして女子校ならではの華やいだ雰囲気がある一方で
非常に冷ややかな連中がいて
どうやって先生に反抗してやろうか、校則を破ってやろうかという
抵抗勢力の勢いにも圧倒されたが
あの当時の生徒には「何かやってやる」という「熱さ」があって
自分が指導している合唱部にもそれを感じていた
それに比べて今の生徒はとてもおとなしく
校則も破らない(破ろうとしない)が
何かやってやるという気概や熱さも昔のようなものを感じない、、

この話を聞きながら
まさにわたしも友人もみんな抵抗勢力側だったよと
大笑いして娘に話したが
ちょうど先月、10年ぶりに同窓会に参加して
友人たちとそんな話をしたばかりだったから
「熱さ」の中には随分「愚か」なものもあることを
今さらながら思い知らされている

今思えば、あのエネルギーを
もっと益になることに向けたら良かったのだろう
お堅い学校の体質が嫌いで
何かを変えたいとは思っていても
明確な計画は何も持ち合わせてはいなかったから
結果的に抵抗は何も生み出さず終わって行った
いつの時代も若者は
古い考えに固執する頭の固い大人が嫌いだが
その一方で
自分が何か上手くいかないイライラもついでに大人のせいにして
八つ当たりしていた部分もあるような気がする

また、「抵抗」という行動は
理不尽な状況から逃れるためには必要な事ながら
それが行き過ぎると
抵抗することそのものが楽しくなってしまうことがあるので
その辺は、ちょうどいい加減にバランスがとれるよう
注意しなくてはならないと思う

うちは教会だから、基本的にケンカはお勧めしないが
”めくらの子”と呼ばれて理不尽ないじめにあった夫の子ども時代を思うと
むかし夫が幼い息子に
「一つ殴られたら三つ殴り返せ」と教育したことを間違いとは思わない
色の白い息子は、小さい頃は女の子のようだったから
外見で侮られることを心配したのだろう
ただし、夫の言葉には続きがあった
「やられたらやり返すが、自分からケンカをしてはならない」

相手が弱いと思い、あなどっていじめてくる輩は
思わぬ抵抗を見たとたん
こいつは何をするヤツかわからない・・と恐れて、もういじめなくなる
人間は本能的に自分より弱い者をいじめるので
得体のしれない強さを示した者は敬遠するようだ

そんな経験をしている夫は
しばらく我慢した末、いじめっ子にやり返すことで戦いに勝ったが
だからといってそれ以上相手をやりこめることはしなかった
本当はそれまでの恨みを晴らす行動に出ても不思議ではなかったと思うのに
あくまでも
「やられたらやり返すが、自分からケンカをしてはならない」
という考えに徹したのは
「いつもケンカをしていると
そのうち自分が強くなった気がしてケンカが楽しくなってしまう」
つまり、自分が思いあがってしまうとの理由からだった
また、本当は弱い自分をケンカによって強く見せようとする
いわゆる「いきがる」ことも嫌いだった
わたしよりも10歳年上の夫の年代にはケンカがつきものだったから
実際にそういう人を色々見てきたのだろう

折しも、夫の大学時代は
『学生運動』の時期と重なっている
その様子を間近に見て、意味を感じなかった夫は
上級生から呼び出されても決して従わなかった

確かに昔の若者には、はかり知れない熱さがあったが
各々の根底にある思いによって
熱さは単なる迷惑行為にもなっていく
どんな時代にも人生は思うようにはいかないものだ
そこで起きてくる不満は、怒りと恨みを生み
その負の感情をエネルギーとして起こす行動には
新たな問題が付きまとう

わたしが中高校生だった頃
ロックはまだ不良の音楽というレッテルを貼られていた
その内容が反社会的であったり
音楽そのものも音が大きく
暴力的であるとのイメージもあったからだが
わたしが一番好きな1970年代の英米ロックは
斬新な発想と、その高い音楽性が
今も世界中で支持され続けている
実際に、普段あまりテレビを見ないわたしでも
何がしかのBGMで懐かしい曲に遭遇することは多い

今思えば、まだ年若いミュージシャンたちが
あれほどの音楽を生みだしたことは奇跡のように思えるが
道に迷い、迫害にあい、ある者は酒や薬物に溺れながら
それでも彼らがずっと追及したのは
常に新しい音楽を生みだすことだった
こうして反抗の音楽であったロックの世界は
最先端の電子楽器や、珍しい楽器を自由に取り入れ
クラシックやジャズ、果ては民族音楽まで取りこみながら成長し
それまでになかった新しい文化を生みだしていく
そこに多くの人々が感動し共感し
今や音楽の教科書にまで採用されるに至るほど
ロックを無視して音楽は語れない時代になっている
そして、ミュージシャンにもたらされた富と名声は
やがてチャリティー活動という形で社会に還元されていくのだった
それは単に石を投げて抵抗するよりも
後の時代に確実に意味のあるものを残すことになったと思う

*****

今朝、母が畑にブロッコリーの苗を植えていた
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従来農法ではない新しい栽培方法を求めて10年
試行錯誤ばかりで、これといった素晴らしい成果があるわけではないが
新しいやり方を模索する日々は面白く
ともすればマイナス思考に陥りがちな母を
プラスの方向へ導いてくれている


(2013.9.20)



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