2月に入り
春休みの大学生を中心に
教習所がにぎわう季節がまたやってきた
息子の出勤時間も一時間早くなり
「いやぁ〜今月の給料がいくらになるか楽しみだわ♪」と
忙しいのにウキウキしながら出かけて行く
「やりがい」の上に相応の「報酬」があるのは本当に幸せなことだが
一生懸命頑張った先に
「信用」がついてくるともっと嬉しいだろう
息子自身は、物心ついた頃から、おもちゃの車を乗り回し
ハンドルとタイヤの関係を自然に学んでいるような子どもだった
そんな彼は、中学生の時
塾に迎えに来てくれたおばあちゃん(わたしの母)が
狭い地下駐車場でどう向きを変えたらいいのか途方に暮れていると
「ハンドルを右に回してバック〜元にもどしてそのまま下がって〜」と細かく指示し
難局を乗り切るナビの役割を果たしたらしい
当時、母からそんな話を聞いた時には
ふ〜ん、よっぽど車が好きなんだね〜位にしか思わなかったが
あの時点ですでに車の動く仕組みをしっかり把握していたのかと
後から感心したものだ
あれから10年後、本当に運転の指導をする立場になり
今は毎日違う教習生を教えながら
実に色んな人々に出会う刺激的な日々を送っている
まだ指導員になったばかりの頃
前回の教習からしばらく休んでいる若い男性の担当になったので
「忙しかったの?」とたずねると
「はい、サッカーやってるんで」との返事があった
そこで更に「部活?」と聞くと
彼は「一応仕事なんで・・・」と答えたが
息子はその時点でもまだ
教習生がサンフレッチェの選手であることに気づいていなかった^^;
そう、息子はサッカーも野球も全然興味がないものだから
スポーツ選手がやってきても誰だかわからないし
これからも知らないうちに色んな人に出会っていくのだろう
そういう意味ではとても刺激的で、変化に富んだ面白い職場だが
息子の理解の範囲を越えた人も少なからずいて
「なぜそうなるのか」「どうすれば伝わるのか」と
毎日悩まない日はない
わたしが運転免許を取った30年前は
自動車学校の教官と言えばコワイおじさんが多くて
上から目線でガミガミよく怒られた記憶がある
ハンドルさばきがわるいとバシバシ手をたたかれたし
まあ今あんな教習をやったら
セクハラかパワハラで訴えられるだろうなあという感じだったが
息子の話を聞いていると、今の指導員は
昔と違う手法でいかに「伝える」か
試行錯誤しながら随分研究しているのがわかる
だが、教習所には
文字通り『右も左もわからない』人がやってくる
中には、親からとりあえず運転免許だけは取って・・
と命ぜられて来る人も多く
興味のない事にはやる気も見られない
「ここで左に曲がって」と言っても
どこまでもまっすぐ突進する人や
一応左に曲がりつつも顔は右を向いているとか
左右の判断が瞬時にできない人
行く先を説明してるのに
空をながめている人など、、
技術以前の問題で指導員を悩ませる教習生は
決して少なくはないのだ
更に、こういう難しいタイプの人々の中には
失敗して怒られる事を恐れるあまり
極度の緊張から体が動かない人がある
このタイプの人に上から目線でガミガミやれば
さらに凍りついてしまうのは言うまでもない
かといって、なだめすかしたとしても
失敗を恐れる不安感からは容易に抜け出せるわけでもなく
じゃあどうすればいいのか?!と
新米指導員は困りはて
結局ベテランにゆだねていくことになる
すると、お手上げ状態だった教習生も
何とか段階をクリアしていく様子を見ると
その手法にはただ感心するばかり@@
思わず「どうやったんですか?!」と聞き
今後の参考にしようとするが
実際には、同じ対応をしても同じ結果が出るわけではないだろう
そこが難しく、また面白い
伝える方法は幾通りもあり
相手によってちょうどいい方法を選んでいく必要があるが
そこには決まったマニュアルはなく
新しい教習生と出会うたびに
また新たに指導員自身の勉強が始まるといった感じだ
わたしは、以前
息子はきっと「モノ作り」か「IT関係」の仕事に就くだろうと思っていた
ところが、実際には「ヒト相手」の仕事に就き
毎日「人間」を観察し研究しているのを見ると
だんだん教会の仕事に近くなってきたような気がする
見知らぬ人々が訪れては、その多くが通り過ぎていく教会にあって
ほんのひと時であっても、その人の心に寄り添うことの重要性を
息子自身も知っているから
短期間で入れ替わっていく教習生に対して
「どうすれば伝わるのか」と試行錯誤することを面白いと感じるのだろう
(2014.2.10)
<戻る