いいかげんな話



<7.気づく時>

4月6日の尾道市立美術館のコンサートが終わった翌日のこと
娘は夕方からアルバイトに出かけたが
体調不良でほとんど仕事にならず
その後、高熱を出して寝込んでしまった
翌朝、近所の病院へ行き、血液検査をした結果
炎症反応の数値が非常に高く「急性腸炎」であることが判明
どうやら入院手前ほどの状態であったようだ
生れてこのかた、耳が悪かったりアトピーがひどかったりしたことはあっても
学校を休むほど熱を出すことも滅多になく
周りでどんなにインフルエンザが流行っていてもかかったこともなく
基本的に、自分は元気な人間だと思ってきた娘は
このどうしようもない具合の悪さに恐れをなしていた

4月3日の日記に書いたように
娘自身は、今後はアルバイトを止めて、学業と音楽活動に専念するつもりになっており
実際に3月にはその旨を上司に伝えていたけれど
ちょうど学生アルバイトがたくさんやめる時期であったことから
新人が育つまで、できればもう半年続けてもらえないかと言われて
何となくやめづらくなっていたところへ今回の病気だ

振り返ってみると、この一年間
娘には一日中のんびりできる休みの日は片手くらいしかなかったと思う
いつもギリギリまで予定を詰めこんでおり(空けていても後から詰まってしまうし)
本番の前日や翌日にもバイトを入れるものだから
疲れが取れるヒマがない
それでも本人は自分は元気だと思っているし
若さの勢いで何とかなってきた・・・が
もうこれ以上無理を続けるのは無謀というもの
とにかくバイトは早くやめるようにとわたしは何度も忠告した

その後、幸いにも症状は少しずつ落ち着き
翌日の血液検査では炎症反応も少しおさまって
3日後には熱も下がった
それからはすぐに年度初めの手続きや行事のために大学へ行き
新入生の歓迎会にも出席
ただし、まだ普通の食事はとれないままで、体力も落ちている
そして、一ヶ月前から予約していた友人たちとのディズニーランド行きもせまっていた
こんな状態で果たして行けるのか?!と随分心配もしたけれど
むしろ楽しい時間を過ごした方が、胃腸のためには良いかもしれない
ということで予定通り決行
旅行中はスープ類ばかり飲んで過ごしたらしいが
楽しい時間を満喫して元気に帰ってくることができたのは良かった

ところが、翌日は学校へ行き、その後バイトに出て帰ってきてからまた熱が出た
さあ、ここからわたしのお説教タイムだ
あれほどバイトをやめるようにと言っておいたのに
娘はまだ上司にちゃんと伝えていなかったからだ
基本的に、やめる一ヶ月前に申告しなければならないので
言わなければどんどんやめる時期は遅くなる
今回の病気で体力はガタ落ちし
困ったことに、声の質も量も落ちていた
歌を歌う者は自分自身が楽器なので
日ごろから体調管理に気を使わなくてはならないというのに
娘の場合その管理がずさんなのだ

翌朝、娘は上司に電話し、正式にやめる手続きに入った
すると、その後、熱はもう上がることはなく
胃腸の状態も不思議なほど速やかに回復し
普通の食事ができるようになると声の調子も戻っていった
まるで、娘の決断を待っていたかのようなこの展開を見て
今回の病気が娘にとって大切なことに気づくきっかけになったと
わたしは感謝している

今までも何度も書いているように
娘はわたしとよく似ている
だから、彼女が誰かに遠慮し、何かに執着し、結果的に自分を犠牲にしようとしていることが
わたしには手に取るようにわかった

高校3年の終わりから丸3年以上務めてきたバイト先で
娘はすでに学生バイトの古株となり
色んな仕事がこなせる便利な存在になっていた
そう認めてもらうことは、本人にとって自信になったし
慣れ親しんだ場所や仲間と離れる寂しさもある
そして、一番気にしていたのは、今やめると迷惑がかかるということ
実際にちょうど学生バイトが入れ替わる時期でタイミングも悪いのだ
それでも、娘が辞めたからといって、そこが立ち行かなくなるわけではない
いつかは代わりの人が成長し、支えていくだろう
このように、外の世界には自分の代わりになる人はいくらでもいるが
自分と家族にとっては代わりはいない
だから自分を大切にして元気でいるように努めること
そのためには手放さなくてはならないものがある

若い頃のわたしは、苦労は美徳だと思っていた
だが、すべての苦労が決して意味があるものではないことがこの年になるとよくわかる
自分が望んだわけでもない自然に起こった苦労は
それを乗り越えようとする時に多くの益をもたらしたが
自分で勝手に取り込んだ苦労は、自分にダメージを与えた

人が成長するために必要な苦労は
自然と向こうからやってくる
それを別のところに自ら取りに行こうとするのは無謀であり傲慢なのだと
わたしは娘に伝え続けている
それはまた、わたし自身への警告でもあるからだ

自分の分を超えた問題を抱え込んではならない
良い事をしているからすべてが正しいわけではない
自分の頑張りで築いた自信は
その頑張りがきかなくなった時点で崩れてしまう
自分に自信がない人ほど、認められることで自信を得ようとしがちだが
どんな人にも限界があり
その限界を感じた時に何に気づくかが分かれ道になる

娘自身、できないことをできないと言う勇気や
無理なことはあきらめる心の余裕も
ここまで色んな目にあいながら少しずつ学習してきたけれど
このたびも「なかなか大きくは変われないよね」と苦笑する

それでも、娘は自分の事を「最近は随分冷たくなった」と表現するように
ちょうど好い加減のペースを守りながら冷静に行動できるようになってきている
そうなる前は、問題が起きるとよくパニックに陥っていたものだ
一度に大きくは変われなくても
自分がどう変わらなくてはならないかが分かっていて
なおかつ、今この瞬間が変わるチャンスだと気づく時があるのは幸いだと思う
病気がチャンスだなんて奇妙な話だが
実際にあれほど具合が悪かったのに
その後の大切な予定はすべて無事にこなすことができたし
今もとても元気に過ごしているのは、本当に有難い。。

*****

今年もバラの季節がやってきた
急な低温や連日の強風に葉は多少ダメージを受けつつも
花はきれいに咲きそうな気配だ
昔と違い、今はすっかり「頑張らないバラ栽培」をやっている
決して「放置」や「放任」ではないが
わたしにとってちょうど好い加減の栽培法が実現しつつあるのだと思う
carierre2013422.jpg


(2013.4.22)



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