いいかげんな話
<8.自信と慢心と>
9月3日の日記に
娘が、コンクールで審査員の先生から
「あなたは今日からその自信のない自分をやめなさい」と言われたと記したが
娘は昔のわたしに似て、気が強いくせに心配性で、失敗を恐れ
何かと自分に自信がないタイプだ
そんな娘にわたしは「もっと自信を持ちなさい」と言ってはきたものの
それ以上どう言えばいいのか
具体的にどうすれば自信が持てるのか
自分でもよくわからないまま時が過ぎた
というのも
わたしにとって”自信を持つ”というのは
そのまま”慢心”につながる入口のような気がして
どこまでが正当な(?)自信で、どこからが慢心になるのか
どうすれば傲慢にならずに自信を持てるのか
自分でもそのちょうどいい加減がわからなかったからだ
多分娘も同じような感覚を抱いてきたのではないかと思う
更には、どこまでいけば自信につながるのかという境目もあいまいだ
人は、自分で「できる」「やれる」と思った時
それが自然と自信につながっていくのだと思うが
「できる」と思う程度については人それぞれ感覚が違っていて
娘の歌に対する思いも
「もっと上手くなりたい」と思う向上心がある限り
自己評価はいつまでも低いままだろう
娘の座右の銘は、20世紀最高のソプラノ歌手マリア・カラスのこの言葉
『歌に関して言えば、わたしたちは死ぬまで学生なのよ』
この感覚は実にいい
こう思っている間は、傲慢になることはないと思う
ただし、ひとつひとつ成長した点については正当な評価も必要だ
ダメダメばかりじゃ自分がみじめになってしまうから
時には何かご褒美があれば元気も出るというもの
そういう意味で、先日の准本選の評価は有難かった
そして
とりあえず自分はまだまだ成長していると実感できれば
それが更なる自信につながっていくだろう
ところが、娘の場合
自分の努力ゆえに自信を持てる・・というほど頑張れるタイプじゃないので
「自信」という感覚はいつも中途半端だ
例えばピアノ科の人たちのように毎日何時間も練習しているとかなら
これだけ毎日頑張っているからということも自信につながるのかもしれない
しかし、この辺が娘は実に感覚本位というか
毎日根詰めて練習したら自分が腐ってくるのだそうだ(謎)
何か自分の中で良い感じに熟成してきたな〜と思ったところで練習すると上手くいく
そんな風に自分の中で経験してきて
今はちょうどいい加減に熟成のタイミングをつかめるようになっているらしい
・・・なんだか分かるようなわからないような感覚ながら
「成せば成る」といってがむしゃらに頑張る従来の日本の教育方針とは
かなりかけ離れたいい加減さが、娘には重要なポイントのようだ
だが、ここまで娘は特別に頑張った実感はなくても
指導者を信頼し、従う努力はよくしてきたと思う
声楽を始めて12年
いつも娘の心の中には、お世話になってきた先生方に対する感謝の思いがある
そして何よりも
自分の良さを見つけてくれる指導者に出会えたことを奇跡のように有難く思う
今の自分があるのは誰のおかげなのだろうか
そこを忘れなければ、これから自信をつけていっても慢心にはならないだろうが
もし仮に修行のように自分を犠牲にしながら頑張っていたら
自分を誇りたくなっても仕方がない気がする
だが、自分を支えてきた頑張りにいつか限界が来た時には
辛い思いをするのも自分だ
こういう不安定な自信を持つのは、返って厄介なことかもしれない
実は、娘は歌の試験で今まで2回「奇跡」を体験している
それはどちらも「歌詞忘れ」だが
一回目は、30分プログラムの半ばで次の曲の出だしがわからなくなり
とりあえずお水を飲みに行く時間が許されていたのを利用して舞台から引っ込んだものの
そこに楽譜はなく、遠くの部屋に取りに行く時間もなく
結局そのまま舞台に出てきた
そして伴奏が始まりもうダメかと思ったところで、ふと歌詞を思い出す、、
二回目は、途中で明らかに歌詞を間違えたが
目の前で聴いている先生の表情が変わらないので不思議に思っていたら
後から録音を聞くと、何と全然間違っていなかったのだ
信じられない・・絶対間違ったのに・・と娘は何度もわたしに語った
その時の試験には
次回特待生の試験を受けることができるかどうかがかかっていたから
娘にとってはまさに死活問題だった
どんなに念入りに準備をしても、人間にはミスがつきものだし
体調管理も完璧には行かない
今回の准本選でも、直前にノドの調子を悪くし
それでも「こうして色々あってもいつも最後は上手くいくから」と娘が信じていたのは
今まで細かい事をあげればきりがないほどたくさんの奇跡に支えられてきたからだ
そして、ノドの調子が悪くても、声の良さをほめてもらい
その声を「天性のもの」と表現された時には
「あなたは良い声をしている。神さまに感謝しなさい」
というB先生の言葉を思い出して
神さまからもらったものなら堂々と誇りに思わなくちゃ〜と思うようになった
こうして娘は、自分の頑張りによらない安定した自信を得て
次の段階に臨む準備をしている
自らの誉れを求めたら自分が苦しくなるので、それはさて置き
もらったものがもっと活きるように磨きをかけ
歌う自分も、聞いてくれる相手も、共に楽しめるようにと願いつつ、、
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秋になり、バラの新芽が動き出した
それぞれのバラが別のバラに化けることはないが
育て方によって花の質は確実に変わっていく
(2013.9.13)
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