いいかげんな話



<9.幸福度>

昭和36年(1961年)生まれのわたしは
高度経済成長期と共に成長し
「努力さえすればどんな夢でもかなう」「苦労すれば後で良い事がある」
といった教えの影響を受けてきた世代だ
しかし、半世紀を生きてきて思うのは
求めるもの(生き方の方向)を間違えると
せっかくの努力も苦労も良い結果につながらないということ、、

あのころの日本は
人よりも優れた自分の姿を夢見ることが主流だった
人生が計画通りに進むものだと信じ
みんな自分なりに頑張って生きてきたのに
今そういう人々が年を取り
「あれもこれも思うようにいかない」と嘆く姿に遭遇するたび
努力と苦労の神話が崩れていくのを、わたしは実感している
いや、嘆くだけならまだいいが
ストレスから神経のバランスを崩し
やがて深刻な病気にまで至ってしまうのが本当に怖いと思うのだ

自分の努力や頑張りで上を目指しても
いつも上には上がいて
それがどこまで追いかけてもきりがなく
いつまでも満足感も幸福感も得られず
やがては競争に疲れてきた頃には、年をとった自分がいる
すると今度は、自分の思うように動くこともままならず
「こんなはずじゃなかった」と嘆きながら人生が終わるのでは
何と空しく、もったいないことだろうか

自分の誉れで自信を得ようとしなければ
もっと穏やかな気持ちでいられただろう
人と比べないで生きることの大切さを
生まれながらに教育されていれば
自然とそういう生き方もできただろう
そんな人が周りにたくさんいて
見本の姿を見せてくれたら気づけたかもしれない

先日発表された国連の『世界幸福度ランキング2013』によれば
1位はデンマークで、アメリカは17位、日本は43位だ
”豊かな国は幸福度が高い半面、問題も多い”と分析されているように
世界的に見れば豊かであるはずの日本は
同じく豊かな西側先進国同様
”豊かさにまつわるストレスや、欲望がかなえられないことへの失望”が
幸福度を下げているらしい

一方、デンマークなどの北欧諸国は、高福祉で有名だから
安心感から幸福感も上がるのかと思いきや
実はそうでもないようだ
何しろ高福祉の国は税金も非常に高い
不満を感じる人も多そうなのに、なぜ幸福度世界一なのか
今回その理由をわたしは初めて知り、なるほどとても納得したのだった

デンマークには
1933年にデンマークのライターのアクセル・サンダモセ氏が考えたコンセプト
Jante Law(ジャンテロウ)というものがあって
日本人が礼儀を重んじる国民であるように
デンマーク人は生まれながらにジャンテロウを大切にしているのだそうだ

ジャンテロウそのものは次のとおりで
ここでは「us」をそのまま「私たち」と訳しているが
「人」とした方がわかりやすいかもしれない

 1.Don’t think that you are special.
 (自らを特別であると思うな)
 2.Don’t think that you are of the same standing as us.
 (私たちと同等の地位であると思うな)
 3.Don’t think that you are smarter than us.
 (私たちより賢いと思うな)
 4.Don’t fancy yourself as being better than us.
 (私たちよりも優れていると思い上がるな)
 5.Don’t think that you know more than us.
 (私たちよりも多くを知っていると思うな)
 6.Don’t think that you are more important than us.
 (私たちよりも自らを重要であると思うな)
 7.Don’t think that you are good at anything.
 (何かが得意であると思うな)
 8.Don’t laugh at us.
 (私たちを笑うな)
 9.Don’t think that anyone of us cares about you.
 (私たちの誰かがお前を気にかけていると思うな)
 10.Don’t think that you can teach us anything.
 (私たちに何かを教えることができると思うな)
 11.Don’t think that there is something we don’t know about you.
 (私たちがお前について知らないことがあると思うな)


わたしはこれを読んだ時
このひとつひとつは聖書からきているとすぐ思ったが
高度経済成長期を生きてきた日本人にとっては
かなり抵抗感のあるものではないかと感じ
変な言い方だけど
だから日本にはキリスト教が根付かないのだろうなあと
妙に納得もしたのだった

ここには、人よりも優れた自分の姿を求める感覚がなく
自分に与えられた「分(才能や使命)」をわきまえ知り
人がどう思うかを気にせず、自分の面子にこだわらず
自分の「分」に従って生きることを教えている

もしジャンテロウが徹底すれば
誰もコンプレックスを抱くことなく
各々自分に与えられた才能を有意義に使い
お互いができるところを補い合っていくこともできるのだろう

実際にデンマーク人は幸福度世界一という実績を残している
世の中には色んな立派な教えがあるけれど
わたしは理想よりも現実を重視しているので
この実績はとても興味深い

人生の先が見えてきて
自分が求めていた理想とは違う展開に失望し
身体に病気を発症するまでになる人には
自分が本当に「好きな事」や「やりたい事」に出会えていない人が多い
それは同時に、本当の自分を知らないことの表れでもあると思う

お金が儲からなくても、誰もほめてくれなくても
無欲で没頭できる「自分の世界」がある人は心が元気だ
一方、努力と苦労で生きてきた人には
そういう自分の世界をもつことは「無意味」であり「堕落」だとも思う場合がある
こうして人の評価を気にし、面子にこだわり、真面目に生きてきた人が
人生の最後に「自分には何もない」と嘆くのを聞くと
最後のひと時でも、幸福感を感じてもらいたいものだと願わずにはいられない

だからわたしは、こういう人に対していつも
「自分が本当に好きな事を探してみませんか」と語りつづけている
これを言うと、何か今から活躍できることがあるのかと期待する人もいるのだが
わたしが意味するところはそうではない
人生に行き詰っている人は
その方向性(考え方や価値観)に問題があるということ

何かするたびに、優越感と劣等感の間を極端に行ったり来たりするのではなく
もう少し視野を広くして、場合によっては全く逆の発想で
常に落ち着ける、ちょうどいい加減なところを探していきたいのだ

本来の自分を探すためには、なにも遠くに旅立つ必要はない
自分はいつもここにいるのだから・・
お金がなくても、力がなくても
工夫する知恵があれば楽しさは倍増する
そうして、いくつになっても知らない世界があるのだと知ることで
人は謙虚にもなり
この先をもうちょっと見てみたいと人生に希望を見いだすことができる

ただ、この作業をするにあたっては
過去に自分が頑張ってきたことがまるですべて無駄であったかのように思えるので
その年月が長い人ほど、受け入れるのも難しくなるだろう
それでも、今までうまくいかなかった事をまた繰り返すのだろうか?
そんな状態をアインシュタインはこう表現している
『今までと同じ考えや行動を繰り返して、異なる結果を期待するのは狂気である』

初秋の庭にイヌタデが咲いている
どこにでもある雑草だが
わたしはこれを心待ちにしていた
inutade2013917.jpg

園芸にハマっている人の中には
こうした雑草を愛でる人が結構いる
価値のないようなものの中にも
人を感動させる力があることを知っているからこそ
わたしは人生に失望している人々に
発想の転換を伝え続けたいと思うのだ


(2013.9.16)



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