いいかげんな話



<理想と現実 2〜自分でやってみることの意義 1>

早くから白髪が増え
30過ぎてから白髪染めをするようになったわたしは
ヘナと出会う前は
毛髪の表面に色をつけるだけのヘアマニキュアを使っていた
その後、世の中に茶髪が流行し
一時的にヘアカラーも使ったことはあるのだが
何にしても、どれも自分でやっていたので
髪を染めるために美容院へ行く習慣はない

元はといえば、夫が義母の髪を染めるのを傍で見ていたことから
(時にはカットもやっていた)
こういうのも家でできるんだと知ったわけで
自分でやれば安いし、面白そうだと手を出して
そのうち自分でやるのが当たり前になり現在に至っている

こうして、身近なところに”何でも自分でやってみる人”がいると
「わたしでもできるかも?!」と思う範囲も広がって
振り返れば随分色んなことにチャレンジしてきたものだと思う
だからといって、何かが大成するわけでもなく
(そもそも大成するつもりもなくて)
何でも”そこそこに”やって、適当なレベルで止まっているのを見ると
これが”器用貧乏”というものだろうかと
まあそれもいいんじゃないの〜と思ったり、、^^;

そんな”何でも自分でやる派”のわたしも
一度だけ美容院で毛染めをしてもらったことがある
それは、ヘアマニキュアの後、しばらくしてヘアカラーを使ったら
てっぺんだけ茶色になる”逆プリン”状態になった時のことだ
驚いて美容院へ駆け込むと、すぐにこう教えられた
”マニキュアは、髪の表面を覆ってしまうので
マニキュア後は、普通のカラー剤では染料が入らず染まらない”

この時はプロの技できれいにしてもらったが
それぞれの染毛料の違いをちゃんと知っておかないととんでもない事になると
つくづく思い知らされたのだった

わたしはサイトでも発信しているように
日頃から自分で色んな事をやり、色んなものを作っている
その目的は、経済的な理由だったり(これが一番かも)
理想を追っていたり、あるいは単なる好奇心から等、さまざまだけど
何でも自分でやる一番のメリットは
自分が”素人”であることを教えられる所にあるんじゃないかと
最近はつくづく思うのだ

物事は追求すればきりがなく奥が深い
だからちょっとかじっただけで知っているつもりになっても
やればやるほど自分は”何も知らない”のだと分かってくる

世の中には
”やる気になれば(努力すれば)何でもできる”
という考え方が今も多く見られるが
確かに”そこそこ”にはできるようになる事もあるけれど
そう簡単に理想に達するわけじゃない
だから、何かを一生懸命やるたびに
その道のプロは素晴らしいと思うし
結果として、謙虚さを学ぶ機会になると感じている

一方、子どもの時から何でも自分でやるのが当たり前だった夫は
色んな方面でプロ並みの技術を持っているけれど
どこまでが自分の守備範囲で
どこからがプロに任せるべきなのかをよく知っている
だから無茶をしないし
人にも無茶をさせないのが常だ

その辺の線引きが
わたしにもようやくできるようになってきた気がする
何でも自分でやろうとすると
「わたしがやらないと」と強迫観念に駆られてしまうから
この”手放した”感覚が、今は何だか心地いい

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20年来の付き合いになるお花屋さんの作るブーケ
この清楚な雰囲気を作り出すのがプロの技と心意気
bouquet2015109.jpg


(2015.1.9)



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