いいかげんな話



<互いに愛するということ 4>

新年度がスタートし、社会人3年目を迎えた息子は
このたび新入社員研修の一環である1泊2日のお寺修行に
引率者として同行することになった
こういう役割はもちろん初めてだし
もしかして自分も新入社員と一緒にアノ修行をすることになるのか?!と
戦々恐々としつつ、ちょっと楽しみにも思いながら参加したが
今年はお寺の都合で厳しいお坊さんがおらず
結構ゆるい感じで流れていったようだ
2年前の修行は本当に厳しいものだったので息子にとっては肩すかしというか
まあお寺も日常的にあの厳しさの中にあるわけじゃないんだなと
現実が見れたのは良い経験だったと思う

また、先月からは2016年新卒の会社説明会にも出て
就活生の質問に答える役目を受け持ち
今月も再びその担当に当たることになっている
前回の説明会では、社長以下幹部が並ぶ前での受け答えとなり
まるで自分が試験を受けに来たような緊張感でもうグッタリ、、
教習所の繁忙期はようやく終りを迎えたが
息子にとってはこうした新しい仕事が次々控えているので
当分気が抜けない日々が続く

入社してからの2年間で
息子は、新米社員の立場だけでなく、先輩社員の立場
役職を持った上司の立場、部署を統括する責任者の立場
更には会社全体を統括する本社の立場について当事者の話を聞く機会をたくさんもち
また、普段の仕事においては、指導員の立場と教習生の立場
あるいは今回のように就活生からお坊さんまで
色んな立場の人の思いや言い分を総合的に見るチャンスに恵まれてきた
彼は子どもの頃から大人の話を聞くのが好きなので
いつも興味津々で新情報に耳を傾ける
そこには常に自分の知らない世界があった

人はしばしば自分の生きる場所を「世界」としてとらえ
世の中を自分の知識の範囲で見ていくけれど
現実にはほとんど「世界」を知らないので
自分の考える範囲の憶測や空想でもって判断し
そこから多くの誤解やいざこざが生れる
みんな自分の立場でものを言うとすれば
譲り合う気持ちがない先にあるのはケンカだし
あるいは、誰かの意見が通って、他の誰かが犠牲になるのかもしれない
「世の中では強い者が正義だからね」
息子は社会の現実についてそう語りつつも
世の中の強者=人生の勝利者だとは思っていない
それは具体的な事例を知る機会が多々あったからだ

この世の中には色んな世界があって
そこに色んな人々が色んな考えや価値基準を持って生きていることを
わたしは教会に来てから具体的に知ったが
教会に生れた子どもたちは、物心ついた時から実際に色んな人に会い
自然にこの感覚を身につけてきたのは幸いだったと思う

彼らにとって人間は
どんな立場の人もいつも弱い存在であり
往々にして間違いを認めづらく、頑固で、意地っ張りで、あわれむべきもの
だからお互いの間にはいつも「許し」が必要になるのだと
人を知れば知るほどよくわかり
それはまた自分自身にも重なることとして
自らを省みる材料になってきた

そういう意味で、息子にとってこの2年間は
人間を更に幅広く知るチャンスに恵まれたことが最大の収穫であったように思う
下っ端には辛い事がいっぱいあるけれど
失敗しても責任はなく守られているのは事実だ
その分、上になるほど責任が増して、見えない部分で大変な思いをしているのだと
そういう立場の人たちの事を少しでも知ることこそ
”互いに愛すること”の一歩になっていく

物事を正しく判断するためには
すべてのことを疑い、批判的に見る目は必要だとしても
その時に大切なのは
心に「公平なハカリ」を持っておくことだろう
不満や不安は時として人の心を曇らせ
モノの見方が偏る傾向に導くので要注意だ
愛さなければ愛されることはなく
厳しくさばけば自分も同じように裁かれる

 「あなたがたは自分のはかる秤(はかり)ではかり返される」
              (ルカによる福音書6章38節)



(2015.4.9.)



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