いいかげんな話



<4.等身大の自信 1>

年が明けて、わたし自身ちょっと元気になったのを実感する一方で
クリスマス以降、いつインフルエンザになるか?
いつまた耳の調子が悪くなるか?とずっと気にしてきた娘は
ここまで驚くほど元気に過ごしている

『青春賛歌シリーズ(「管理人のひとりごと」に収録)』においても
何度か娘の耳の病気(耳管狭窄症や突発性難聴)について書いてきたように
その症状はかなり深刻で
一時はメニエール病の薬まで使わなくてはならないほどになっていたのが
昨年の秋ごろから、状態は随分落ち着いているようだ

その上、小さい頃から毎年悩まされてきた重度のしもやけも今年は出ていない
ということは、いつの間にか血行不良が改善されて
それが耳にも良い影響を及ぼしているのだと思うが
そのための対策は特に何もやっているわけではないし
気がつけば元気になっていたという感じだ
それは、わたしの「むずむず足」問題改善と同様に
娘の場合も、娘自身の中で”何か”が変わったからなのだと思う

その”何か”とは、一言で言えば”自信”
それも、自分は何をやってもダメだと卑下しすぎず
かといって傲慢になるのでもない、ありのまま(等身大)の自信だ

大学に入ったばかりの頃の娘はコンプレックスの塊で
すべてにおいて自信がなく
副科のピアノは最初からボロボロな上に
主科の声楽はいつまでも基礎の呼吸練習ばかりで止まっており
周りがどんどん先へ進むのに
自分だけがオペラを歌わせてもらえず
もちろん先生から誉められるようなこともなく
とにかくいつも「ダメダメ〜」な気分が先行していた
しかし、ちょうど一年前の今頃
NG続きだった呼吸練習もついにOKが出るまでになり
その後の試験では、自分としても結構満足のいく演奏ができたことが
はじめて自信につながった

2年生になると、色んな舞台に出るチャンスも増えて
そこでほめられたことが新たな自信につながっていく
やがてレッスンも基礎から表現力の勉強へと移り変わり
オペラも歌わせてもらえるようになった
先生が自分をどこへ導こうとしているのか見えなかった時には不安ばかりだったが
一生懸命ついていくうちに、その真意が見えてきて
まわり道にすべて意味があったことを知るに至る

夏以降は、一気に活動の場が広がった
その中で、今の自分にできること、まだ無理なことも冷静に判断しつつ
活動の分だけ練習量も増して、技術も向上していった
こうして娘の中に、等身大の自信が自然に育ってきたのだった

一方、娘が幼い頃からお世話になってきた耳鼻科の先生が突然病気療養に入り
昨年ついに医院は閉院してしまった
これで娘の耳のことを理解してくれる場所は失われてしまったが
結局、娘自身は耳鼻科にはお世話にならないですむ状態に落ち着いている
生まれつきの耳管狭窄症は治るものではないけれど
日常生活をおびやかすような症状は確実に少なくなった

今、主科の試験を目前にして
以前だったら自己不信のストレスで耳に不調が出ている頃だろうと
過ぎ去った日々をふり返り
その確実な変化に自ずと感謝があふれてくる

自信を持つことがこんなに健康に影響するとは・・と
間近で見てきたわたしは本当に驚くばかりだが
一口に自信を持つといっても
自己暗示をかけるだけの虚飾の自信では意味がなく
こうして等身大の自信が育つためには
さまざまな出会いやチャンス(運)、そして努力や時間が必要なのだと
今しみじみ感じているところだ


(2012.2.2)



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