神経症との戦い


現代人の心の病は一般的には神経症と呼ばれ
医学分類上でさまざまな病名がつけられているが
5年前、『強迫性障害』という病名を知った時
その症例はわたしが長年抱えてきたものと同じであることに
思わず唸ってしまった

この『強迫性障害』とはどのような病気であるかというと
ひと言で言えば自分のこだわりから来る不安症で
何度手を洗っても汚れているような気がして洗い続ける人
何でもかんでも消毒しないと気がすまない人
車を運転しているとふと人をはねたような気がして思いつめ
ついには警察に出頭する人
歩く歩数や食べ物をかむ回数などあらゆることに数を決め
その通りにならないといつまでも繰り返している人など
その他さまざまの症状がある

この病気になると
自分の意思とは異なる別の自分に心が支配され
何をやっても不安が残る
だから納得いくまで何度でも繰り返し
そのために莫大な時間と労力を費やして疲れはてるのだった
そしてついにはまともな社会生活もままならなくなり
人生を棒に振ってしまうことにもなりかねない

わたしがこの脅迫性障害に悩まされはじめたのは18歳の時だった
きっかけは母がガスを消したと思ってそのまま忘れ
お鍋が焦げてしまった事
「全くお母さんは当てにならないんだから・・・」
今度からわたしがちゃんとガスの確認をしないと火事になったら大変だ
その時からわたしは確認作業を自分に課すようになった

自分で完璧に安全を確保しなくてはならないと思ったわたしは
その後
ガスの確認はもちろん
戸締りの心配やアイロンなど発火の恐れのある電気製品に対して
ことごとく確認を繰り返すのが習慣となる

結婚して教会に住むようになってからは
その症状はますますひどくなった
何しろここは普通の家の2倍以上の広さがあり
出かける時に戸締りを確認する窓だけでも20数箇所ある
その上確認作業は一度では終らず
一度見たところもまた繰り返し見に行った

手で触り
確かにガスは閉まっていることを確認しても
その場を離れるとすぐに気になり始める
アイロンのコードは確かに抜いたはずだけれど
あたかもそのコードがまた勝手に伸びていくかのごとき妄想まで
頭の中には浮んでくる始末
そう思うとまた見に行かざるを得ない
そんな自分が情けなくて泣きそうだった

こんなことをやっていると
でかけるまでにどれだけ時間があっても足らない
「もう行くぞ!」
夫がしびれを切らして呼ぶ声で仕方なくやっとその場を後にする
その心には大きな不安を残しながら・・

火の元の確認が多い冬場はもっと大変で
もうすっかり自分に自信のなくなったわたしは
やがて夫や子どもに確認作業を頼むようになる
何とかしてこの不安から逃れたい
そのためには人に任せるに限る

しかし
わたしがあまりに確認に神経質になっていたものだから
その不安を丸投げされた夫に今度は影響が出始めた
一度見たはずなのに
「もう一回見てくるから」
そう言って再確認に行きながら
「何だか移ってきたような気がするぞ」と言う
どうやらこの病気は周りに感染するらしい
困った・・・

わたしのような者がこれ以上増えたら大変だ
ここはやはり自分で何とか克服しなくてはと考え
また自分で確認作業をするようになったものの
脅迫されるような不安感からはいつまでたっても開放されなかった

その間には他の症状も出ていた
”数へのこだわり”だ
わたしの場合は
例えば顔を洗う時には何回すすぐとか
そういう他愛もない事だったが
この掟にしばられるのは結構苦しいものだ
何回すすごうが何がどうなるわけでもない
そんな事はよくわかっている
だが
これが決められたとおりでないと(自分で勝手に決めるわけだが)
たちまち大きな不安が襲ってきて
大変な事が起こるような気がするのだ
こんな事普通の人には考えられないだろう
わたしの頭は相当どうかしている・・・

ところが
あの些細なきっかけから20年後
わたしは再び些細なきっかけで
この病気から開放される事となる
それは
20年前まで好きだったロックバンドのビデオを見たことだった

幼い時から非常に活発で
女の子らしい優雅さとは無縁だったわたしは
中学生になる頃からロックファンになった
学校では落語研究会や演劇部に所属し
スポーツではプロレスが好きだった

そんなわたしが
自分を自分らしくない方向へと変えようとしたのは18歳頃のこと
その前に父を亡くして
自分なりに将来についても考えるようになっており
これからは間違いや失敗のない人生を送るために
真面目で無難な生き方を選択しようと思うようになっていた
そのために趣味を一新し
ロックもやめてクラッシックを聴くようになった
ファッション雑誌を読み
一般の若い女性と同じものを求め
価値観を共有しようとした
そして
新しい道を歩むために教会へも通うようになった
それまでは宗教は大嫌いで
母が教会へ行ってもついていこうとは思わなかったが
何となくそうした方がいいと思ったのだ
もちろんその頃は自分が将来そこへ住むようになるとも知らずに・・・

当時のわたしは
失敗のない人生は自分で作るものだと考えていた
無難に生きればきっと幸せになれる
そう信じていたけれど
好きなものを全部捨ててしまった人生は
何だか空しかった

誤解のないように言っておかなくてはならないが
この教会は掟を強いる教会ではないので
その頃も今と変わらず何でもが自由だった
それをわたしが勝手に掟を作って
失敗しない道に違いないと定めたのだ
クリスチャンって何となくそんなイメージではなかろうか

結婚してからは
介護や教会に起こるさまざまな問題に疲れ果て
わたしの人生っていったい何なのだろうと考えることも多かった
自分なりに”こうすれば確実だ”と思っていた事も端から崩れ
自分の力のなさが情けなかった

長かった介護時代が終わり
呆けたようになっていたわたしに
久しぶりに見る映像は鮮烈だった
それは高校時代何度か見に行ったライブ映画のビデオで
わくわくしながら見入る様子は
まさに20年前のわたしと同じだった

20年経っても
わたしは何も変わっていなかった。。

その時ほど自分という人間の本質を見せ付けられた事はない
もっと何か高尚になったような気がしていたのに
これまでの20年はわたしにとって一体なんだったのだろう

あまりにショックだったので
それからしばらくの間ビデオを見ては考え込んでいた
わたしは自分の楽しみを捨てるのと引き換えに
何か幸いがやってくると勘違いしていなかっただろうか
また
過去を封印して
自分が立派に見えるように振舞おうとしていたのではないか
教会にいれば人はわたしを先生と呼ぶが
わたしは先生と呼ばれるほどのものなのか

自分の心もコントロールできず
変な神経症に翻弄されている現実を思うと
見栄を張っているのがばかばかしく思えてきた
そして
それが脅迫性障害克服のカギとなった

結局こういう症状に陥るタイプというのは
「自分は間違いなくやれる」という
ある程度の自信を持っている人なのだと思う
中途半端なプライドが落とし穴だ

良い奥さんになりたくて
本来掃除などすきでもないのに
見栄を張ってがんばっているうちに
ちょっとした汚れも許せなくなり
朝から晩まで掃除に追われて疲れている人もある
こういう人は本人が楽しくないのでたいていイライラしているし
家族も面白くない

手を洗うのがやめられない人は
自分の力で何とかバイキンの被害を防ごうと思い
過度な消毒へと陥っていく
これがこうじると手に見えるはずのないバイキンが
実際に見えるようになるという

失敗のない人生、間違いのない人生などあるはずもない
それを追求する事自体が間違いであり
わたしはそのために長い年月を捨ててきた
介護が大変とか
もちろん色んなことはあってきたが
そういう状況下でももっと自分なりに楽しみも見出せたはずだし
それをしようとしなかったのは自分の責任だ

『人が変わるためには
まず自分の間違いに気がつかなくてはならない
それに気がつけば必ず変われます』

かつてそう言われた言葉を思い出し
わたしはものの見方や考え方を変えるようになった
自分の力でどうしてこの家を守る事ができるだろうか
わたしは20年前のままなのに・・
そう思うと
確認作業に対する執着は一気にトーンダウンした

あれから5年
今でも時々しつこく確認してみたくなる時がある
でもその時には
「わたしなんかにこれ以上何ができるだろうか」
とすぐにあきらめる
やるべき事は当然やらなくてはならない
だがそれ以上の事まで背負えるはずはなく
だから信仰しているんじゃないかと今更ながら教えられる
わたしは自分で勝手に重荷を抱え込んでいたのだった

強迫性障害から解放されてから
わたしは随分寛容になった
自分がこんな状態なのだから
人にも色々あってそれはそれで仕方がない
わたし自身
それなりに一生懸命ではあったが
現実的にはみんなに迷惑をかけて生きてきたと思う
それがわかっただけ
20年は無駄ではなかったのだろう

もし脅迫性障害で悩む人があれば
その人はまず自分の原点を省みることだ
自分の現実の姿を見つめた上で
分を超えた理想に惑わされていないかを考えてみよう
人のできることには限界がある
何でもできると思っているのが一番の大きな過ちなのだ
その過ちに気付けば誰でも変わることができる

ただ
自分のやってきたことが間違いだったと認めるには勇気が必要だし
プライドも捨てなくてはならないので
それができる潔さがあるかどうかが大きな問題だ
この辺が分かれ道となるだろう

(2004年記)



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