善の行方



<14.責任>

今から40年前の
ちょうど学生運動が盛んだった時代
夫は大学生で、学内でのもめごとを目の当たりにしていた
しかし夫はそういうことには全く興味はなく
再三の呼び出しにも応じず
先輩がバリケードを作っているところを車で無理やり突破して帰宅
後で呼び出されて大変なことになると友人に言われたが
別に何も起きなかったらしい

当時の夫には、そんな紛争などよりも
ずっと大変な問題があった
父親との闘争だ
このまま親の言いなりになって牧師になど絶対になりたくない
そう思っていた夫は
その頃、小説の影響で流行していた
”ナホトカ経由シベリア鉄道でヨーロッパへ行く”計画を友人らと共に立て
他の者は単なる旅行だが
自分はパリにひとり残って絶対に帰らないつもりだったという
当時は少しフランス語もできていたし
あちらで色々アルバイトもできる時代だったので
何とかなるだろうと考えていたようだ
いや、何とかなるもならないも
とりあえず父親が追ってこれない場所まで逃げることが先決だったわけで
それほど状況も切羽詰まっていたのだろう
決して無謀な性格ではない夫がそこまで追い詰められていた経験は
後に子どもたちの教育に大きく影響することになる

結果的には、夫の計画は途中でとん挫し
大学卒業後は地方のラジオ局でアルバイトをすることもほぼ決まっていたが
その面接の日に父親から”東京へ行く(=神学校の入学手続きを意味する)”と言われ
これが運命の分かれ道になった

軍人出身の父親は特に息子に厳しく
自分の決めた正しさの尺度を決して曲げることもなかったため
父の命令は絶対で、夫は幼い頃から自分を押し殺すのが習慣であった
自分のことを自分で自由に決められない辛さを知っている夫は
子どもたちには決して同じような無理強いをしたくないと語り
その言葉通り実行して今に至る

海外逃亡に失敗してから40年が経とうとする現在
「それでも今は、牧師をやってきて良かったと思う」と夫は言う
夫は、昔も今も自分のことを”不良牧師”と呼ぶが
見せかけの偽善ではなく
自分自身に正直に生きてきたことで
人間的には損をしたこともある半面、信頼も得た
そんな父親を見て育った子どもたちは
幼い頃も今も教会が好きらしい
もし信仰信仰と修行のような楽しくない生活では
とっくに逃亡を企てていたかもしれないが
夫自身がそういう堅苦しい生活を嫌ったため
子どもたちにも無理がなかったのが幸いしたと思う
こうして、夫が抱えてきた負の感情は次世代に連鎖することなく
すべては過去として消え行くことになるのだろう

親の過去は変えられないが
子どもの未来は、親の一言で変わっていく
教会における牧師と信者の関係も同様であり
指導する立場の責任は重い
現実には、人の力が直接人を幸いに導くわけではないにしても
その心(人の大切な一生に関わっているとの自覚)が問われるのは確かだ

面白いもので
子どもたちはそれぞれ小中学生の頃から、よく友達の相談にのっているが
アドバイスの内容はほとんど親の受け売りなのだと言って笑う
自分が迷ったり困ったりした時に力になった言葉や考え方は
自分の財産としてしっかり持っておくといい
善人過ぎず、悪人にもならないちょうどいい生き方は
この財産の積み重ねで培われていくだろう

人は、人の言葉で傷つき、人の言葉で迷い
人の言葉で気づき、人の言葉で励まされ、人の言葉で立ち直る

同じ言葉であっても
そこに愛があるかどうかで反応も変わってくる


(2012.8.22)



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