善の行方



<17.光と影>

前にも書いたように
幼い頃のわたしは活発な野性児で
周りが「まるで男の子のようだ」というのを聞いても
自分でも、そうだろうなあと納得するようなタイプの子であった
そんなわたしに母は何度か
「本当に男の子だったら良かったのに」と言ったが
わたし自身は
男に生まれたかったとは一度も思ったことがない
それは、子ども心に
「男の責任」というものを重く感じていたからだろうと思う

わたしが生れた頃
父はまだ勤務医で、毎日のように手術を行っていたらしいが
人の命に直接関わる仕事であるだけに
家に居る時には極力くつろげるようにと母はとても気をつかっていたようだ
もう50年も前の
今とは比べ物にならないほど便利の悪い時代のこと
母は幼い子どもをふたり育てながら父を完璧にサポートできる程元気ではなく
子守りの人に来てもらうなどといった方法で足らないところを補っていく
また、父は飲み会の好きな人だったので
よく自宅に友人を招いては楽しんだりと
家は常に父を中心に回っていた
わたしの記憶する限り、父が家のことをしている姿を見たことがないので
ただ一度、母の留守中に父がリンゴの皮をむいているのを見て
わたしは思わず「お父さんてリンゴがむけるの?!」と驚いて聞いたことがある
考えてみれば父は外科医なのだからナイフが使えないわけはなかったが
それほど父は家では何もしない人だったのだ

また、父はとても温厚な人で
わたしは一度も怒られたことがなかった
(例の「プラネタリウム事件」の時でさえも)
その分、母にはものすごく叱られた記憶があって
結局、父は八方美人の性格だったため
嫌な役割をずいぶん母が負っていたのだろう
「人を支える」というのは
見える部分だけでなく
相手の資質の不足分まで補う必要があるのが大変なところだが
結果的に、父は最後までずっと良い仕事ができたし
元々”裏方気質”の母としては、幸せな時代であったようだ

わたしから見た父母の関係は、ちょうど「光と影」のようだった
そして、わたしが男に生まれたかったと思わなかったのは
「光」の役目が自分に合っていないと感じたからだろう
今でこそ、男女の役割を云々言うのはタブ−だが
当時は、目立つ重要な役目はほとんど男が果たしていたので
その責任もすべて男が負っていた
それでも父は、わたしに「女医にならないか」と言ったが
わたしには、その責任を負う勇気も気概もなかったのだ

それほど「男の責任」を重く意識するわたしの背景には
厳格な祖父の存在がある
軍医であった祖父は
戦地で何度も船と共に沈みそうになりながらも
九死に一生を得て帰還した後
故郷に戻って開業するかたわら
医療保険制度の導入や、重度肢体不自由児施設の立ち上げなど
新しい分野の草分けとして尽力した
やがてその功績が認められ、表彰を受けたり、新聞に載ったりと
結構印象深いこともあったが
わたしにとっての祖父は
何かと気難しく近寄りがたい存在でもあった

新しく物事を進めていく時には必ず反対があり
そこをクリアするには押しの強さも求められる
強引に進めれば反感を買うし、敵も増えるが
それでも祖父は意思を貫いた
一方、家でも祖父は強かった
そして、その強い人を支える祖母の苦労は大変なものであったろうと思う
ただ、わたしが知っている祖父の姿と
施設の園長をしていた頃の祖父についての話はちょっと違っていた
孫であるわたし自身は、祖父に遊んでもらった記憶がないのだが
祖父は休みの日でも職場に出かけて行って
障害をもった園児たちと遊んでいたらしい
そういう人だったんだなと
わたしはそれを大人になってから知った

日本には古くから「家制度」というものがあるが
わたしの過ごした子ども時代は
その考え方も価値観も「家」が強く影響するものであった
世間的に言えば、目立つ人も多く輩出した家であり
そういう家ほど家の名に恥じない行動を求められるだけに
いつまでも自由な野性児のままではいられない窮屈なものを
意識せずにはいられなかったのだ
おかげで
「恥」「社会規範」「品性」などを学ぶ機会は多かったが
いつも人からどう見られているかを意識するのは苦痛だった

世間の言う「良い学校」が幸せな将来を約束してくれないように
「家」もまた、家柄がどうであれ、仮にそこにどんな有名人がいようとも
個人の生活がそれで何か保障されるわけではない
あくまでも個人個人が懸命に「家の格式」を支えているだけのことなのだが
世間の目は常に「光」にのみ注がれ
「影」の働きにはなかなか止まらないものだ

影は影なのだから、いつまでも目立つことはないが
なくてはならない存在であることは
今の時代も変わらない
だが、「勝組思想」が影の立場を惨めなものにしてしまっているため
人の目はいよいよ光にしか向かなくなっているのは残念なことだと思う

わたしが生れた時
手伝いに来ていた祖母は
その後急いで着物を整えて
祖父と共に皇居の園遊会へと出かけて行ったのだと話していた
強い祖父を影で支えた祖母も共に表彰に与ることは
まだ男尊女卑の考えが濃く残る時代でありながらも
ちゃんと影の存在が認められていたことの証として
わたしの記憶に残ることとなった

きっと母に似たのだろう
裏方気質のわたしは、影の面白さを知っている
夫もまた裏方を好む気質であり
子どもたちも自然とそうなっていった
「人が見ていないところの仕事をするのは面白い」
そう言う息子は
時々こっそり研究室の排水管の掃除をするらしい
誰も気づかないからこその面白さ
ここに気づくと人生はもっと楽しくなる


(2012.8.30)



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