善の行方
<3.善のバランス>
『この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた
善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある
善人すぎるな、賢すぎるな
どうして滅びてよかろう
悪事をすごすな、愚かすぎるな
どうして時も来ないのに死んでよかろう』
(伝道の書7章15-17節)
この世の中には
なんとも理不尽に思えることがいろいろある
善人の人生がすべて上手くいくというのなら納得できるが
現実には、善が過ぎると自らが滅びてしまい
一方、悪事も過ぎれば滅びに至る
これを商売に例えてみれば
善人過ぎると商品をタダであげてしまうので
たちまち商売は成り立たず
悪人過ぎると
ウソやごまかしで一時的にはもうけても
詐欺が発覚すれば信用を失って
誰も買う人はいなくなる・・・
ということになるだろう
良心的な商売とは
同じ価格でどれだけ質の良い商品を提供できるか
その質の向上のために(消費者のために)心を砕き
知恵を絞るところが重要なのであって
単純に(自分のために)目先の利潤を追求し
中味をどんどん減らせば人心は離れていく
サービスもまたしかり
夫は昔から商売をしている人にはこういう類の話をするけれど
売れ行きが悪くなると
どうしても中味を減らすことしか考えない人の方が多いようだ
「信用」なんて目に見えないものだし
一気に大きくもうけることを目論むのなら
中味よりも外観を重視しした方が
一時的には受けるかもしれない
だが、一時的なものは一時的でしかなく
悪いものはいずれボロが出る
すべてのこと
いつか真価が問われる時が来ると気づけば
もっと先を見据えた動きができるようになるのだろう
ただ、考え方や行動が良心的でない方向に進めば
こうしていつか間違いに気づく時もあり
正しい方向へと転換していく機会もあるだろうが
むしろ問題なのは
善人過ぎる人の方だ
こちらは、どこまで善を追い求めても満足感がなく
(悪いことではないので)それを止めてくれる人もなく
気づいた時には自分はボロボロで
空しい思いだけがそこに残る
善人過ぎる人は
自分を大切にすることを悪いことと思い
考えるのは自分を犠牲にすることばかり
自分が居るべきちょうど良い居場所を見つけられず
生きている価値を問いながら
その心は病んでいく・・・
もし、自分の持つ善の限界を知っていれば
自らが滅びに向かって進むようなことにはならないが
その限界線は誰も教えてくれないし
何より自分のことは自分にしかわからないのに
自分自身が一番わかっていないのが現状だと思う
では、自分の善の限界はどうすれば知ることができるのだろう?
(2012.8.3)
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